#author("2022-09-10T20:43:09+09:00;2022-09-07T15:42:04+09:00","","")
-植物のケレボルンについては、[[ケレボルン(植物)]]を参照してください。

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* ケレボルン [#n3b9a73a]
** 概要 [#Summary]

|~カテゴリー|[[人名]]|
|~スペル|Celeborn|
|~異訳|セレボルン|
|~その他の呼び名|テレポルノ(Teleporno)&br;賢者(the wise)&br;ロスローリエンの殿(Lord of Lothlórien)|
|~異訳|セレボルン(([[エルフ語]]の発音規則に基づかない表記。))|
|~その他の呼び名|ロスローリエンの殿(Lord of Lothlórien) &br; ガラズリムの殿(Lord of the Galadhrim) &br; 賢者ケレボルン(Celeborn the Wise) &br; テレポルノ(Teleporno)|
|~種族|[[エルフ]]([[シンダール]])|
|~性別|男|
|~生没年|不明|
|~親|[[ガラゾン]](父)|
|~兄弟|[[ガラシル]](弟)|
|~兄弟|[[ガラシル]](兄弟)|
|~配偶者|[[ガラドリエル]]|
|~子|[[ケレブリアン]](娘)|
|~子|[[ケレブリーアン]](娘)|

** 解説 [#Explanation]

名は[[シンダール語]]で「銀の木」の意(同じ名をつけられた[[ケレボルンの木>ケレボルン(植物)]]もある)。クウェンヤでの名はテレポルノ。
[[シンゴル]]の血族の[[シンダール・エルフ>シンダール]](『[[終わらざりし物語]]』によると、[[シンゴル]]の弟[[エルモ]]の息子[[ガラゾン]]の息子)。弟に[[ガラシル]]がいる。(ただしこれらの出自には異説もある。後述)
[[第一紀]]の[[ドリアス]]で[[ガラドリエル]]と出会い、結婚した。ケレボルンは彼女を「光の姫」の意であるアラタリアル(Alatáriel)と呼び、それ以来彼女はアラタリアルの[[シンダール語]]形であるガラドリエル(Galadriel)を名乗るようになったという。
ガラドリエルとの間に一人娘の[[ケレブリアン]]がいる。ケレブリアンは[[エルロンド]]の妻であるから、ケレボルンはエルロンドにとって義理の父にあたり、[[アルウェン]]にとっては祖父にあたる。
名前の意味は[[シンダリン]]で「銀の木(Silver Tree)」(([[同名の白の木>ケレボルン(植物)]]も存在する。))とも、「銀の丈高きもの(silver-tall)」とも((『[[終わらざりし物語]]』によると、当初は前者の意味だったが、後に[[トールキン>ジョン・ロナルド・ロウエル・トールキン]]は構想を変えて彼を[[アマン]]の[[テレリ]]とし、後者の意味とした。具体的には名前の二番目の要素オルン(orn)の由来を、「木(tree)」の意味の名詞オルネー(ornē)から、「登る、背が高い(uprising, tall)」を意味する古い形容詞オルナー(ornā)に変更した。ケレボルンはテレリ族の中では背が高い方であったという(テレリ族は概して[[ノルドール]]族より体格が劣っていた)。))。[[テレリ語]]での名はテレポルノ((『[[The Letters of J.R.R.Tolkien]]』のLetter 347では、元の名前はTelporno(テルポルノ)としている。))。
[[シンゴル]]の血族の[[シンダール・エルフ>シンダール]](『[[終わらざりし物語]]』によると、[[シンゴル]]の弟[[エルモ]]の息子[[ガラゾン]]の息子。兄弟に[[ガラシル]]がいる。ただしこれらの出自には異説もある。[[後述>#xce87275]])。
[[ガラドリエル]]の夫で、一人娘の[[ケレブリーアン]]がいる。ケレブリーアンは[[エルロンド]]の妻なので、ケレボルンはエルロンドにとって義理の父にあたり、[[エルロンドの息子たち>エルロンドの息子]]と[[アルウェン]]にとっては母方の祖父にあたる。

ケレボルンは[[第二紀]]以降も[[中つ国]]に留まったが、その足取りには不明な点が多い。
『[[終わらざりし物語]]』によると、はじめケレボルンは[[リンドン]]の南に住まっていたが、その後[[エレギオン]]へと移り住む。エレギオンが[[サウロン]]に攻撃されたとき、ケレボルンは軍勢を率いて抵抗し、その後[[エルロンド]]の軍勢と合流したが、サウロンの大兵力のためにエレギオンを救出することはできなかった。
>樹身の下に置かれた二つの椅子には生きた枝を&ruby(てんがい){天蓋};にして、ケレボルンとガラドリエルが並んで坐っていました。二人は客人たちを迎えるために立ち上がりました。たとえ強大な力を持つ王侯といえども、これがエルフの作法でした。二人ともそれは背が高く、奥方も背の高さでは殿にひけをとりませんでした。また二人ともそれは美しく、それはおごそかでした。二人とも全身白ずくめの&ruby(いしょう){衣裳};をまとっていましたが、髪は奥方のは深い金色、ケレボルンの殿のは長い輝く銀髪でした。しかし二人のうちどちらにも老齢のしるしは見られません。ただそれは二人の目の深さにのみうかがわれました。その目は星の光にきらめく&ruby(やり){槍};のように鋭く、しかも深い記憶を&ruby(かく){蔵};した井戸のように深々とみえました。((『[[旅の仲間>指輪物語/旅の仲間]]』「ガラドリエルの鏡」))

*** [[第一紀]]~[[第三紀]]までのケレボルン [#fe045734]

ケレボルンは[[第一紀]]の[[ドリアス]]で[[ガラドリエル]]と出会い、結婚した。ケレボルンは彼女を「輝く花冠をつけた乙女」の意味のアラターリエルと呼び、それ以来彼女はアラターリエルの[[シンダリン]]形であるガラドリエルを名乗るようになったという。

ケレボルンは[[第二紀]]以降もガラドリエルとともに[[中つ国]]に留まったが、その足取りには不明な点が多い。
『[[追補編>指輪物語/追補編]]』によると、はじめケレボルンは[[ハルリンドン]]に住まっていた。『[[終わらざりし物語]]』によると、その後[[エレギオン]]へと移り住む。エレギオンが[[サウロン]]に攻撃されたとき、ケレボルンは軍勢を率いて抵抗し、その後[[エルロンド]]の軍勢と合流したが、サウロンの大兵力のためにエレギオンを救出することはできなかった。
その後の足取りはさらに不明瞭である。一方ではエレギオンの残党を指揮して[[裂け谷]]に避難し、サウロンが[[エリアドール]]から駆逐されると、[[ロスローリエン]]からやってきた[[ガラドリエル]]と合流したとされている。だがまた一方では、エリアドールに留まったのはガラドリエルの方であり、エレギオン陥落後はケレボルンがその残党を率いてロスローリエンに赴き、サウロンの駆逐後にガラドリエルと再会した、ともされる。
それが[[第二紀]]中のことか[[第三紀]]に入ってからのことかは不明だが、その後ケレボルンとガラドリエルの二人は[[霧ふり山脈]]を越え、[[アムロス]]のいなくなったロスローリエンの国を共に治めるようになった(だが王のような称号は持たなかった)。
ケレボルンはドリアス滅亡のことを記憶しており、その引き金となった[[ドワーフ]]のことをずっと警戒していた。またローリエンのエルフにとって、ドワーフはモリアの[[バルログ]]を呼び覚ました元凶でもあった。最初ケレボルンが、ロスローリエンを訪れた[[ギムリ]]に対して冷淡な態度を取ったのもそのためである。

『[[指輪物語]]』においてケレボルンは、モリアを抜けてきた[[指輪の仲間]]の一行を歓迎し、その出立には贈り物と助言を与えた。
[[指輪戦争]]がはじまると、[[ロスローリエン]]の軍勢を指揮して[[ドル・グルドゥア]]からの攻撃に抵抗。[[一つの指輪]]が破壊されると、ケレボルンの軍勢は[[アンドゥイン]]を渡り、ドル・グルドゥアを攻撃、陥落させる。その後ケレボルンは[[闇の森]]で[[スランドゥイル]]と会見し、闇の森を緑の森と改名して分割、旧闇の森南部を「東ローリエン」として己が領土とした。
その後、ガラドリエルと共にエルロンドたちと合流して[[ミナス・ティリス>ミナス・ティリス(ゴンドール)]]に赴き、エレスサール王とアルウェンの結婚式に参列。その後[[ゴンドール]]から[[ローハン]]への[[セオデン]]の葬列にも同行し、一時[[エドラス]]にとどまった。その後[[アイゼンガルド]]で[[木の鬚]]に会ってから、他の者に別れを告げ、ガラドリエルと共にロスローリエンへと戻った。
いずれにせよ、その後ケレボルンとガラドリエルの二人は[[霧ふり山脈]]を越え、第三紀1981年に[[アムロス]]のいなくなったロスローリエンの国を共に治めるようになった(だが王のような称号は持たなかった)。
ケレボルンはドリアス滅亡のことを記憶しており、その引き金となった[[ドワーフ]]のことをずっと警戒していた。またローリエンのエルフにとって、ドワーフはモリアの[[バルログ]]を呼び覚ました元凶でもあった。最初ケレボルンや[[ハルディル>ハルディル(ロスローリエン)]]などが、ロスローリエンを訪れた[[ギムリ]]に対して冷淡な態度を取ったのもそのためである。

