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ローメンダキル二世

概要

カテゴリー人名
スペルRómendacil II
その他の呼び名ミナルカール(Minalcar)
種族人間ドゥーネダイン
性別
生没年第三紀(1126)~1366年(享年240)
カルマキル(父)
兄弟カリメヘタール(弟)
ヴァラカール(息子)

解説

ゴンドールの王
第18代
カルマキル
1294~1304
第19代
ローメンダキル二世
第三紀1304~1366年(62年間)
第20代
ヴァラカール
1366~1432

ゴンドールの19代目の王。本来の名はミナルカール。非常に元気旺盛な人物として知られる。
1240年、ミナルカールは伯父である当時の王ナルマキル一世により、摂政に任じられた。以後ミナルカールはナルマキルの在位中と、ナルマキルの死後に王となった父カルマキルの在位中、二代に渡って王の名の下に摂政として実際にゴンドールを統治した。

ナルマキルの治世に東夷の攻撃が再び始まり、1248年にミナルカールは大部隊を率いて出陣した。彼はリョヴァニオンリューンの湖の間の地で東夷の大軍勢を破り、湖の東にあった東夷の野営地と居住地を全て破壊した。この時、彼は「東の勝者(East-victor)」を意味するローメンダキルを名乗った*1

帰国すると、彼は直ちに北の国境である白光川まで至るアンドゥイン西岸の防備を強化した。また他国人がエミュン・ムイルより下流へアンドゥインを下ることを禁じ、ネン・ヒソエルの入り口にアルゴナスの柱を建設した。
兵力の確保と北国人との繋がりを強化するため、多くの北国人をゴンドール軍に編入し、時には軍の高い地位を与えもした。特に東夷との戦いで功績のあったヴィドゥガヴィアを重用し、1250年には彼の元に自分の息子ヴァラカールを大使として派遣した。これには将来ゴンドール王となる息子と北国人を馴染ませておく意図があったが、ヴァラカールがヴィドゥガヴィアの娘ヴィドゥマヴィと結婚したのは予想外だった。1255年に生まれたヴァラカールとヴィドゥマヴィの息子エルダカールの存在は、後にゴンドールの内乱(同族の争い)を招いた。

1304年にローメンダキルは19代目のゴンドール王に即位した。王としての在位は62年間だったが、前二代の摂政であった期間を含めると、126年間ゴンドールを統治した。

コメント

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  • ヒャルメンダキル一世がユスティニアヌスでこの方はヘラクレイオスかな?ビザンツ皇帝ヘラクレイオスは東方の敵ササン朝ペルシアを打ち破った。もっとも、その後アラブ人に敗れているんだけどね。 -- ホビット 2008-12-29 (月) 13:53:15
  • ゴンドールの征夷大将軍 -- 2017-05-05 (金) 10:22:23
  • 祖父も父も伯父もぐうたらだったのに何でいきなりこんなテンション高い人が生まれたのか -- 2017-09-27 (水) 00:24:06
    • まさに反面教師 -- 2017-09-28 (木) 21:45:16
    • ぐうたら王を抱えつつ戦争って、よく財政大丈夫だったな -- 2019-10-22 (火) 22:56:27
      • ある意味散財や贅沢方面にもぐうたらだったのかもしれん。歴史上国を傾けるほどの贅沢や私的な土木建築をするのはマイナス方面にエネルギッシュな暴君だし。 -- 2019-10-23 (水) 00:03:58
  • 政治丸投げされ続けただけあって有能っぽいな
    ただ惜しむらくは北国人との関係強化が国力衰退の引き金になってしまうのが悲しい…
    この人自体は悪くないのにね -- 2023-06-17 (土) 17:30:53
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