-アラゴルン二世の先祖、アラゴルン一世(Aragorn I)については[[アラゴルン一世]]を参照してください。
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* アラゴルン二世 [#ifebb378]
#contents
** 概要 [#Summary]

|~カテゴリー|[[人名]]|
|~スペル|Aragorn II|
|~その他の呼び名|エステル、ソロンギル、[[馳夫]]、[[長すね彦>馳夫]]、[[ドゥナダン]]、[[エレスサール]]、翼ある足、エンヴィンヤタール、テルコンタール、西方の王|
|~種族|[[人間]]([[ドゥーネダイン]])|
|~性別|男|
|~生没年|[[第三紀]]2931年3月1日~[[第四紀]]120年3月1日。ドゥーネダイン族長2951年~3019年(68年間)|
|~親|[[アラソルン二世]](父)、[[ギルライン]](母)|
|~兄弟|なし|
|~配偶者|[[アルウェン]]([[第三紀]]3019年夏至)|
|~子|[[エルダリオン]](息子)、娘複数人|

** 解説 [#Explanation]

|>|>|~[[北方のドゥーネダインの野伏>野伏]]の族長|h
|CENTER:15代:[[アラソルン二世]]&br;[[第三紀]]2930~2933|CENTER:''16代:アラゴルン二世''&br;2951~3019|CENTER:-|

|~[[亡国の民の王国]]の王|>|~[[再統一された王国]]の王|h
|CENTER:15代[[アルセダイン]]王:[[アルヴェドゥイ]]&br;[[第三紀]]1964~1974|CENTER:''初代:エレスサール''&br;[[第三紀]]3019~[[第四紀]]120|CENTER:2代:[[エルダリオン]]&br;120~|
|CENTER:33代[[ゴンドール]]王:[[エアルヌア]]&br;[[第三紀]]2043~2050|~|~|

[[指輪戦争]]時の、北方の[[野伏]]([[ドゥーネダイン]])16代目族長。[[エレンディル]]の息子[[イシルドゥア]]の末裔に当たるため、[[北方王国]][[アルノール]]と[[南方王国]][[ゴンドール]]の正当な王位継承者である。
アラゴルンは[[ガンダルフ]]の友として[[フロド・バギンズ]]を助け、[[指輪の仲間]]の一人としてフロド一つの指輪]]を破壊するための旅に同行する。[[パルス・ガレン]]で指輪の仲間が離散した後は、[[サルマン]]や[[サウロン]]と戦う[[ローハン]]、[[ゴンドール]]を救援するため[[角笛城の合戦]]や[[ペレンノール野の合戦]]に参加、またフロドの旅を援護するため、[[ガンダルフ]]らと共にゴンドールやローハンの軍勢を率い、[[モルドール]]の[[黒門]]に陽動攻撃を仕掛ける。フロドの任務が成功し、戦いが勝利に終わった後は、[[ゴンドール]]と[[アルノール]]の[[再統一された王国]]の王として戴冠し、婚約者であった[[アルウェン]]と結婚。西方世界の王として、サウロンの被害を受けた[[中つ国]]の再建を行った。

*** 生い立ち [#q2c55053]

第三紀2931年に生まれ、その後2933年に父親の[[アラソルン二世]]を亡くす。そのため母親の[[ギルライン]]と共に[[裂け谷]]に行き[[エルロンド]]の養子として育てられる。アラゴルンは、敵の目から守るためその出生を秘密とされ、エステル([[シンダール語]]で「望み」の意)の名で呼ばれた。
アラゴルン二世は[[エレンディル]]の子孫の中でも、最もエレンディルその人に似ていると言われ、また、エレンディルの子[[イシルドゥア]]の長子[[エレンドゥア>エレンドゥア(イシルドゥアの息子)]]に生き写しであり、エレンドゥアを覚えているエルロンドなどは驚いたという。
やがて成人した2951年、アラゴルンはエルロンドより自らの出生の秘密を明かされ、折れた[[ナルシル]]と[[バラヒアの指輪]]を渡される。その直後にアラゴルンは[[アルウェン]]に出会って恋に落ちる。だがエルロンドは彼の目からそのことを読み取り、アラゴルンが試練を経て、しかるべき時が来るまでは、何人とも婚約することを禁じた。

