* ブリー&ruby(ごう){郷}; [#t99a31ec]
** 概要 [#Summary]

|~カテゴリー|[[地名]]|
|~スペル|Bree-land((breeは丘を表す[[ケルト語]]))|
|~その他の呼び名||

** 解説 [#Explanation]

[[エリアドール]]の中心近く、[[ホビット庄]]から[[東街道]]を通って60マイル弱((『[[旅の仲間]]』「躍る小馬亭で」冒頭の解説'''[[ブランディワイン橋]]の東からこの小さな郷まで、馬に乗って一日もかからないくらいの道程'''であるという))の距離にある集落。周囲には無人地帯が広がっており、ここのみ人が住む孤立した島のようになっている。ブリー郷の最も主要な集落が東街道に面した''[[ブリー村]]''で、他の集落に[[元村]]、[[小谷村]]、[[アーチェト村]]などがある。

>ブリー村は、ブリー郷で一番大きな村ですが、ブリー郷は、まるで小島のように無人の土地に囲まれて、そこだけ人の住みついた、小さな地域でした。プリー村のほかには、[[ブリー山]]の反対側に元村、少し東の深い谷間に小谷村、そして[[チェトの森]]のはずれにアーチェト村がありました。ブリー山とこれらの村々の周りは、その幅わずか数マイルほどの田野と人手のはいった森林地帯が取り巻いていました。((『[[旅の仲間]]』「躍る小馬亭で」冒頭の解説))

*** ブリー郷の住人 [#te88073e]

この土地の住人の言い伝えによれば、[[第一紀]]に[[人間]]が西方([[ベレリアンド]])に向かった時から、ブリー郷の人間はこの地に住んでいたという。[[第三紀]]末にはブリー郷の人々は、([[ドゥーネダイン]]を除き)[[中つ国]]極西の地に住む人間となっていた。

>ブリー村の人間たちは髪の毛が茶色で、どちらかといえば背が低く、体つきががっしりしていました。性質は快活で独立の精神をもっていました。かれらは自分たち以外の何者にも依存しないで暮らしていました。そして、[[大きい人]]たち一般の場合にくらべると、[[ホビット]]とか、[[ドワーフ]]とか、[[エルフ]]とか、その他、自分たちを取り囲む世界のほかの住人たちとずっと親しくまじわっていました。かれら自身に伝わる話によると、かれらはこの土地に元から住みついており、昔、[[中つ国]]のこの西の地に流れて来た[[最初の人間たち>エダイン]]の子孫だということでした。[[上古]]の頃の度重なる騒乱をくぐり抜けて生き残れた者は非常に少なかったのですが、[[王たち>ドゥーネダイン]]が[[大海]]を渡ってふたたび戻って来た時、かれらは、ブリー山の人たちが今なお同じ場所にいるのを見いだしたのでした。そして、[[古き王たち>アルノール]]の記憶が草むす墓の中に薄れ去った今もなお、かれらは同じ場所に住みついているのです。((『[[旅の仲間]]』「躍る小馬亭で」冒頭の解説))

また『[[追補編]]』には、ブリー村の[[人間]]たちはずっと昔に北方へと移住してきた[[褐色人]]の同族であるという異説が述べられている([[褐色人]]の項も参照)。

ブリー郷には[[ホビット]]も多数住んでおり、人間とホビットが共同生活を送っている唯一の土地であった。
ホビットが[[エリアドール]]に移住してきた時、その最古の居住地が築かれたのがブリー郷であったと言われている。かれらは[[第三紀]]1300年頃よりブリー郷に住みつき、1601年にはさらに西に移動して[[ホビット庄]]が築かれた([[ホビット庄暦]]元年)。
ブリー郷には、ホビット庄へと移住しなかったホビットとその子孫が住み続け、ホビット庄のホビットとは異なった気風を有するようになった。ブリー郷のホビットは主に[[元村]]の、人間たちの家々を見下ろす山腹に住んでいたという。

*** ブリー郷の地名について [#ra301576]

[[トールキン]]により、ブリー郷にある地名には、bree、[[chet>チェトの森]]、[[Archet>アーチェト村]]のように[[ケルト>ケルト語]]風の言葉が割り当てられている。

** コメント [#Comment]

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