#author("2024-08-16T23:36:07+09:00;2011-05-20T07:56:20+09:00","","")
[[アモン・エレブ]]

-14章「ベレリアンドとその国土のこと」にはマイズロスが大敗を喫した後に住んだことがあると書いてありましたが、実際にこのあたりに「大敗を喫した後に」住んだという描写があるのはブラゴルラハの後のカランシアとアムロド&アムラスです。マイズロスはブラゴルラハの後もヒムリングを保持していて、ニアナイスの後は他の弟たちと共にオッシリアンドに住まっています。もしかしたらドリアス襲撃後かシリオンの港襲撃後にはここに住まっていたのかもしれないですが。 --  &new{2010-05-13 (木) 07:17:54};
--エレブとオスシリアンドは地理的に隣接しているので、別に矛盾ではないでしょう。
ニアナイスで本拠ヒムリングを失った後、すでに兄弟が地歩を築いていたアモン・エレブに身を寄せる形で一時的に拠点にしたものの(「住んだことがある」(upon that hill Maedhros dwelt)という書き方からしてそれが一時的なものであったことを示唆している)そこを保持できるだけの勢力はもはやなく程なく放棄して、最終的にオスシリアンドの放浪の生活にあいなった、という経緯を示唆した一文としてすんなり納得できます。他の箇所は単にその間の経緯を省略しているだけ。(省略されるほどエレブに拠ったのが短期間だったのだという事情もここから読み取れる) --  &new{2024-08-16 (金) 23:36:07};