#author("2016-05-05T06:55:36+09:00","","")
* 執政の暦法 [#rebbff3e]
** 概要 [#zcdffbad]

|~カテゴリー|[[暦]]|
|~スペル|Stewards' Reckoning|
|~その他の呼び名||
|~その他の呼び名|改定暦(Revised Calendar)|

** 解説 [#y0142648]

[[エアルヌア]]王が失踪したことで[[ゴンドール]]の統治権を持った[[執政]][[マルディル]]によって、[[第三紀]]2060年([[第二紀]]に換算すると5501年)から発効となった[[王の暦法]]の''改定暦''(Revised Calendar)。[[ホビット庄]]を除く[[西方語]]圏で広く用いられた。
[[エアルヌア]]王が失踪したことで[[ゴンドール]]の統治権を持った[[執政]][[マルディル]]によって、[[第三紀]]2060年([[第二紀]]に換算すると5501年)から発効となった[[王の暦法]]の改定暦。[[ホビット庄]]を除く[[西方語]]圏で広く用いられた。

基本は王の暦法と同じだが、月は全て30日になった。月に含まれない日は従来のイエスタレ、ロエンデ(閏年は2日間のエンデリ)、メッタレの他に、3月と4月の間の''トゥイレーレ''「春の日」と、9月と10月の間の''ヤーヴィエーレ''「秋の日」が加えられた。これらの日はどの月にも属さず、休日である。([[暦の比較表]])

|~月|~日数|~クウェンヤ名|~シンダール語名|
||RIGHT:1|イエスタレ(Yestarë)||
|RIGHT:1月|RIGHT:30|ナルヴィンイエ(Narvinyë)|ナルワイン(Narwain)|
|RIGHT:2月|RIGHT:30|ネーニメ(Nénimë)|ニーヌイ(Nínui)|
|RIGHT:3月|RIGHT:30|スーリメ(Súlimë)|グヮイロン(Gwaeron)|
||RIGHT:1|トゥイレーレ(Tuilérë)||
|RIGHT:4月|RIGHT:30|ヴィーレッセ(Víressë)|グウィリス(Gwirith)|
|RIGHT:5月|RIGHT:30|ローテッセ(Lótessë)|ロスロン(Lothron)|
|RIGHT:6月|RIGHT:30|ナーリエ(Nárië)|ノールイ(Nórui)|
||RIGHT:1 or 2|ロエンデ(Loëndë)/エンデリ(Enderi)||
|RIGHT:7月|RIGHT:30|ケアミエ(Cermië)|ケアヴェス(Cerveth)|
|RIGHT:8月|RIGHT:30|ウリメ(Úrimë)|ウルイ(Úrui)|
|RIGHT:9月|RIGHT:30|ヤヴァンニエ(Yavannië)|イヴァンネス(Ivanneth)|
||RIGHT:1|ヤーヴィエーレ(Yáviérë)||
|RIGHT:10月|RIGHT:30|ナルクウェリエ (Narquelië)|ナルベレス(Narbeleth)|
|RIGHT:11月|RIGHT:30|ヒーシメ(Hísimë)|ヒスイ(Hithui)|
|RIGHT:12月|RIGHT:30|リンガレ(Ringarë)|ギリスロン(Girithron)|
||RIGHT:1|メッタレ(Mettarë)||

王の暦法において第二紀から第三紀への移行で残した1.4102日分の不足に、第三紀1年から2059年までの不足分0.6898日を足すと、2.1日分の不足になる。そこで第三紀2059年に2日を足し、不足分を0.1日(2時間24分)まで修正した上で、翌2060年からこの暦が用いられた。

執政[[ハドル>ハドル(トゥーリン一世の息子)]]は第三紀2360年に、不足分が1.0022日になるので、一日を足した。これ以降、暦に調整は行われなかった。
[[指輪戦争]]による[[サウロン]]の滅亡と[[再統一された王国]]の誕生により3019年からは[[新暦法]]が用いられた。


** コメント [#w77c5920]

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