[[第三紀]]の終わりとともに、[[ガラドリエル]]は他の[[指輪所持者]]と共に西方に去るが、[[ケレボルン]]は[[中つ国]]に残った。しかしやがて[[ロスローリエン]]の己が領土に倦んだケレボルンは[[裂け谷]]へと去って、[[エルロンドの息子]]と共に暮らしたという。
*** 『[[指輪物語]]』におけるケレボルン [#pf387e46]

『[[指輪物語]]』序文によると、ガラドリエルやエルロンドが中つ国を去ったあと、ケレボルンは[[中つ国]]の[[上古]]を記憶している最後の人物になったという(この文章では[[キーアダン]]については触れられていない)。ケレボルンがいつ[[灰色港]]から中つ国を去ったかは記録にない。
ケレボルンは、モリアを抜けてきた[[指輪の仲間]]の一行を歓迎し、その出立には[[贈り物>ガラドリエルの贈り物]]と助言を与えた。

[[指輪戦争]]では[[ロスローリエン]]の軍勢を指揮して[[ドル・グルドゥル]]からの三度の攻撃を撃退した。[[一つの指輪]]が破壊されると、ケレボルンは軍勢を率いて[[アンドゥイン]]を船で渡河し、ドル・グルドゥルを陥落させた。そしてエルフの新年の元日、[[闇の森]]の真ん中で[[スランドゥイル]]と会見を持ち、闇の森を緑葉の森と改名し、[[森の狭隘部>東入地]]以南を「東ローリエン」として己が領土とした。

その後、ガラドリエルと共に[[エルロンド]]たちと合流して[[ミナス・ティリス>ミナス・ティリス(ゴンドール)]]に赴き、[[エレッサール王>アラゴルン二世]]と[[アルウェン]]の結婚式に参列。[[ゴンドール]]から[[ローハン]]への[[セーオデン]]の葬列にも同行し、一時[[エドラス]]に留まった。そして[[アイゼンガルド]]で[[木の鬚]]に会ってから、他の者に別れを告げ、ガラドリエルと共にロスローリエンへと戻った。

[[第三紀]]の終わりとともに、[[ガラドリエル]]は他の[[指輪の守護者>三つの指輪の守護者]]と共に[[アマン]]へ去るが、ケレボルンは[[中つ国]]に残った。しかしその数年後、[[ロスローリエン]]の己が領土に倦んで[[裂け谷]]へ赴き、[[エルロンドの息子たち>エルロンドの息子]]と共に暮らしたという。

『[[指輪物語]]』序章によると、ガラドリエルやエルロンドが中つ国を去った後、ケレボルンは中つ国の[[上古]]を記憶している最後の人物になったという(この文章では[[キールダン]]については触れられていない)。ケレボルンが[[灰色港]]から中つ国を去ったのがいつのことであったのかは記録にない。

*** ケレボルンの来歴についての異説 [#xce87275]

[[トールキン]]の生前に刊行された『[[指輪物語]]』および、刊行版の『[[シルマリルの物語]]』では、ケレボルンは[[シンダール・エルフ>シンダール]]であり、ガラドリエルとは[[ベレリアンド]]で出会ったことになっている。
だが『[[終わらざりし物語]]』や『[[The History of Middle-Earth]]』などに述べられているトールキンの晩年の構想によれば、ケレボルンは[[アマン]]の[[テレリ・エルフ>テレリ]]([[ファルマリ]])であり、[[アルクウァロンデ]]に住まっていたとある。そこでガラドリエルと出会った彼は、共に[[フェアノール]]の[[同族殺害]]に抵抗して戦い、アルクウァロンデの陥落を逃れると[[ノルドール]]より一足早く船で[[中つ国]]に到達した。そして、ベレリアンドの滅亡以前に二人は[[青の山脈]]を越え、東方の[[エルダール]]の教化に努めたのだとされている。
(ベレリアンド滅亡以前に二人が[[エリアドール]]に入った、という記述以外は((『[[指輪物語]] [[旅の仲間]] 下』「七 ガラドリエルの鏡」本文でガラドリエルは'''ナルゴスロンドあるいはゴンドリンの没落以前にわらわは霧ふり山脈を越え、われらは時代の移り変わる中を長い敗北の戦いを戦ってきたのです。'''と述べており、この箇所は追補編とも刊行版のシルマリルの物語とも異なっている。)))これらの物語はそれ以前に形作られていた物語の内容とは大きな隔たりがあり、晩年のトールキンの構想の変化を示す好例の一つである。
[[トールキン>ジョン・ロナルド・ロウエル・トールキン]]が生前に発表した『[[指輪物語]] [[追補編>指輪物語/追補編]]』および、彼の死後刊行された『[[シルマリルの物語]]』では、ケレボルンは[[シンダール・エルフ>シンダール]]であり、[[ガラドリエル]]とは[[ベレリアンド]]で出会ったことになっている。
だが『[[終わらざりし物語]]』や『[[The History of Middle-earth]]』には、彼の来歴にまつわる様々な異説が収められている。

