-- 雛形とするページ -- Template * リューン [#g41e6ce5] ** 概要 [#Summary] |~カテゴリー|[[地名]]| |~スペル|Rhûn| |~その他の呼び名|東方(East)| ** 解説 [#Explanation] [[シンダリン]]で「東(east)」の意。[[中つ国]]の東方を大まかに指す言葉で、特に[[リューンの湖]]と[[エレド・リスイ(灰の山脈)>エレド・リスイ]]より東の地域を指す。この土地に住む[[人間]]が[[東夷]]である。 ***諸勢力 [#e21af732] -[[人間]] --[[東夷]] ---[[馬車族]] ---[[バルホス族]] -[[ドワーフ]] --[[鉄拳族]] --[[堅鬚族]] --[[黒巻毛族]] --[[石足族]] -[[エルフ]] --[[アヴァリ]] *** 地名 [#l8ad6579] -[[リューンの湖]] -[[ドルイニオン]] -[[オロカルニ]](赤の山脈) -[[クイヴィエーネン]] -[[ヒルドーリエン]] *** 歴史 [#s7ec2d73] [[星々の時代]]に[[エルフ]]族が目覚めた[[クイヴィエーネン]]の湖は、[[中つ国]]の東の奥地にある[[オロカルニ]]山脈の麓にあった。だが後の時代に地形が変わり、クイヴィエーネンはもはや存在していないという。 [[太陽の第一紀>第一紀]]に[[人間]]族が目覚めた[[ヒルドーリエン]]も中つ国の東の奥地にあり、人間はそこから各地に散らばっていった。 [[第二紀]]になると[[怒りの戦い]]を逃れた邪悪な[[東夷]]が東方に帰還してきて、[[モルゴス]]の虚言を用いて多くの人間たちの上に君臨するようになる。さらに指輪王となった[[サウロン]]は、中つ国の東や[[南>ハラド]]に勢力を広げた。 このため、リューンはサウロンの影響が色濃い地域となる。第二紀末に[[最後の同盟]]に敗れたサウロンの霊は、東方の荒野に逃れて隠れ潜み、復活のための力を蓄えた。 [[青の魔法使い]]たちは中つ国の東方に赴いたが、戻ってくることがなかったという。 [[第三紀]]になると、リューンの[[東夷]]は[[ゴンドール]]としばしば衝突し、リューンの境界付近が戦闘の舞台となることもあった。 500年にはゴンドールの[[タロスタール>ローメンダキル一世]]が東夷を破り、「東の勝者」を意味するローメンダキルを名乗る。彼は新手の東夷に殺されたが、その息子[[トゥランバール]]は父の仇を討って東方に領土を獲得。ゴンドールの東の国境は[[リューンの湖]]に至るまで拡大する。 その後も東夷はゴンドールと紛争を繰り返したが、1248年に[[ミナルカール>ローメンダキル二世]]は[[リョヴァニオン]]と[[リューンの湖]]の間で東夷の大軍を打ち破り、湖の東岸にあった東夷の野営地や居住地を破壊。ローメンダキル二世王となった。 1636年にはリューンから[[悪疫]]が中つ国西方に向かって広がる。これは[[自由の民]]に甚大な被害をもたらしたが、東夷が受けた被害も大きく、以後[[馬車族]]が現われるまでゴンドールを悩ますことがなくなった。 1851年から1944年までの[[馬車族]]の侵攻によってゴンドールは東の領土を失い、リューンは再び西方諸国にとって遠い世界となった。だが[[執政家]]の[[ヴォロンディル]](1919-2029)は、リューンの野で[[白い野牛>アラウの野牛]]を狩り、その角から[[ゴンドールの角笛]]が作られた。 2951年に[[サウロン]]が[[モルドール]]で復活を宣言すると、リューンは再びその属国として軍勢を供給するようになった。 3007年には[[リョヴァニオン]]の東の境で勢力を広げた[[谷間の国]]の[[ブランド]]王が東夷と衝突。[[3018年から3019年>大いなる年]]の[[指輪戦争]]で、東夷は[[谷間の国]]と[[山の下の王国>エレボール#Kingdom]]を襲うとともに([[谷間の国の合戦]])、[[ゴンドール]]との戦いに軍勢を派遣した。 [[第四紀]]になると、リューンの国々と西方諸国の間で講和が成立したようである。 *** 画像 [#r022d864] &ref(Rhun.blank.png,,30%,トールキンの設定をもとにしたフォンスタッド作画による地図); ** [[Iron Crown Enterprises]]による設定 [#ICE] ICE設定においてリューンという名称は主に[[モルドール]]の北部、[[リューンの湖]]よりも東の地域一帯に対して用いられ、それよりも東の地域には用いられていない。その代わり、[[ヒルドーリエン]]や[[クイヴィエーネン]]を含めた、[[オロカルニ]]の西側までの地域は大まかに東方の平原(East Plain)や牧草地(Glasslands)、高原(Plateau)等の名称が使われ、オロカルニよりも東側の地域は[[極東>遠リューン]](Farthest East)や東岸(Eastern Coasts)という。 『Middle-Earth Adventure Guidebook』『Lords of Middle Earth Vol1~3』など、主にソースブックを中心に、リューンに存在する勢力について記されている。 ***諸勢力 [#lbc0784d] -[[自由の民]] --[[北国人]] ---イブノティシウダ(Ibnotithiuda) --[[ドルウィンリム]] --[[ドナス]](Donath) --[[ガスマリグ]](Gathmarig) -[[フォロドワイス]] --[[ロッソス]] --[[ダイア人]] -東夷 --ウガス系諸民族(Ulgathic Tribes) ---[[ロガス]](Logath ) ---[[サガス]](Sagath) ---[[ウルガス]](Urgath) ---[[ブライガス]](Brygath) --イオリアグ系諸民族(Ioriagic Tribes) ---[[アスドリアグ]] ---[[オドリアグ]] ---[[ヴァリアグ]] --[[イガス>馬車族]](Igath,馬車族) --[[プルタイ王朝>バルホス族]](Pultai Dynasty,バルホス族) -[[エルフ]] --[[タウル・ローメン>リューンの森]]の[[シルヴァン・エルフ]] --[[アヴァリ]] -[[ドワーフ]] --[[スラーリンの一族>鉄拳族]](Thralin's Folk) -サウロンの密使 --ケルカッスクの教団 -[[ピンノン・リューン>リューンの丘陵]]の[[オーク]] ***地名 [#jb8667e7] -[[ドル・リューネン]] -[[ケルドゥイン]] -[[ドルイニオン]] --ビュルフ・マフルリング(Burh Mahrling) --イラニン(Ilanin) --シュレル・ケイン(Shrel Kain) --リアヴォド(Riavod) ---スカン(Scan) -[[ピンノン・リューン>リューンの丘陵]](Pinnon Rhûn) --[[ウルドナ]]川(Uldona) --エオルスタン(Eorstan) -[[タウル・ローメン>リューンの森]](Taur Romen) --リューバール(Rhûbar) --[[クグ]]川(Kug) --エルガール(Elgaer) -[[ロガサヴルド]](Logathavuld) --サドバール(Sadbar) -[[サガサヴルド]](Sagathavuld) -[[戦川]](Warwater) -[[ガソド]](Gathod) --[[レスト]](Lest) --[[ミストランド]](Mistrand) --ディルグール(Dilgûl) --ブルフ・アルメンリク(Burh Armenrik) -[[スルベキ]]川(Sûrûbeki) -[[ウルガサヴルド]](Urgathavuld) ***リューンの湖より東の土地 [#je57512c] -[[中央平原>パリソール]] --ヌラド(Nûrad) --チェイ=サルト(Chey-Sart) ---ウルク・チェイ=サルト --カルガリス・アハール -エレド・ハルマル(Ered Harmal) -タラスラント(Talathrant) -[[オロカルニ]](Orocarni) -極東 --ウォマワス・ドラス(Womawas Drus) --アエガン(Aegan) -エレド・グワエン(Ered Gwaen,風の山脈) --ルーリーク(Ruuliik) -岩礁の国(Shelflands) --ロカス=ドラス(Lochas Drus) --ウォール(Wol) ---ワウ(Waw) --キモニエノール(Cimonienor) ***リューンの湖より東の諸勢力 [#scb96fac] :ウォール(Wôl)|岩礁の地にある国々の一つ。この地の住民ウォーリム(Wolim)は[[ドルーエダイン]]と共通の祖先を持つ好戦的な人々で、ロカス=ドラスの最大のライバルでもある。第二紀2000年頃、ワウ(Waw)の王となった[[ドワル]]の下で大規模な艦隊を組織して周辺諸国へ侵攻を開始、沿岸の土地の多くを征服し、岩礁の地の覇権を握った。 :ウォマワス・ドラス(Wômawas Drûs)|記述されてる東方の国々の中で最大規模の勢力。その影響力は西方におけるドゥーネダインに匹敵する。[[当該項目参照>ウォマワス・ドラス]] :カルガリス・アハール(Kargaris Ahar)|大河タラスラントを挟んでチェイの東側に位置する国。この地に住む遊牧民アハール人は争いを好まない平和的な民で、長らく統一された国を持たずに暮らしてきた。そのため、チェイやハンドといった周辺の国々の侵略の標的とされ、しばしば臣従を強いられてきた。だが第三紀1650年頃、セイ家の長パルネリオン(Parnelion)がチェイの支配に対して抵抗運動を始めた。その過程でパルネリオンはアハールの全部族を統合し、史上初の統一国家を樹立。チェイ軍を追い払い、反対にチェイ領への侵入を果たすなど、一躍リューンの強国として台頭した。 :シェイ(Shay)|ロカス・ドラスの風の山脈を挟んだ西側にある国。比較的文明化の進んだ地域で、[[ハムール]]の母クレーア(Klêa)の出身地。第二紀3262年~3319年までの間、モルドールから派遣されたハムールが現れて、シェイに住む五つの部族の連合を崩壊させ、互いに争わせた。モルドールにハムールが戻った後も内紛は続き、3400年にはハムールの腹心であるモーナルラン(Mônarlan)によって三つの部族が影の支配下に入った。 :チェイ・サルト(Chey Sart)|[[ハンド]]からエレド・ハルマル(Ered Harmal)を越えた東側にあるチェイ人の国。タラスラントの二つの支流に挟まれた平野で、国土の中央にウルク・チェイ・サルト(Ulk Chey Sart)と呼ばれる火山がある。この火山は聖地とされ、チェイ人の信仰の対象となっている。炎の王(Fire King)[[レン]]の時代に領土を拡大し、[[ハラド]]北東から[[パリソール]]に跨がる大帝国を築いた。 :ロカス・ドラス(Lôchas Drûs)|第二紀の初頭、ドラル家の当主ウォーマ・ドラル(Wôma Drâl)に率いられ、中つ国の南東部にある岩礁の国に進出した[[ウォマウ]]の入植者たちが建てた国。北の帝国ウォマワス・ドラスと並ぶ南の大帝国として栄えたが、ウォールやカ・イシュ(Ka' ish)等の先住民と軋轢があり、しばしば争いが起こった。第三紀の初めにオエルヴィク・ドラル(Ôervîk Drâl)が自害に追い込まれ、ドラル家が支配権を喪失。その後1200年近く分裂の時代が続いたが、第三紀1148年、オエルヴィクの子孫デミーク・ドラル(Demîk Drâl)が帝国を再統一し、1794年に再び分裂するまで続いた。 ** コメント [#Comment] #pcomment(,,,,,,reply) タイムスタンプを変更しない(管理者パスワードが必用) * リューン [#g41e6ce5] ** 概要 [#Summary] |~カテゴリー|[[地名]]| |~スペル|Rhûn| |~その他の呼び名|東方(East)| ** 解説 [#Explanation] [[シンダリン]]で「東(east)」の意。[[中つ国]]の東方を大まかに指す言葉で、特に[[リューンの湖]]と[[エレド・リスイ(灰の山脈)>エレド・リスイ]]より東の地域を指す。この土地に住む[[人間]]が[[東夷]]である。 ***諸勢力 [#e21af732] -[[人間]] --[[東夷]] ---[[馬車族]] ---[[バルホス族]] -[[ドワーフ]] --[[鉄拳族]] --[[堅鬚族]] --[[黒巻毛族]] --[[石足族]] -[[エルフ]] --[[アヴァリ]] *** 地名 [#l8ad6579] -[[リューンの湖]] -[[ドルイニオン]] -[[オロカルニ]](赤の山脈) -[[クイヴィエーネン]] -[[ヒルドーリエン]] *** 歴史 [#s7ec2d73] [[星々の時代]]に[[エルフ]]族が目覚めた[[クイヴィエーネン]]の湖は、[[中つ国]]の東の奥地にある[[オロカルニ]]山脈の麓にあった。だが後の時代に地形が変わり、クイヴィエーネンはもはや存在していないという。 [[太陽の第一紀>第一紀]]に[[人間]]族が目覚めた[[ヒルドーリエン]]も中つ国の東の奥地にあり、人間はそこから各地に散らばっていった。 [[第二紀]]になると[[怒りの戦い]]を逃れた邪悪な[[東夷]]が東方に帰還してきて、[[モルゴス]]の虚言を用いて多くの人間たちの上に君臨するようになる。さらに指輪王となった[[サウロン]]は、中つ国の東や[[南>ハラド]]に勢力を広げた。 このため、リューンはサウロンの影響が色濃い地域となる。第二紀末に[[最後の同盟]]に敗れたサウロンの霊は、東方の荒野に逃れて隠れ潜み、復活のための力を蓄えた。 [[青の魔法使い]]たちは中つ国の東方に赴いたが、戻ってくることがなかったという。 [[第三紀]]になると、リューンの[[東夷]]は[[ゴンドール]]としばしば衝突し、リューンの境界付近が戦闘の舞台となることもあった。 500年にはゴンドールの[[タロスタール>ローメンダキル一世]]が東夷を破り、「東の勝者」を意味するローメンダキルを名乗る。彼は新手の東夷に殺されたが、その息子[[トゥランバール]]は父の仇を討って東方に領土を獲得。ゴンドールの東の国境は[[リューンの湖]]に至るまで拡大する。 その後も東夷はゴンドールと紛争を繰り返したが、1248年に[[ミナルカール>ローメンダキル二世]]は[[リョヴァニオン]]と[[リューンの湖]]の間で東夷の大軍を打ち破り、湖の東岸にあった東夷の野営地や居住地を破壊。ローメンダキル二世王となった。 1636年にはリューンから[[悪疫]]が中つ国西方に向かって広がる。これは[[自由の民]]に甚大な被害をもたらしたが、東夷が受けた被害も大きく、以後[[馬車族]]が現われるまでゴンドールを悩ますことがなくなった。 1851年から1944年までの[[馬車族]]の侵攻によってゴンドールは東の領土を失い、リューンは再び西方諸国にとって遠い世界となった。だが[[執政家]]の[[ヴォロンディル]](1919-2029)は、リューンの野で[[白い野牛>アラウの野牛]]を狩り、その角から[[ゴンドールの角笛]]が作られた。 2951年に[[サウロン]]が[[モルドール]]で復活を宣言すると、リューンは再びその属国として軍勢を供給するようになった。 3007年には[[リョヴァニオン]]の東の境で勢力を広げた[[谷間の国]]の[[ブランド]]王が東夷と衝突。[[3018年から3019年>大いなる年]]の[[指輪戦争]]で、東夷は[[谷間の国]]と[[山の下の王国>エレボール#Kingdom]]を襲うとともに([[谷間の国の合戦]])、[[ゴンドール]]との戦いに軍勢を派遣した。 [[第四紀]]になると、リューンの国々と西方諸国の間で講和が成立したようである。 *** 画像 [#r022d864] &ref(Rhun.blank.png,,30%,トールキンの設定をもとにしたフォンスタッド作画による地図); ** [[Iron Crown Enterprises]]による設定 [#ICE] ICE設定においてリューンという名称は主に[[モルドール]]の北部、[[リューンの湖]]よりも東の地域一帯に対して用いられ、それよりも東の地域には用いられていない。その代わり、[[ヒルドーリエン]]や[[クイヴィエーネン]]を含めた、[[オロカルニ]]の西側までの地域は大まかに東方の平原(East Plain)や牧草地(Glasslands)、高原(Plateau)等の名称が使われ、オロカルニよりも東側の地域は[[極東>遠リューン]](Farthest East)や東岸(Eastern Coasts)という。 『Middle-Earth Adventure Guidebook』『Lords of Middle Earth Vol1~3』など、主にソースブックを中心に、リューンに存在する勢力について記されている。 ***諸勢力 [#lbc0784d] -[[自由の民]] --[[北国人]] ---イブノティシウダ(Ibnotithiuda) --[[ドルウィンリム]] --[[ドナス]](Donath) --[[ガスマリグ]](Gathmarig) -[[フォロドワイス]] --[[ロッソス]] --[[ダイア人]] -東夷 --ウガス系諸民族(Ulgathic Tribes) ---[[ロガス]](Logath ) ---[[サガス]](Sagath) ---[[ウルガス]](Urgath) ---[[ブライガス]](Brygath) --イオリアグ系諸民族(Ioriagic Tribes) ---[[アスドリアグ]] ---[[オドリアグ]] ---[[ヴァリアグ]] --[[イガス>馬車族]](Igath,馬車族) --[[プルタイ王朝>バルホス族]](Pultai Dynasty,バルホス族) -[[エルフ]] --[[タウル・ローメン>リューンの森]]の[[シルヴァン・エルフ]] --[[アヴァリ]] -[[ドワーフ]] --[[スラーリンの一族>鉄拳族]](Thralin's Folk) -サウロンの密使 --ケルカッスクの教団 -[[ピンノン・リューン>リューンの丘陵]]の[[オーク]] ***地名 [#jb8667e7] -[[ドル・リューネン]] -[[ケルドゥイン]] -[[ドルイニオン]] --ビュルフ・マフルリング(Burh Mahrling) --イラニン(Ilanin) --シュレル・ケイン(Shrel Kain) --リアヴォド(Riavod) ---スカン(Scan) -[[ピンノン・リューン>リューンの丘陵]](Pinnon Rhûn) --[[ウルドナ]]川(Uldona) --エオルスタン(Eorstan) -[[タウル・ローメン>リューンの森]](Taur Romen) --リューバール(Rhûbar) --[[クグ]]川(Kug) --エルガール(Elgaer) -[[ロガサヴルド]](Logathavuld) --サドバール(Sadbar) -[[サガサヴルド]](Sagathavuld) -[[戦川]](Warwater) -[[ガソド]](Gathod) --[[レスト]](Lest) --[[ミストランド]](Mistrand) --ディルグール(Dilgûl) --ブルフ・アルメンリク(Burh Armenrik) -[[スルベキ]]川(Sûrûbeki) -[[ウルガサヴルド]](Urgathavuld) ***リューンの湖より東の土地 [#je57512c] -[[中央平原>パリソール]] --ヌラド(Nûrad) --チェイ=サルト(Chey-Sart) ---ウルク・チェイ=サルト --カルガリス・アハール -エレド・ハルマル(Ered Harmal) -タラスラント(Talathrant) -[[オロカルニ]](Orocarni) -極東 --ウォマワス・ドラス(Womawas Drus) --アエガン(Aegan) -エレド・グワエン(Ered Gwaen,風の山脈) --ルーリーク(Ruuliik) -岩礁の国(Shelflands) --ロカス=ドラス(Lochas Drus) --ウォール(Wol) ---ワウ(Waw) --キモニエノール(Cimonienor) ***リューンの湖より東の諸勢力 [#scb96fac] :ウォール(Wôl)|岩礁の地にある国々の一つ。この地の住民ウォーリム(Wolim)は[[ドルーエダイン]]と共通の祖先を持つ好戦的な人々で、ロカス=ドラスの最大のライバルでもある。第二紀2000年頃、ワウ(Waw)の王となった[[ドワル]]の下で大規模な艦隊を組織して周辺諸国へ侵攻を開始、沿岸の土地の多くを征服し、岩礁の地の覇権を握った。 :ウォマワス・ドラス(Wômawas Drûs)|記述されてる東方の国々の中で最大規模の勢力。その影響力は西方におけるドゥーネダインに匹敵する。[[当該項目参照>ウォマワス・ドラス]] :カルガリス・アハール(Kargaris Ahar)|大河タラスラントを挟んでチェイの東側に位置する国。この地に住む遊牧民アハール人は争いを好まない平和的な民で、長らく統一された国を持たずに暮らしてきた。そのため、チェイやハンドといった周辺の国々の侵略の標的とされ、しばしば臣従を強いられてきた。だが第三紀1650年頃、セイ家の長パルネリオン(Parnelion)がチェイの支配に対して抵抗運動を始めた。その過程でパルネリオンはアハールの全部族を統合し、史上初の統一国家を樹立。チェイ軍を追い払い、反対にチェイ領への侵入を果たすなど、一躍リューンの強国として台頭した。 :シェイ(Shay)|ロカス・ドラスの風の山脈を挟んだ西側にある国。比較的文明化の進んだ地域で、[[ハムール]]の母クレーア(Klêa)の出身地。第二紀3262年~3319年までの間、モルドールから派遣されたハムールが現れて、シェイに住む五つの部族の連合を崩壊させ、互いに争わせた。モルドールにハムールが戻った後も内紛は続き、3400年にはハムールの腹心であるモーナルラン(Mônarlan)によって三つの部族が影の支配下に入った。 :チェイ・サルト(Chey Sart)|[[ハンド]]からエレド・ハルマル(Ered Harmal)を越えた東側にあるチェイ人の国。タラスラントの二つの支流に挟まれた平野で、国土の中央にウルク・チェイ・サルト(Ulk Chey Sart)と呼ばれる火山がある。この火山は聖地とされ、チェイ人の信仰の対象となっている。炎の王(Fire King)[[レン]]の時代に領土を拡大し、[[ハラド]]北東から[[パリソール]]に跨がる大帝国を築いた。 :ロカス・ドラス(Lôchas Drûs)|第二紀の初頭、ドラル家の当主ウォーマ・ドラル(Wôma Drâl)に率いられ、中つ国の南東部にある岩礁の国に進出した[[ウォマウ]]の入植者たちが建てた国。北の帝国ウォマワス・ドラスと並ぶ南の大帝国として栄えたが、ウォールやカ・イシュ(Ka' ish)等の先住民と軋轢があり、しばしば争いが起こった。第三紀の初めにオエルヴィク・ドラル(Ôervîk Drâl)が自害に追い込まれ、ドラル家が支配権を喪失。その後1200年近く分裂の時代が続いたが、第三紀1148年、オエルヴィクの子孫デミーク・ドラル(Demîk Drâl)が帝国を再統一し、1794年に再び分裂するまで続いた。 ** コメント [#Comment] #pcomment(,,,,,,reply) テキスト整形のルールを表示する