*** ソロンギルの名での旅 [#i554a249]

そのため彼は各地を放浪して旅を続ける。2956年には[[ガンダルフ]]に出会って友人となり、彼と共に様々な旅をした。その後アラゴルンは素性を隠し、各地で[[サウロン]]の手先と戦うようになる。

アラゴルンは2957年より、自分の本来の名を隠しつつ、[[ローハン]]の[[センゲル]]王([[セオデン]]王の父)、また[[ゴンドール]]の[[執政]][[エクセリオン二世]]([[デネソール二世]]の父、[[ボロミア]]の祖父)に仕える。その時アラゴルンはマントに銀の星を付けていたため、「星の鷲」の意であるソロンギルと呼ばれていた。ソロンギルは特にゴンドール国民に人気があった(そのため[[デネソール二世]]にねたまれる。またデネソールはソロンギルの正体に感づいていたため、彼が王位を要求しないかと恐れていたようである)。
ゴンドールにおいて、[[海賊]]の脅威を感じていたソロンギルはエクセリオン二世の許しを受け、小艦隊を率いて[[ウンバール]]を奇襲する。それにより、わずかな損害と引き替えにウンバールの船の大半を破壊するという大戦果を上げ、[[ゴンドール]]南部沿岸地方の脅威を大幅に軽減した。だがアラゴルンは、彼を褒め称える[[ミナス・ティリス>ミナス・ティリス(ゴンドール)]]の町には戻らず、そのままひとり姿を消す。当時ゴンドールの国民はこのことを重大な損失と見なし、競争者即ちデネソールが主君(執政)となる前に自ら去ったのだと考える者もいた。

ゴンドールを去ったアラゴルンは[[影の山脈]]へ向かったようである。それから後、休息を取るため[[裂け谷]]に向かおうとしていて、2980年に[[ロスローリエン]]の近くを通りかかったところ、[[ガラドリエル]]の導きでこの地に招き入れられる。そしてたまたま同じくローリエンにいたアルウェンに再会し、[[ケリン・アムロス]]で婚約の誓いを交わして、アルウェンに[[バラヒアの指輪]]を渡した。だがその後[[エルロンド]]には、アルウェンの夫となるには、[[アルノール]]と[[ゴンドール]]を統べる王以上の人間にならなければならないと言い渡された。

>こうしてかれは遂に現存する人間の中でもっとも艱難辛苦に耐えうる者となり、人間の技と学問に長けた者となった。しかもかれは人間以上であった。かれはエルフの智恵を持ち合わせ、その目に光る眼光が燃える時目を伏せずに耐えられる者はほとんどいないくらいだった。かれの顔は課せられた運命ゆえにきびしく悲しげであったが、その心の奥底には常に望みが宿り、そこから時折岩から泉が湧き出るように喜ばしい笑いが沸いてくるのであった。((『[[指輪物語]] [[追補編]]』[[アラゴルンとアルウェンの物語]]))

