ニエンナ
- Nieは哀しみ、nnaはtoやtoward、intoの意味になるらしいので、ニエンナの名の意は「哀しみに向かう者」ではないでしょうか。
- 他人を思い、涙を流すことはあるが、自分の為に悲願し、涙を流すことはしないそうです。
ある意味強い女性ですよね。
- クウェンタ・シルマリオンによると、彼女の衣は、ガンダルフと同じ灰色(フード付き)だそうです。
- 他のヴァラールとは違い、メルコオルに対して憎むこともなければ、責めを負わせようともしない。
裏切られてもなお、彼の行為に涙を流し続ける彼女は、ある意味特質っていうか異質な存在なのかもしれません。
- それを言うなら「哀しみに立ち向かう者」の方が無難じゃないか?
- HoME設定だとマンウェとメルコオルの妹だったよな。
- ガンダルフに憐れみと忍耐について教えを説いたと言われ、その教えはゴラムの話のときのフロドとの会話に生きている。
- ニエンナがこの神格系を司るきっかけとなったのはメルコオルの独奏がきっかけだそうで。
- 俺的に、他人に害を及ぼすという理由だけで、悪を悪と呼んでいいのか、ニエンナの存在はそう訴えかけている存在に見える。俺を含めた現代人の感覚では到底捉えきれない「悪」の本質を見切っていた人物ではないだろうか。
- 一日何リットルぐらい涙を流すのか気になる。
- 直接ではないが、結果的に見るとメルコオルとの絡みが一番多いヴァラでは?
- マンドスの砦に幽閉されたとき、メルコールの釈放をナーモに訴えたみたいですが。
メルコールのどこがそんなにいいんだろう…。永遠の謎だ。
- メルコールもまた一つのイルーヴァタールが創った存在であることを他のヴァラよりもはっきりと自覚していたんでしょう
- 正直「余計なことを・・・」と言いたいところですが、家族に嫌われてる不肖の弟を一人だけ庇う姉みたいですねw --
- あくまで映画視点だけど彼女の教えはオローリンを介してビルボそしてフロドに伝わり最終的には中つ国を救ったことに。 --
- HoME見ると、最も初期の設定ではメルコールとマンウェの妹って設定だったので、その名残でしょう。 --
- ニエンナがメルコールの釈放をお願いしたのは、メルコール自身が改心したと思っているからだと思います。じゃなかったら、メルコールの釈放をお願いしませんよ。 --
- 改心を信じたというより、むしろ改心を促すために恩赦を口添えしたのかもしれません。
彼女の慈愛は誰よりも深い嘆きから生ずるため、悪を知らぬとされるマンウェよりも悪を理解しているでしょうから。 --
- ちょっとしか出てこないのに、凄いこの存在感を持っている御方だな --
- 聖域っぽいイメージがある --
- (正史データ)死の女王=ペルセフォネ(ギリシア神話に出てくる冥界の王ハデスの后)。 -- ホビット
- 記事の「ガンダルフ」は「オロリン(ガン爺)」のほうがいいですね --
- アイヌアの歌の第三の主題そのもののような御仁。「一つは深く、ゆったりとして、美しく、しかも緩やかで、測りがたい悲しみが混ざり合っていた。この音楽の美しさ自体が、何よりこの悲しみから生じていたのである。」 --
- 「世界の壁の外に開いた窓がある」というのは、何を象徴しているのでしょう? --
- アルダの内側に現存するものより、そこから失われてしまったものに目を向けている(悼んでいる)ということの象徴ではないでしょうか。 --
- アザセルさんにこんな大天使がいたな --
- 植物を育てる特性と戦争や犯罪の罪を洗い流す特性から雨を強く連想させるがニエンナが雨を降らせるという表現はされたことってあったっけ? --
- HoMEは読めませんが翻訳されたものには無かったような。ただ雨を生じさせたウルモやマンウェも憐れみ深くニエンナに共感するところ大きいでしょうから、雨音には彼女の哀歌も鳴り響いているのかも。 --
- 二つの木を涙で生い茂らせたのは「雨が植物を育む」というような一般的な意味合いではなく、アルダが被害を被るという悲運から、より素晴らしい二つの木が誕生することになったという、アイヌリンダレでも語られているような「悲しみ」の象徴的意味合いの方が強いと思います。罪を洗い流すというのも雨の比喩ではなく、そのまま悲しみの浄化作用かと。即物的な雨との関連は薄いと思われます --
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