- ブリー郷内で最も大きな村についてはブリー村を参照してください。
ブリー郷 †
概要†
カテゴリー | 地名 |
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スペル | Bree-land |
解説†
エリアドールの中心近く、ホビット庄から40マイル(約64km)ほど東*1にある人間とホビットが住む地域。周囲には無人地帯が広がっており、ここのみ人が住む孤立した島のようになっている。ブリー郷の主要な集落は東街道が通るブリー村で、他に三つの集落(元村、小谷村、アーチェト村)がある。これらの村々はブリー山やその周辺にあった。
ブリー村は、ブリー郷で一番大きな村ですが、ブリー郷は、まるで小島のように無人の土地に囲まれて、そこだけ人の住みついた、小さな地域でした。ブリー村のほかには、ブリー山の反対側に元村、少し東の深い谷間に小谷村、そしてチェトの森のはずれにアーチェト村がありました。ブリー山とこれらの村々の周りは、その幅わずか数マイルほどの田野と人手のはいった森林地帯が取り巻いていました。*2
ブリー郷の住人†
この土地の住人の言い伝えによれば、第一紀に人間が西方(ベレリアンド)に向かった時から、ブリー郷の人間はこの地に住んでいたという。第三紀末にはブリー郷の人々は、(ドゥーネダインを除き)中つ国極西の地に定住する人間となっていた。
ブリー村の人間たちは髪の毛が茶色で、どちらかといえば背が低く、体つきががっしりしていました。性質は快活で独立の精神をもっていました。かれらは自分たち以外の何者にも依存しないで暮らしていました。そして、大きい人たち一般の場合にくらべると、ホビットとか、ドワーフとか、エルフとか、その他、自分たちを取り囲む世界のほかの住人たちとずっと親しくまじわっていました。かれら自身に伝わる話によると、かれらはこの土地に元から住みついており、昔、中つ国のこの西の地に流れて来た最初の人間たちの子孫だということでした。上古の頃の度重なる騒乱をくぐり抜けて生き残れた者は非常に少なかったのですが、王たちが大海を渡ってふたたび戻って来た時、かれらは、ブリー山の人たちが今なお同じ場所にいるのを見いだしたのでした。そして、古き王たちの記憶が草むす墓の中に薄れ去った今もなお、かれらは同じ場所に住みついているのです。*3
また『追補編』には、ブリー村の人間たちはずっと昔に北方へと移住してきた
ブリー郷にはホビットも多数住んでおり、人間とホビットが共同生活を送っている唯一の土地であった。
ホビットがエリアドールに移住してきた時、その最古の居住地が築かれたのがブリー郷であったと言われている。かれらは第三紀1300年頃よりブリー郷に住みつき、1601年にはさらに西に移動してホビット庄が築かれた(ホビット庄暦元年)。ブリー郷にはその後もホビット庄へと移住しなかったホビットが住み続け、ホビット庄のホビットとは異なる気風を有するようになった。
ブリー郷のホビットの大多数は元村に住み、人間たちの家々を見下ろすブリー山の山腹にホビット穴の住居を構えた。
かつてはホビット庄とブリー郷のホビットはそれなりに交流を持ち(特にバック郷の住民や冒険好きのトゥック一族の者が躍る小馬亭を訪れた)、ブランディバック一族にはブリー郷のホビットの血が流れているとされた。だが第三紀末には、たまにブリー郷のホビットがバック郷や東四が一の庄を訪れることはあれど、ホビット庄のホビットがブリー郷を訪れることは滅多になく、ホビット庄ではブリー郷のホビットを「よそ者」と見なして関心を払わなくなっていた。一方のブリー郷の民もホビット庄民を「よそ者」と見なしていたが、『指輪物語』中での描写を見るに、庄民への関心は失っていなかったようである。
ブリー郷の地名について†
トールキンにより、ブリー郷にある地名の一部には、bree、chet、Archetのようにケルト風の言葉が割り当てられている。
コメント†
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