*** 『[[指輪物語]]』でのアラゴルン二世 [#m14e6c14]

3001年、アラゴルンは[[ガンダルフ]]より、[[ホビット庄]]周辺に敵の間者が集まっているためホビット庄を守る手助けをして欲しいということと、[[一つの指輪]]の存在を確認したいというガンダルフの相談を受ける。そこで、[[野伏]]によるホビット庄の守りは倍加される。またアラゴルンは[[ゴクリ]]を捜索して、指輪が発見された経緯を確認することを提案。2人は3009年より約8年間、断続的にゴクリの捜索を行った。
アラゴルンは、ガンダルフが一つの指輪に関する[[イシルドゥア]]が残した記録を調べるため[[ゴンドール]]へ向かった後も、一人でゴクリ捜索を続けていた。やがてついに3017年に[[死者の沼地]]でゴクリを発見する。ゴクリを[[闇の森]]まで連れて行った後は、アラゴルンはホビット庄をサウロンの手先から密かに防衛するという任務に従事。ガンダルフより、[[フロド・バギンズ]]が指輪とともに[[裂け谷]]へ向かうことになったとガンダルフに知らされていたアラゴルンは街道の監視を続け、3018年9月29日、[[ブリー村]]でフロド達に出会う。この時、フロドたちには[[バーリマン・バタバー]]より[[馳夫]]の名で紹介された。

>突然フロドは、壁に近い暗がりにすわっている、変わった様子の日焼けした男が、やはり熱心にホビットたちの話に聞き耳を立てているに気がつきました。かれは背の高いふたつきの大ジョッキを前に置き、珍しい彫りものを施した柄の長いパイプをふかしていました。前に伸ばされた両脚には、かれによく似合うしなやかな皮の長いブーツを穿いていましたが、それはかなり穿き古したもので、その上泥がこびりついていました。旅に汚れた厚地の濃い緑のマントをぴったり身にまとい、これほど部屋が暖かいのに、顔が隠れるくらい目深に頭巾をかぶっていました。それでも、ホビットたちをじっと見守ってる時のかれの目の輝きを、フロドは見てとることができました。

>フロドが気がついてみると、馳夫は今度はかれの方を見ていました。まるでフロドと[[亭主>バーリマン・バタバー]]の間に交わされた話を全部聞いたのか、それとも考えあてたかのようでした。やがて、かれは手招きをし、顎をしゃくって、フロドにそばに来てすわるようにいいました。フロドが近づくと、かれは頭巾を後ろにずらしましたので、半白のもしゃもしゃ頭が現われました。血の気のないきびしい顔には、二つの鋭い灰色の目がありました。((『[[指輪物語]] [[旅の仲間]]』九 躍る小馬亭で))

アラゴルンはフロドたちを[[裂け谷]]まで案内。途上[[風見が丘]]でフロドが[[魔王]]に[[モルグルの刃]]で刺された際には、[[アセラス]]を用いて治療を試みている。しかしモルグルの傷は彼の手にすらあまるものであり、アセラスで病状の進行を遅らせつつ裂け谷へ急いだ。[[ブルイネン]]では他のホビット達とともに火を用いて[[ナズグール]]を追い詰めている。彼は、裂け谷にて鍛え直されたナルシルに[[アンドゥリル]]という名を新たにつけ、改めて身に帯びるようになる。さらに彼は[[指輪の仲間]]の一員として、フロドたちと冒険を共にすることになり、12月25日に裂け谷を出発。翌3019年1月15日に[[モリア]]で[[ガンダルフ]]が奈落に落ちてからは、一行の導き手として彼らを[[ロスローリエン]]に案内した。ロスローリエンではガラドリエルより、[[エルフのマント]]や[[レンバス]]などの他に、アンドゥリルの鞘を受け取っている。
3019年2月16日[[パルス・ガレン]]で指輪の仲間が離散した後は、フロドの運命は自らの手から離れたことを悟り、アラゴルン自身は[[レゴラス]]、[[ギムリ]]と共に、[[オーク]]にさらわれた[[メリアドク・ブランディバック]]、[[ペレグリン・トゥック]]の救出に向かった。
アラゴルンたちは四日で四十五リーグ((1リーグは3マイルにあたり、約4.8km。つまり45リーグは約250kmとなる。))を踏破するという驚くべき追跡を行い、その途中彼らは、[[エオメル]]に出会う。エオメルから[[ローハン]]の馬[[ハスフェル]]を借り、メリー、ピピンの追跡を続行。[[ファンゴルン]]に入ったところで、白の魔法使いとなった[[ガンダルフ]]と再会した。
メリー、ピピンの無事を知らされたアラゴルンたちはガンダルフと共に、ローハンが[[サルマン]]の軍勢と戦うのを援助。こうして、ローハン軍が[[ゴンドール]]の救出に向かえるようにする([[角笛城の合戦]])。その過程でアラゴルンは、[[エオメル]]との友情をはぐくんだ。

