亡国の民の王国
- 「再統一」といいますが、そもそもそれ以前に南北が統一されていた時期なんてありましたっけ?もちろん建国当初は概念的には一体感はあったのでしょうが、あくまで別個の王国だったような・・・ --
- この記事でも述べられていますが、エレンディル~イシルドゥアの時代には「ドゥネダインの王国」として一体のものと見なされていました。アルノール側の認識では、イシルドゥアはあくまで南方王国を甥に「委ねた」のであって「かれはゴンドールにおけるかれの王権を譲渡したのでもなければ、エレンディルの王国を永久に分割しようとしたのでもない」(追補編)とされています。この認識を裏付けるものとして、たとえばアンヌミナスの王錫、エレンディルミア、バラヒアの指輪と、由緒あるドゥネダインの王を示す品々は全て北方王国に属するものです。一方でゴンドールの王冠は、元来はイシルドゥアが戦場で帯びた兜だったものが後世に権威化されたものですから、つまり初期の南方王国には王位を示す特別な品がほとんど存在していなかった節がある。真の意味での王位(上級王位)はアルノールの側にあると考えられていた可能性が高いです。 --
- 白の木は南方王国ですけどね。 --
- 白の木は王家の運命と結びついた象徴ではありますが、「王が身に帯びる象徴」(レガリア)ではありませんからね。 --
- その白の木も元々イシルドゥアが戦いで死んだアナーリオンの記念として植えたものだから、結局起源はイシルドゥアに由来する(そもそも、ヌーメノールのニムロスが伐り倒される前にその実を命がけで盗み出したのが彼だった)。 --
- おそらく両国が初期には地理的に一体として繋がっていなかったからそう見えるんでしょうな。 --
- アルノールとゴンドールの間の沿岸地方の存在感があまりにも薄いですし…… --
- 再統一された王国の領土をネットで探してみたら、エネドワイスを含めて北方と南方が一体化していて感激した。 --
- 片や王国は滅び去ったが王統は保たれた。片や王国は維持できたが王の血筋が絶えた。最後にはそれら(アラゴルンとゴンドール)が合体した。話がようできてますな・・ --
- しかも王家の血統はイシルドゥア王家、アナリオン王家その両方ともエレスサール王には流れていますしな --
- 冒頭の詞の翻訳はほんとに素晴らしい。僕は暗唱するぐらい好きです。誰が翻訳したのかわかりませんが、不思議なリズムがあって頭にしみこむように憶えられました。 --
- 欧州で言うとどっからどこくらいまで領地なんでしょ一時期の 東ローマ帝国くらい? --
- ローマ帝国の復興と再統一は欧州諸国が1000年以上追い求め続けた夢だった。叶わなかったその夢を教授が物語に託してくれたんだな --
- そのローマを滅ぼしたのは欧州人なんだよなぁ 本当の後継国家の東ローマ帝国も見捨てたし --
- 当時は皇帝の位が空位になったってだけで帝国自体が消失したとまでは考えてなかったよ。だからカール大帝が旧領を統一した時にローマ皇帝の位を授けられた --
- 滅びた要因が自分らにあるからって再興を願っちゃいけないの?なら戦国時代の日本人も天下統一を目指す道理は無いし、魏も呉も蜀も正統性無いよね --
- 再統一された王国って複数の王国や領域を治めるということで、「帝国」と名乗っても良さそうな気もする。やっぱり字面の印象が悪いからって教授の裁量で避けたのかな。 --
- まあ多少メタ的な話をするとそうでしょうし、ヌメノールすら帝国を名乗らないあの世界で皇帝を名乗っても「は(笑)?」扱いでしょうね。それに帝国の定義である複数の国家民族を支配しているという点を再統一王国が満たしているかは微妙ですね。アルノールもゴンドールも元は1つの国ですし、ローハンもエルフもドワーフもホビットも事実はともあれ形上は対等な同盟者でしょうし。 --
- そもそも「帝国Empire」という概念が存在しない時代でしょうし、ラテン語インペラトル(命令権者=軍司令官)に由来し、称号としての成立経緯が史上明らかなEmperorは(西方語からの訳語であるとしても)束教授は使わないでしょうね。上級王High Kingはその点、中世初期のイングランドなどで諸王国の盟主たる王の称号だったので、中つ国に相応しいものとして使用されたのかと思います(ここらへん、誰かが教授本人に質問してそうな気がする)。 --
- もう一つ言うと、欧州においては、血統が最重要視されるKingに対してEmperorは血筋の重要性が低い地位(選出される存在)だったので、その点でもエルフとエダイン各族の血筋を継ぐエルロスの後裔には不相応と考えたのかもしれません。 --
- 再統一したとはいえ、北方で急激に人口が増えたとは思えない。(増えようにもそもそもの人口がいないしエルフは去るしドワーフもホビットも衰える運命だし) 再統一されたとはいえ帝国の実態はずっと南方にあったんだろうな。エリアドールはそのうち間接統治になりそう。 --
- いま岩波新書のシリーズ中国の歴史4巻の「陸海の交錯」を読んでいて、明の洪武帝が華北と江南という文化や経済などが全く異なる地域を統一支配する体制作りに苦心していたのを見て、エレスサール王の再統一された王国はどうやって南北再統合を成し遂げたんだろうかと思った。 --
- 『中つ国歴史地図』の推定ではアルノールの最大面積248540平方マイルで一番近いのは南スーダン。ゴンドールは直接統治した最大版図(リューンやハロンドール、灰色川までを含む)が推定716425平方マイルで一番近いのはスーダン。なので亡国の民の王国の最大版図はあわせて旧スーダンくらいという、いまいち謎な例えが成立してしまう --
- でも旧スーダンの面積って確か「面積広い国ランキング」なら10位くらいだから割と妥当な気もする。日本6個分と考えたら中世文明では充分大国家でしょ。
最盛期ローマの5割6割はあるわけだしさ。
人口希薄地はあってもブラジルみたく未開の密林ばっかなわけじゃないし。
騎馬民族国家や帝国主義時代の列強、ロシアアメリカ、中国あたりが国土の広さ異常なだけで。 --
- そうなんだけどさ、まさかそんなもとは同じ国だった二カ国とそれぞれ一番近いとかぴったりの例えにできるとは思わないじゃんw --
- あー、そういうことか。理解しました。
おあつらえ向きにピッタリだったって事ね。 --
- 中国史上には亡国の民の王国が何度も出現してるよね。 --
- 後●朝みたいな --
- 蜀漢、東晋、南宋etc --
- フランク語風に言うと、イシルディング朝とアナリング朝かな --
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