水の辺村の合戦
- 人間のごろつきだって・・・。今の時代だったりして・・、なんちゃって。人間のいい性質が回復すればいいけど。みせかけでない、思いやりとか、心からのいい友情とか。 --
- 自分の二倍の背丈で、粗暴で、武装した敵と対峙するのはなかなかしんどそうだ。私達アタニの感覚では「実家へ帰省したらトロルが支配してた!」級だと思う。 --
- 想像したらイヤすぎるw それを撃退したんだからホビットって頑健な種族だよなぁ。 --
- 映画向きではないしあの世界では描写されなくても仕方ないけれど、本当はとても重要な場面。フロドを語るには特に。 --
- 合戦そのものではないですが、サムがロージーのところに行って、ロージーに追い返される場面が大好きです「これに答えるには1週間かかります。でなければ、答えはなしです」 --
- この場面をスピンオフとして映画でもTVシリーズでも良いから観たい。王の帰還劇場版ではサルマンも生きているままだしその流れで戦わせて、ホビットをもっと盛り上げてほしい。 --
- サルマンは映画版ではエクステンデッドエディションでグリマにナイフで背中を刺されて、オルサンクから落ちて、壊れた水車から出た突起物に刺さります その振袖から落ちたパランティアをメリーが拾うシーンがあります --
- なので、サルマン対ホビットたちのオリジナル後日譚はできないです やるとしたら原作通りのごろつき もしくは映画オリジナルでオーク残党、行き場をなくした東夷、トロルとかでしょうか? --
- ここでの劇場版はエクス店でっとエディションじゃない方だと言う意味だと思うの。 -- 権兵衛
- ガンダルフに別れ際に「お前さんたちは自分達だけで十分な解決能力を持つだけの成長をした」という旨を言わしめ、実際に自分たちで難題を解決。世界を危機から救った最後の冒険が自分たちの日常を守る戦いという展開がまたいい味を出している --
- この場面、漫画だったら本誌連載が一旦完結した後で、別誌で完結編と銘打って連載するやつですよね? --
- この戦いがないとフロドが西へ旅立つ意味が相当薄れてしまう。戦争して帰ってきて母国は平和そのもの、という映画版はいかにもアメリカ的。 --
- サルマンとグリマの末路やホビットも理想的な種族じゃない等、あるとないとでは全然変わってくる。 --
- 映画だとアクション要素の強い方が印象に残っちゃうから、これがないとフロドが影が薄くなるんだよな。 --
- でも原作通りに挿入すると、輪をかけて「フロドはへたれ」とか言われそうです(汗 --
- ↑それは水の辺村の合戦の有無ではなく、全般的なフロドの描き方のせいでは。映画のフロドは自主性が弱く描かれてしまっているので、そういう意見を持つ人が出るのでしょう。 --
- だから「輪をかけて」と書いたんですよ。水の辺村の合戦では、フロドは息巻くホビットたちを諫める役に徹していましたから、映像化しても分かりやすいアクションシーンには、ほとんど関わらないでしょうからね。 --
- でも戦闘に顔を出してるだけである程度は出番があったはず。映画はほとんどペレンノールに持ってかれてフロドたちのシーンはCMみたいな感じになってたから。 --
- ワーナー兄弟社が映画もっとつくる言ってるけど、この辺の映画化もありなのかな(追加分でシャーキー末路は別にしてたか) --
- 褐色国の内戦の敗者が水辺の戦いに従軍していたとされ、サルマン軍の人間の士気は低かったとされている。 --
- 伏兵を配した上で敵の退路を断ち包囲殲滅すると言う高等戦術は黒門の戦いから学んだんだろうな。攻守逆ではあったが。 --
- 旅の途上で経験してきた戦いは文字通り戦争・戦記って感じだけど、この合戦の流れはヒャッハー達の流入の経緯も含めてヤクザとの抗争みたいな趣がある。 --
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