[[オルサンク]]でのサルマンとの対決後、アラゴルンは[[角笛城]]にて、[[オルサンク]]の[[パランティーア]]を使用し、[[サウロン]]に自分の姿と、鍛え直されたアンドゥリルを晒して挑戦。サウロンの目をフロドから逸らさせると同時に、パランティーアの力で、[[ミナス・ティリス>ミナス・ティリス(ゴンドール)]]南方から[[モルドール]]の同盟軍が迫っていることを知る。そこでアラゴルンはエオメルやローハンの軍勢とは別れ、[[レゴラス]]と[[ギムリ]]、そして裂け谷より派遣されて新たに合流した[[エルラダン]]、[[エルロヒア]]、それに[[ハルバラド]]をはじめとする北方の[[野伏]]たち[[灰色の一行]]とともに、自分のために届けられた乗馬[[ロヘリン]]にまたがって、[[死者の道]]を経由して[[エレヒ]]へと向かう。彼はエレヒにて、イシルドゥアの呪いによりこの地に縛られていた[[死者の軍勢]]を招集して、[[ペラルギア]]方面にいたサウロンの同盟軍を駆逐。[[海賊]]の船を奪うと、南方のゴンドール同盟軍を船に乗せて[[アンドゥイン]]をさかのぼり、[[エレンディルの旗印>エレンディルの印]]を掲げ、[[エレンディルミア]]を身につけて[[ペレンノール]]へと到達。[[モルドール]]軍に包囲されていた[[ミナス・ティリス>ミナス・ティリス(ゴンドール)]]を救出した([[ペレンノール野の合戦]])。
またアラゴルンは、[[黒の息]]に冒された[[ファラミア]]、[[エオウィン]]、[[メリアドク・ブランディバック]]ほか多数の人々を、アセラスと癒やしの力で救う。この時アラゴルンは、「王の手は癒しの手」という伝承との符合とともに、身につけていた[[緑の石]]のため、ゴンドールの人々から「エルフの石の殿」即ち''[[エレスサール]]''と呼ばれるようになった。

その後アラゴルンは、[[ガンダルフ]]や[[エオメル]]らと共に、[[ゴンドール]]、[[ローハン]]の軍勢(西軍)を率いて3月18日に[[黒門]]前まで進軍を開始。自分たちを囮にして、フロドのモルドール侵入を容易にしようという作戦であった。彼らは3月25日、黒門前でモルドール軍の包囲に対し、[[燃えかすの山]]の上に陣取って迎え撃った。その戦いのさなかに、フロドが[[滅びの罅裂]]で[[一つの指輪]]を破壊することに成功。[[サウロン]]による統制を失うとともにその敗北を目の当たりにしたモルドール軍とその同盟軍は総崩れとなり、西軍は大勝利を収めた。

勝利を収めた西軍は[[コルマルレン]]の野に野営し、アラゴルンは、[[グワイヒア]]らによって救出されたフロドと[[サム>サムワイズ・ギャムジー]]を癒やす。それからミナス・ティリスへ凱旋し、[[イシルドゥア]]の世襲である正当なゴンドールの王位後継者として、[[エアルヌア]]が[[ラス・ディネン]]に置いていった[[ゴンドールの王冠]]を戴き、[[エレスサール]]王として5月1日に戴冠した。

