トーリンの館

概要

カテゴリー地名
スペルThorin's Hall

解説

トーリン二世(とスライン二世)が褐色人の国を離れてエリアドールを放浪した後、第三紀2802年にエレド・ルイン(青の山脈)に落ち着くようになって以降住んでいた館*1。トーリンの許にドゥリンの一族が集まり、一族の数が増えると、相応の立派な館(halls)となったが、トーリンに言わせればそれらも「みすぼらしい仮住まい」に過ぎなかった。

追補編』の「ドゥリンの一族」によると、2941年にブリー村で偶然出会ったトーリンとガンダルフは、その後トーリンの館に行き、エレボール奪回のための計画を立てたという。『終わらざりし物語』ではさらに詳しい、トーリンとガンダルフの計画についての話し合いの原稿が収録されている。

五軍の合戦でトーリンが死に、エレボール山の下の王国が再建されて以降、この館がどうなったかは不明。

ゲーム『ロード・オブ・ザ・リングス オンライン』における設定

原作ではトーリンの館の詳細については触れられていないが、ゲーム最初期のもっとも大きなドワーフの拠点として登場。トーリン二世の死後も、エレド・ルインにおけるドワーフの拠点として、山脈の北部に存続し続けていることになっている。トーリンの館は、一時期ドルハンドに占拠されたがその後ドワーリンたち長鬚族が奪還、ゲーム内ではドワーリンが館の主となっている。館内部と門前には、トーリンの巨大な彫像がある。
上述の通りトーリンは自分の館(halls)のことをみすぼらしい仮住まいと言っているが、ゲーム内では非常に大きな館として描かれている。山の下の王国と比較しての卑下発言ととらえたのか、トーリンの死後に増築されたためなのかははっきりしない。

『ロード・オブ・ザ・リングス オンライン』におけるトーリンの館外観『ロード・オブ・ザ・リングス オンライン』におけるトーリンの館入り口のトーリンの像『ロード・オブ・ザ・リングス オンライン』におけるトーリンの館内部

コメント

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  • 「みすぼらしい仮住まい」は、トーリンの自尊心と、山の下の王国奪還の悲願から出た言葉だと思っています。トーリンにとっては、いかに立派な館であっても「本来自分がいるべきところはここではない」と考えていたのでしょう。 -- 2010-05-07 (金) 12:15:02
  • ドワーフにとっての最後の憩いの館 -- 2012-03-16 (金) 10:52:19
  • トーリンの住まい以外にもドワーフ達の都市、集落は無かったのでしょうか?だとしたら寂しすぎます -- 2012-10-09 (火) 13:23:16
    • あったと思いますよ。たしか指輪物語中に、青の山脈へ赴くドワーフたちがブリーやホビット庄を通行するって書かれてた記憶があります。外国のサイトを見ても長髭族以外の氏族が結構いたようですし。 -- 2012-10-09 (火) 16:08:53
  • http://img.photobucket.com/albums/v702/OldTomBombadil/LOTRO/Palantiri/ThorinHall/ThorinsHall.jpg -- 2012-12-21 (金) 17:58:54
  • エレボールが再興されるまでは実質ここがドワーフ世界の中心だったんでしょうな -- 2014-01-01 (水) 22:06:59
    • くろがね連山ではないでしょうか? -- 2017-03-26 (日) 13:11:17
  • トーリンの館が本来どのようなものだったかは、いつ頃建てられたかによっても解釈が変わるだろう。「蹄鉄鍛冶屋や石炭堀りに身を落とした」頃の物をそのまま使用していたなら本当に掘建て小屋程度だったろうし、後に「あまり落ちぶれていないと言えるまでになった」頃ならばそれなりの館を建てていた事だろう。 -- 2015-01-11 (日) 20:24:30
    • 「蹄鉄鍛冶屋や石炭掘り」をしていた頃というのはおそらく褐色人の国を放浪していた時代ではないかと思われます。当地の人間は富もないでしょうが同時に鍛冶技術にも乏しいでしょうから、下賎の仕事とはいえ食い扶持には困らなかったのでしょう。青の山脈に定住する頃には「ここでかれは営々と働き、交易を営み、かれとしては可能な富を得ていた。そしてさ迷えるドゥリン一族のうちの多くの者がかれが西の地に住まっていることを聞きつけてその許にやって来たので、かれの一族の数もふえてきた。今では山の中に立派な館が並び、品物も貯えもでき、生活もそれほど辛いものではなくなった。」とありますから。 -- 2015-01-11 (日) 21:57:29
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*1 エレド・ルインにあることは確かだが、具体的な位置は記述に相違がある。『追補編』の「ドゥリンの一族」ではスライントーリンは「やがてルーン川の先、エレド・ルインの東にやっと流離の身の仮住まいを持った。」とあり、第三紀の年表の2799年の項では「二人はホビット庄よりさらに西のエレド・ルインの南に落ち着く(2802)。」とある。『終わらざりし物語』の「エレボールへの遠征」では、ガンダルフの発言に「当時、ホビット庄の北西遥かに仮住まいしておったトーリン・オーケンシールド」とある。

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Last-modified: 2017-07-14 (金) 03:09:25 (521d)