またこれ以外にも[[第二紀]]のケレボルン(とガラドリエル)の足取りには異説が多く、草稿によっては[[エレギオン]]の創始者でその最初の領主であったとするものや、[[ロスローリエン]]の[[アムロス]]が二人の息子であるとするもの(これは後にはっきり棄却されている)等があり、ローリエンに入った時期も[[第一紀]]、[[第二紀]]、[[第三紀]]のいずれともされるなどはっきりしていない。
もっとも初期の構想では、彼は[[ナンドール・エルフ>ナンドール]]であり、[[アマン]]からやってきた[[ガラドリエル]]と[[第一紀]]に[[ロスローリエン]]で出会ったことになっていた。
その後、上述の刊行版の来歴が構想されたが、さらにトールキン最晩年の構想では、ケレボルンは[[アマン]]の[[テレリ・エルフ>テレリ]]([[ファルマリ]])であり、[[アルクウァロンデ]]に住まっていたとある。そこでガラドリエルと出会った彼は、共に[[フェアノール]]の[[同族殺害]]に抵抗して戦い、アルクウァロンデの陥落を逃れると[[ノルドール]]より一足早く船で[[中つ国]]に到達した。そして、ベレリアンドの滅亡以前に二人は[[青の山脈>エレド・ルイン]]を越え、東方の[[エルダール]]の教化に努めたのだとされている。
これらの互いに大きく隔たった物語は、トールキンの構想の変化を示す好例の一つである。

『[[指輪物語]] [[旅の仲間>指輪物語/旅の仲間]]』「ガラドリエルの鏡」本文ではガラドリエルは'''殿はこの世の黎明の日から西の方に住まい、わらわもまた数えることもできないほど長の年月を殿とともに生きてきました。[[ナルゴスロンド]]あるいは[[ゴンドリン]]の没落以前にわらわは[[霧ふり山脈]]を越え、われらは時代の移り変わる中を長い敗北の戦いを戦ってきたのです。'''と述べており、この箇所は『追補編』および刊行版の『シルマリルの物語』とは矛盾している。このガラドリエルの言葉に合致するのは、上に述べた最初期の構想あるいは最晩年の構想の方である。

またこれ以外にも[[第二紀]]のケレボルン(とガラドリエル)の足取りには異説が多く、草稿によっては[[エレギオン]]の創始者でその最初の領主であったとするものや、[[ロスローリエン]]の[[アムロス]]が二人の息子であるとするもの(これは後にはっきり棄却されている)等があり、ロスローリエンに入った時期も[[第一紀]]、[[第二紀]]、[[第三紀]]のいずれともされるなどはっきりしていない。

** 映画『[[ロード・オブ・ザ・リング]]』における設定 [#Lotrmovie]

|~俳優|[[マートン・ソーカス]]|
|~日本語吹き替え|[[家中宏]]|

『[[ロード・オブ・ザ・リング]] [[スペシャル・エクステンデッド・エディション]]』では、ロスローリエンのシーンでアラゴルンに忠告とエルフの短剣を与えている。
『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』のラストシーンでは、ガラドリエルと共に船に乗って西方へと去った。
『[[ロード・オブ・ザ・リング]] [[エクステンデッド・エディション]]』では、[[指輪の仲間]]に[[贈り物>ガラドリエルの贈り物]]を授けるシーンで[[アラゴルン>アラゴルン二世]]に忠告とエルフの短剣を与えている。この短剣は、アラゴルンが[[ラーツ]]と戦っているときや((ラーツは、自分に刺されたこの短剣をアラゴルンに投げつけるが、アラゴルンは剣ではじいている。戦いが終わった後、回収したところをアラゴルンが鞘に収めているのが確認できる。))、[[黒門の戦い]]で[[トロル]]と戦っているときに使っているのが確認できる。
『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』では、[[灰色港]]で[[ガラドリエル]]と共に船に乗って[[アマン]]へ去った。

*** 画像 [#x84c5b47]

&ref(vlcsnap-00003.jpg,,25%,『ロード・オブ・ザ・リング』におけるケレボルン);

** ゲーム『[[ロード・オブ・ザ・リングス オンライン]]』における設定 [#LotRO]

&ref(ガラドリエル/ScreenShot00643.jpg,,10%,『ロード・オブ・ザ・リングス オンライン』におけるケレボルンとガラドリエル); &ref(ScreenShot_2020-01-02_220038_0.jpg,,10%,『ロード・オブ・ザ・リングス オンライン』の最後の同盟の戦いにおけるケレボルン);

** コメント [#Comment]

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