同年の夏至の日にはエレスサール王は、[[裂け谷]]からミナス・ティリスにやって来た[[アルウェン]]を迎え、婚礼を遂げた。人間の諸侯のみならず、裂け谷と[[ロスローリエン]]の諸侯も参列する中、彼は[[エルロンド]]より[[アンヌーミナスの王笏]]を受け取り、統一された[[北方王国]]と[[南方王国]]の王として戴冠し、''西方の王(King of the West)''とも呼ばれるようになる。

*** 第四紀のエレスサール王 [#g1c30188]

エレスサール王は、なおも東方・南方にてサウロンの同盟軍の残党と戦わなければならなかったが、エレスサール王の元で、西方諸国はかつてない繁栄と平和を得ることができた。[[ホビット庄]]は統一された王国の範疇であったが、そこをホビットの自治区とし、人間の立ち入りを禁じた。彼自身もそれを守り、[[サムワイズ>サムワイズ・ギャムジー]]をはじめとした友人達と会うため、王と王妃らはしばしば[[ブランディワイン橋]]のたもとまで行幸することがあったが、庄内に立ち入ることはなかった。その代わり友人達は、再建された[[アンヌーミナス]]の館へ招かれた。
エレスサール王は、[[エレンディル]]以来のもっとも偉大な王として、120年の間ゴンドールと[[アルノール]]の再統一された王国を統治する。またアルウェンとの間には、[[エルダリオン]]をはじめとする子を残した。
だが[[第四紀]]120年、自らの死期を悟ったエレスサール王は、エルダリオンや娘たち、そして[[アルウェン]]に別れを告げると、[[ラス・ディネン]]に自分のために用意された棺台に身を横たえ、[[ドゥーネダイン]]に残された「自らが望むときに生を返上する」という恩寵を受け、崩御された。[[メリアドク・ブランディバック]]と[[ペレグリン・トゥック]]の棺台は、王の棺台の傍らに並び置かれたという。

>するとその顔には大いなる美が顕われたので、後にここにやってきた者たちはすべて驚嘆してかれを眺めたのである。なぜならかれらはかれの青年期の優雅さと、壮年期の勇猛心と、老年期の叡智と威厳がことごとく一つにまじり合っているのを目のあたりに見たからである。そして長くかれはそこに横たわっていたが、それはこの世が破壊される以前の翳ることのない栄光の中にある人間の王たちの輝くような威容を偲ばせる姿であった。((『[[指輪物語]] [[追補編]]』[[アラゴルンとアルウェンの物語]]))

*** 多数の名前の意味 [#o3aaa70a]

:アラゴルン|意味は正確には不明。[[ドゥーネダイン]]の族長としての名
:エステル(Estel)|シンダール語で「望み」の意。サウロンの手先からアラゴルンの正体を隠すためにつけられた幼名。エレスサール王のいまわの際、アルウェンにもこの名で呼ばれていた
:ソロンギル(Thorongil)|シンダール語で「星の鷲」の意。彼が[[ローハン]]及び[[ゴンドール]]に仕えていたときの名。彼が眼光鋭く、またマントに銀の星をつけていたため
:[[馳夫]]|[[ブリー郷]]での通り名。詳細は[[馳夫の項目>馳夫]]を参照
:長すね彦|[[しだ家のビル]]がアラゴルンを呼んだ名。[[馳夫の項目>馳夫]]を参照
:[[ドゥナダン]]|[[シンダール語]]で「西方の人」の意。[[ドゥーネダイン]]の単数形。[[裂け谷]]での呼び名
:[[エレスサール]]|シンダール語で「エルフの石(Elfstone)」の意。[[ガラドリエル]]によって予言された名で、実際にゴンドールの人々からこの名で呼ばれるようになる。アラゴルンが[[緑の石]]を身につけていたため
:翼ある足(Wingfoot)|ローハンで出会ったエオメルから名付けられた名前。四日で四十五リーグを踏破したことを讃えられたもの
:エンヴィンヤタール(Envinyatar)|中興王(Renewer)の意。アラゴルン二世が名乗った王としての名
:テルコンタール(Telcontar)|シンダール語で馳夫(strider)の意。アラゴルンを初めとするアルノールとゴンドールの王家の名。&br;'''しかしもし我が家系が創立されたなら、その王家の名称は馳夫としよう。これも古代語でいえば、響きはそう悪くはない。わたしもわたしの直系の世継たちもみなテルコンタールを名乗ろう。'''((『[[王の帰還]]』[[ピピン>ペレグリン・トゥック]]が馳夫と呼ぶのを聞いた[[イムラヒル]]の反応を受けてのアラゴルンの言葉))
:西方の王(King of the West)|[[再統一された王国]]の王としての名。その版図が[[中つ国]]西方に広がっていたため。

