ロガス

概要

カテゴリー種族
スペルLogath
別名北ウガス(Nothern Ulgath),ムルガス(Murgath),ガルガス(Gargath)

解説

ICEの設定に登場する東夷の一派。東夷の使用するロガシグ語は彼らに由来する。

カルネンの東側、くろがね連山の南東の平野に住んでおり、この地域一帯はロガサヴルド(Logathavuld)と呼ばれる。東夷の中では最も数が多く、500人以上の集団からなる部族が100近く存在する。その中で最も強い影響力を持っているイバール家(Ibar Clan)が事実上の支配者となっている。イバール家が本拠地を置く都市サドヴァール(Sadvar)を首都に定めている。

東夷の中では比較的西方の国々に友好的な人々で、同族のサガスが絶えず闘争に身を置いているのに対し、平時のロガスはドルイニオン北方の自由の民と交易を行って暮らしている。だが、いざ戦いとなれば、他の東夷と同様に冷酷で野蛮な戦士にもなった。交易では革や角、肉、乳製品などを取引する。

牛や羊を飼い、季節ごとに宿営地を移動しながら生活している。移動経路と宿営地は部族ごとに決められており、家畜の頭数や放牧地の広さが富の豊かさを測る基準とされている。放牧は男性の仕事とされ、毎年冬になると各々の集落に戻り妻子と再会する。女系社会で、伝統や文化は主に女性によって受け継がれる。遊牧生活はリューンの東夷の一般的な生活形態だが、これを最初に始め、他の氏族へと伝搬させたのは彼らであるとされる。

歴史

第二紀730年、東方の大河タラスラントの(Talathrant)の岸辺の谷間に住んでいた北ウガス(Northern Ulgath)がイオリアグ(Ioriag)との抗争に敗れ、東方からリューンの湖周辺に移住してきた。だがその地には既に、ベレリアンドの東夷の生き残りであるバラドリム(Baradhrim)が住んでおり、彼らはその支配下に置かれた。奴隷となった彼らは自らを拘束された人々(Bound People)を意味するムルガス(Murgath)と呼ぶようになった。
バラドリムの支配は苛烈で、時にはモルゴスに捧げる生贄さえも要求した。そのため一部のムルガスは西に逃れた。彼らはケルドゥインの上流に住み、川の民(River People)を意味するガルガス(Gargath)を名乗った。後にその一部は土着の民ドナスと同化してドルウィンリムとなった。
更に別の民はリューンの湖の北東に広がるアグシャ・ダグ(Agsha dag)の森の木陰に隠れ、クガス﹙Kugath﹚という民になった。

3430年、最後の同盟との戦争を開始したサウロンはバラドリムの国スズレルドール(Szreldor)に招集をかけ、属国のムルガスからも多くの兵士がモルドールに参じた。
3434年のダゴルラドの戦いでサウロン軍が劣勢に立たされると、司令官カリシュ・イバール(Kharish Ibar)に率いられたムルガス軍の大部分が混乱に乗じてスズレルドールの主人を見限り、戦場から逃亡した。

祖国へ引き上げたムルガスの人々は主人から与えられた名前を捨て、新しく拒んだ者たち(Refusers)を意味するロガスを名乗った。
同じ頃、同じくスズレルドールの属国だったドルイニオンではドルウィンリムによる反乱が起こっていた。スズレルドールの太守は彼らに鎮圧を命じたが、ムルガスの軍団はドルイニオンに呼応して反旗を翻した。その後、味方を失ったスズレルドールの王国はドルイニオンによって滅ぼされた。

3435年、サウロンに忠実で戦場に残って戦っていたムルガスの生き残りがロガスの領地に近いイラニン(Ilanin)の要塞を占拠した。だがロガスは多くの犠牲により得た土地を渡す気は無く、今やサガスという別の氏族になったかつての同族と数百年にわたって争った。

第三紀初頭のロガスはカルネンの対岸に住む北国人やドルウィンリムと交易を行い、深く対立することはなかった。
第三紀1228年、サガスのホス家(Hos Clan)の当主グラチェフ(Grachev)がイバール家と婚姻同盟を結び、その後援を受けてイラニンを再度占領した。しかしドルイニオンの頭領が富の分配と引き換えにロガスを同盟から離脱させ、ホス家は1234年に要塞から退いた。

1250年頃から、平原の神ケルカッスク(Kerkassk)の化身を名乗る人物が東夷の人々の前に現れるようになった。その正体はサウロンの召使の一人であるネモル(Nemol)という魔術師だった。彼はケルカッスクを強欲な西方人から平原の人々を庇護する守護神と騙り、布教を続けた。多くの者がその教えに耳を傾け、アングマールで行われている聖戦に参加するべく、平原の戦士(Plains Warriors)カルグ・フカ(Kharg Huka)の傭兵団に参加し、西方に向かった。
ロガスにもケルカッスクの教義が広まったが、ドルウィンリムとも密接に繋がっている彼らは他の氏族よりも消極的で、しばしば巡礼を禁じた。イバール家とサウロンの密使は、民への支配権を巡って長年争った。

1750年頃、東夷の全氏族がイガス(Igath)によって馬車族として統一された時、サウロンの僕オライシャペク(Oraishapek)の教団の讒言に乗せられたロガスもまた連合に参加した。1944年、馬車族は野営地の合戦でゴンドールによって壊滅したが、リョヴァニオンの北東部は北国人の離散によって無人となり、その後長い間、ロガスの領土として支配された。

出典

コメント

最新の6件を表示しています。 コメントページを参照

  • よくわからん -- 2018-03-19 (月) 13:46:55
    • 縄張りと取られたから移住したら、ベレリアンドからの出戻り組に奴隷にされた→西方の民と組んで反乱を起こして滅ぼした→その後は持ちつ持たれつ、時々敵対したりもした。 -- 2018-03-20 (火) 01:08:46
お名前:

人種差別をあおるもの、公序良俗に反するもの、項目とは関係ないコメント、他コメント者への個人攻撃及び価値観の押しつけや、相手を言い負かすことが目的の非建設的な議論、現実世界の政治および近代・現代史、特定国家、団体、民族などに結びつけ批判、揶揄するようなコメントなどは削除の対象となります。その他コメントについて。
Last-modified: