-- 雛形とするページ -- Template * フィンゴン [#k3a44050] ** 概要 [#Summary] |~カテゴリー|[[人名]]| |~スペル|Fingon| |~その他の呼び名|勇敢なるフィンゴン、剛勇の誉れ高きフィンゴン(Fingon the valiant)| |~種族|[[エルフ]]([[ノルドール]])| |~性別|男| |~生没年|不明~†[[第一紀]](472)年| |~親|[[フィンゴルフィン]](父)、[[アナイレ]](母)| |~兄弟|[[トゥルゴン>トゥルゴン(フィンゴルフィンの息子)]](弟)、[[アルエゼル]](妹)、[[アルゴン]](弟)| |~配偶者|不明(妻がいなかった可能性もあり。[[後述>#c0036e44]])| |~子|[[ギル=ガラド]](ギル=ガラドは[[オロドレス>オロドレス(フィナルフィンの息子)]]の息子であった可能性もあり。[[後述>#c0036e44]])| ** 解説 [#Explanation] |>|>|~[[ノルドール]]の[[上級王]]|h |CENTER:第3代&br;[[フィンゴルフィン]]&br;5~456|CENTER:第4代&br;''フィンゴン''&br;[[第一紀]]456~472年|CENTER:第5代&br;[[トゥルゴン>トゥルゴン(フィンゴルフィンの息子)]]&br;472~510| [[フィンゴルフィン]]の長男で[[トゥルゴン>トゥルゴン(フィンゴルフィンの息子)]]、[[アルエゼル]]の兄。[[ギル=ガラド]]の父。 [[マエズロス]]の友人であった彼は、[[フェアノール]]の扇動に積極的に乗って、[[アマン]]から[[中つ国]]に帰還しようとする。[[アルクウァロンデ]]の戦闘では争いの原因を把握できないまま旗色の悪かったフェアノールの軍勢に加勢し、結果的に[[同族殺害]]に加担してしまった。その上フェアノールに[[アラマン]]で置き去りにされて、[[ヘルカラクセ]]を横断する羽目になった。しかし[[マエズロス]]が[[サンゴロドリム]]に捕らわれたことを知ると単身サンゴロドリムに赴いて彼を救出し、これによって[[ノルドール]]は再び団結した。 フィンゴンは、[[中つ国]]では父の[[フィンゴルフィン]]と共に[[ヒスルム]]を統治し、[[ドル=ローミン]]を割り当てられていた(後にこの地は[[エダイン]]である[[ハドル家]]に割譲された)。 また、フィンゴンは[[アングバンド]]から初出撃した[[グラウルング]]を騎馬の弓兵を率いて撃退したことでも名を挙げた。 [[ダゴール・ブラゴッラハ]]でフィンゴルフィンが死ぬと、フィンゴンは[[ヒスルム]]の統治を継いで、[[中つ国]]の[[ノルドール]]の[[上級王]]となる。彼は息子の[[ギル=ガラド]]を[[ファラス]]の港に派遣した。 生涯[[マエズロス]]とは親友であり、彼が提唱した[[マエズロスの連合]]に参加する。[[ニルナエス・アルノエディアド]]でフィンゴンの軍は[[モルゴス]]軍を西から攻撃するが逆に包囲され、[[バルログ]]の長[[ゴスモグ>ゴスモグ(バルログ)]]によってフィンゴンの部隊は[[トゥルゴン>トゥルゴン(フィンゴルフィンの息子)]]や[[フーリン>フーリン(ガルドールの息子)]]たちと引き離され孤立してしまった。ついにはフィンゴンの近衛の兵は全て倒れ、フィンゴンはただ一人でゴスモグと闘ったが、もう一匹のバルログに背後を取られて火の紐を巻きつけられ、ゴスモグに黒い斧で兜ごと頭を割られて討ち死にした。フィンゴンの遺体は[[モルゴス]]の配下たちによって槌矛で散々に打ちのめされ、王旗は血溜まりの中で踏みにじられた。 ***妻子についての設定 [#c0036e44] 『[[The Peoples of Middle-earth>The History of Middle-earth/The Peoples of Middle-earth]]』によると、『[[シルマリルの物語]]』の元になった原稿よりも後に[[ジョン・ロナルド・ロウエル・トールキン]]が書いた原稿では、[[ギル=ガラド]]はフィンゴンの息子ではなく[[オロドレス>オロドレス(フィナルフィンの息子)]]の息子とされ、[[クリストファ・トールキン]]は(『[[シルマリルの物語]]』における)「フィンゴンの息子」という記述を誤りだったとしている。同様に後の稿では「フィンゴンには妻も子もいなかった」とされている。また、[[ギル=ガラド]]を[[ファラス]]の港へと送るエピソードは彼が[[フェラグンド>フィンロド]]の息子として構想されていた時期の原稿から採用したものであるという。どちらを正史とすべきかについては意見が分かれている。 *** 名前について [#b19b846f] 以下の名前及びその説明は『[[The Peoples of Middle-earth>The History of Middle-earth/The Peoples of Middle-earth]]』の「The Shibboleth of Fëanor」による。 :Findekáno(フィンデカーノ)|(おそらく)父[[フィンゴルフィン]]が与えた[[父名>エッシ]]。[[クウェンヤ]]で"finde"((この語が使われたのは語頭が[[フィンウェ]](Finwë)と同じ音fin-であるためと思われる。))は髪(特に頭髪)や編み髪、"káno"は指揮者(commander)の意味。フィンゴンは自分の長く暗い髪を金を編み込んだお下げにしていたので、ふさわしい名前であった。この名の[[シンダリン]]形が''フィンゴン''(Fingon)である。 ** コメント [#Comment] #pcomment(,,,,,,reply) タイムスタンプを変更しない(管理者パスワードが必用) * フィンゴン [#k3a44050] ** 概要 [#Summary] |~カテゴリー|[[人名]]| |~スペル|Fingon| |~その他の呼び名|勇敢なるフィンゴン、剛勇の誉れ高きフィンゴン(Fingon the valiant)| |~種族|[[エルフ]]([[ノルドール]])| |~性別|男| |~生没年|不明~†[[第一紀]](472)年| |~親|[[フィンゴルフィン]](父)、[[アナイレ]](母)| |~兄弟|[[トゥルゴン>トゥルゴン(フィンゴルフィンの息子)]](弟)、[[アルエゼル]](妹)、[[アルゴン]](弟)| |~配偶者|不明(妻がいなかった可能性もあり。[[後述>#c0036e44]])| |~子|[[ギル=ガラド]](ギル=ガラドは[[オロドレス>オロドレス(フィナルフィンの息子)]]の息子であった可能性もあり。[[後述>#c0036e44]])| ** 解説 [#Explanation] |>|>|~[[ノルドール]]の[[上級王]]|h |CENTER:第3代&br;[[フィンゴルフィン]]&br;5~456|CENTER:第4代&br;''フィンゴン''&br;[[第一紀]]456~472年|CENTER:第5代&br;[[トゥルゴン>トゥルゴン(フィンゴルフィンの息子)]]&br;472~510| [[フィンゴルフィン]]の長男で[[トゥルゴン>トゥルゴン(フィンゴルフィンの息子)]]、[[アルエゼル]]の兄。[[ギル=ガラド]]の父。 [[マエズロス]]の友人であった彼は、[[フェアノール]]の扇動に積極的に乗って、[[アマン]]から[[中つ国]]に帰還しようとする。[[アルクウァロンデ]]の戦闘では争いの原因を把握できないまま旗色の悪かったフェアノールの軍勢に加勢し、結果的に[[同族殺害]]に加担してしまった。その上フェアノールに[[アラマン]]で置き去りにされて、[[ヘルカラクセ]]を横断する羽目になった。しかし[[マエズロス]]が[[サンゴロドリム]]に捕らわれたことを知ると単身サンゴロドリムに赴いて彼を救出し、これによって[[ノルドール]]は再び団結した。 フィンゴンは、[[中つ国]]では父の[[フィンゴルフィン]]と共に[[ヒスルム]]を統治し、[[ドル=ローミン]]を割り当てられていた(後にこの地は[[エダイン]]である[[ハドル家]]に割譲された)。 また、フィンゴンは[[アングバンド]]から初出撃した[[グラウルング]]を騎馬の弓兵を率いて撃退したことでも名を挙げた。 [[ダゴール・ブラゴッラハ]]でフィンゴルフィンが死ぬと、フィンゴンは[[ヒスルム]]の統治を継いで、[[中つ国]]の[[ノルドール]]の[[上級王]]となる。彼は息子の[[ギル=ガラド]]を[[ファラス]]の港に派遣した。 生涯[[マエズロス]]とは親友であり、彼が提唱した[[マエズロスの連合]]に参加する。[[ニルナエス・アルノエディアド]]でフィンゴンの軍は[[モルゴス]]軍を西から攻撃するが逆に包囲され、[[バルログ]]の長[[ゴスモグ>ゴスモグ(バルログ)]]によってフィンゴンの部隊は[[トゥルゴン>トゥルゴン(フィンゴルフィンの息子)]]や[[フーリン>フーリン(ガルドールの息子)]]たちと引き離され孤立してしまった。ついにはフィンゴンの近衛の兵は全て倒れ、フィンゴンはただ一人でゴスモグと闘ったが、もう一匹のバルログに背後を取られて火の紐を巻きつけられ、ゴスモグに黒い斧で兜ごと頭を割られて討ち死にした。フィンゴンの遺体は[[モルゴス]]の配下たちによって槌矛で散々に打ちのめされ、王旗は血溜まりの中で踏みにじられた。 ***妻子についての設定 [#c0036e44] 『[[The Peoples of Middle-earth>The History of Middle-earth/The Peoples of Middle-earth]]』によると、『[[シルマリルの物語]]』の元になった原稿よりも後に[[ジョン・ロナルド・ロウエル・トールキン]]が書いた原稿では、[[ギル=ガラド]]はフィンゴンの息子ではなく[[オロドレス>オロドレス(フィナルフィンの息子)]]の息子とされ、[[クリストファ・トールキン]]は(『[[シルマリルの物語]]』における)「フィンゴンの息子」という記述を誤りだったとしている。同様に後の稿では「フィンゴンには妻も子もいなかった」とされている。また、[[ギル=ガラド]]を[[ファラス]]の港へと送るエピソードは彼が[[フェラグンド>フィンロド]]の息子として構想されていた時期の原稿から採用したものであるという。どちらを正史とすべきかについては意見が分かれている。 *** 名前について [#b19b846f] 以下の名前及びその説明は『[[The Peoples of Middle-earth>The History of Middle-earth/The Peoples of Middle-earth]]』の「The Shibboleth of Fëanor」による。 :Findekáno(フィンデカーノ)|(おそらく)父[[フィンゴルフィン]]が与えた[[父名>エッシ]]。[[クウェンヤ]]で"finde"((この語が使われたのは語頭が[[フィンウェ]](Finwë)と同じ音fin-であるためと思われる。))は髪(特に頭髪)や編み髪、"káno"は指揮者(commander)の意味。フィンゴンは自分の長く暗い髪を金を編み込んだお下げにしていたので、ふさわしい名前であった。この名の[[シンダリン]]形が''フィンゴン''(Fingon)である。 ** コメント [#Comment] #pcomment(,,,,,,reply) テキスト整形のルールを表示する