** 画像 [#x9aacf1f]

&ref(AlanLee-37-EowynAndAragorn.jpg,,25%,アラン・リー作画によるアラゴルンとエオウィン); &ref(haseobyterashima.jpg,,30%,寺島龍一作画による馳夫(アラゴルン));

** 映画『[[ロード・オブ・ザ・リング]]』における設定 [#Lotrmovie]

|~俳優|[[ヴィゴ・モーテンセン]]|
|~日本語吹き替え|[[大塚芳忠]]|

キャスティングは当初[[スチュアート・タウンゼンド]]として発表されていたが、撮影開始直後に[[ヴィゴ・モーテンセン]]に変更された(詳細は[[スチュアート・タウンゼンド]]の項目を参照)。

最初は、自分の血に流れる力に若干の迷いがあるキャラクターとして描かれているが、[[ボロミア]]の死や、[[エルロンド]]の言葉などにより決意を新たにする形になっている。

彼は折れた[[ナルシル]]を持ち歩いておらず、[[指輪の仲間]]として裂け谷を出発したときも[[アンドゥリル]]は持っていない。アンドゥリルは、彼が[[馬鍬砦]]にいるときに[[エルロンド]]が届けにやってくる。
また(原作では[[アルウェン]]に与えているはずの)[[バラヒアの指輪]]を、終始自分が身に付けている。
モーテンセンが「[[野伏]]は弓を持っていないと狩りが出来なくて飢え死にしてしまう」という指摘により、原作では触れられていなかった弓矢も携行しており、[[モリア]]の戦闘で使っている。[[ロスローリエン]]ではアンドゥリルの鞘の代わりに、[[ケレボルン]]より[[エルフ]]の短剣を受け取っている(受け取るシーンは[[エクステンデッド・エディション]]にのみ収録)。[[ボロミア]]を葬った後、彼が使っていた手甲を形見として身につける。
乗馬の[[ロヘリン]]は登場せず、代わりに[[ブレゴ>ブレゴ(馬)]]のエピソードが追加されている。

*** グッズ [#Goods]

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#amazon(B00438ZDVQ)
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#amazon(B000FUMDO6)
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** ゲーム『[[ロード・オブ・ザ・リングス オンライン]]』における設定 [#Lotro]

最初は「馳夫」として[[躍る小馬亭]]におり、フロドが[[ブリー村]]に辿り着くための援護をするよう依頼するクエストを与えてくる。
その後アラゴルンは[[裂け谷]]に移動。こちらで、[[アングマール]]に向かった野伏の消息を探る任務や、[[ナルシル]]を鍛え直すための部品を捜す任務を与えてくる。
さらにその後、[[ロスローリエン]]の[[カラス・ガラゾン]]に移動したアラゴルンに会うことができる。ロスローリエンでは、アラゴルンと[[ケリン・アムロス]]や[[アルウェン]]とのエピソードについて触れたクエストがある。
その後は[[エドラス]]、[[角笛城]]で再会、[[角笛城の合戦]]を共に戦うことになる。

** コメント [#Comment]

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