霧 ふり山脈 †
概要†
解説†
シンダリンで「霧の塔」(Towers of Mist)を意味するヒサエグリルの西方語訳。
中つ国北西部に横たわり、エリアドールとリョヴァニオンを東西に隔てる大山脈。アンドゥインの谷間の上流域からローハン谷まで連なり、グンダバド、カラズラス(赤角山)、ファヌイゾル(雲乗山)、ケレブディル(銀枝山)、メセドラスといった山々がある。
山脈の北端からは、西に向かってアングマール山脈が、東に向かって灰色山脈(エレド・ミスリン)が伸びている。南端ではローハン谷を挟んで白の山脈(エレド・ニムライス)に接している。
山脈には無数の山道があるが、そのほとんどは込み入って行き止まりになっており、山越えの困難なことで知られていた。比較的安全でよく知られた峠道に本道(イムラドリスの山道)や赤角山道などがある。*2
かつて霧ふり山脈の地下にはドワーフ最大の都市カザド=ドゥーム(モリア)があったが、バルログが出現して荒廃し、その後オークに奪われた。他にもゴブリン町をはじめ、各地にオークの拠点が穿たれており、さらに地上には巨人が出没するところもあった。
霧ふり山脈の山の名†
「あそこに聳えるのは、バラジンバル、すなわち赤角山、無慈悲なるカラズラスです。その向こうにあるのは銀枝山と雲乗山すなわち白きケレブディルと灰色のファヌイゾル、われらの言葉でいえばジラクジギルとブンドゥシャスールです。
「あそこで霧ふり山脈は二つに分かれ、その両方の腕にかかえられるように横たわるのが、われらには忘れることのできぬ深い影の谷間、アザヌルビザール、すなわちおぼろ谷、エルフのナンドゥヒリオンと呼ぶところです。」*3
歴史†
この山脈は元々、星々の時代にオロメが中つ国へ前進することを妨げるためにメルコールの手によって築かれたもので、もっと高い山脈だったと言われる。
西方のアマンを目指す大いなる旅を行くエルフ(エルダール)にとってもこの山脈は最初の難所の一つとなり、山越えを拒んで山脈の東に留まった者達はナンドール(後のシルヴァン・エルフ)と呼ばれる民となった。
ドワーフの祖の一人不死のドゥリンによってカザド=ドゥーム(モリア)が築かれたのも星々の時代のことであり、このため霧ふり山脈はドゥリンの一族にとって特別な場所となった。
太陽の第一紀の歴史は主にベレリアンドを中心に語られているため、霧ふり山脈の名はあまり出てこない。
第二紀になると、霧ふり山脈は天険としてしばしばサウロンと自由の民の戦いに影響を及ぼすようになる。第二紀を通じて、山脈はモリアのドワーフとその東西に居住するエルフによって保持されており、これを避けてエリアドールに侵入する唯一の道であるローハン谷が戦略的要衝として認識されるようになった。
エレギオンの滅亡後、エルロンドは霧ふり山脈の麓にイムラドリスの避難所を築き、最後の同盟は霧ふり山脈の山道を辿ってモルドールへ進軍して行った。
第三紀になるとエルフとドワーフの勢力が衰退し、霧ふり山脈はサウロンの働きかけを受けて自由の民の障害として立ちはだかるようになった。
1300年頃よりこの地で数を増やしたオークがドワーフを攻撃しはじめ、また山脈の北端付近にアングマールが出現して悪しき者達が集結するようになる。1981年にはバルログによってモリアが荒廃し、ドゥリンの一族がこの地を追われる。するとサウロンは2480年頃から配下のオークを送り込んで山中に拠点を築かせ、全ての自由の民の通行を妨げようとした。
2509年には赤角山道を通行しようとしたケレブリーアン一行がオークに襲われる。2510年にはこの地のオークはドル・グルドゥルのバルホス族と協同してゴンドールを攻撃し(ケレブラントの野の戦い)、ローハン建国後もしばしばローハン谷を脅かした。2740年頃にはエリアドールへの侵入も試みている(緑野の合戦)。
2793年から2799年にかけて起きたドワーフとオークの戦争で、霧ふり山脈のオークはほとんど殲滅されたかに思われた。だがドワーフがモリアと霧ふり山脈を奪還するには至らず、山中の拠点でオークは密かに勢力を回復させる。
2941年、本道を越えようとしたソーリンとその仲間たちがゴブリン町に捕らえられた。この時大ゴブリンが殺されたことと、その後のスマウグの死が発端となり、霧ふり山脈中のオークはグンダバドに集結してからエレボールを急襲、五軍の合戦を引き起こしたが殲滅された(『ホビットの冒険』)。
これでリョヴァニオン北方の安全は大きく回復されたものの、いまだに霧ふり山脈にはオークの残党が巣食っていたようで、2951年にサウロンがモルドールで復活を宣言すると勢いを盛り返す。
2989年、モリア再興を目指して入植を試みたバリン一党は、2994年にオークとバルログによって滅ぼされた。3009年頃からは霧ふり山脈の横断は非常に危険なものとなり、安全に通行できるのはビヨルン一党が確保する本道のみとなっていた。
3019年(大いなる年)、赤角山道で山越えを試みた指輪の仲間はカラズラスの悪意に阻まれ、通過を余儀なくされたモリアでオークとバルログに襲撃される。その後、フロドは視る椅子で霧ふり山脈からオークの軍勢が出撃する光景を目にしている。またパルス・ガレンでメリーとピピンを捕らえたオークの混成部隊にはモリアから出撃してきた北の国のオークも混ざっていた(ウグルークの項も参照)。(『指輪物語』)
コメント†
最新の6件を表示しています。 コメントページを参照