* 第四紀 [#v386e98c]
** 概要 [#Summary]

|~カテゴリー|[[年表]]・[[暦]]|
|~スペル|The Fourth Age|
|~その他の呼び名||

** 解説 [#Explanation]

>「[[中つ国]]の[[第三紀]]は終わり、新しい時代が始まった。新しい時代の始まりを整え、保存してさしつかえないものはこれを保存する、これが[[あんた>アラゴルン二世]]の仕事じゃ。というのは、多くのものが救われたとはいえ、今や多くのものが消えていかねばならぬからな。[[三つの指輪]]の力もまた終わった。そしてあんたの目にはいる土地のすべて、またその周辺に横たわる土地のすべてが、[[人間]]の住む場所となろう。なぜなら、人間の支配する時代が来たからじゃ。[[最初に生まれた者たち>エルフ]]は衰えゆくか、去って行くのじゃ。」((『[[指輪物語]] [[王の帰還]] 下』「五 執政と王」))

[[中つ国]]の歴史で、[[力の指輪]]が去ってからの時代。[[人間]]の時代。'''人間以外の「口を効く種族」がすべて衰退する時'''((『[[追補編]]』「B 代々の物語(西方諸国年代記)」))でもある。
[[中つ国]]の歴史で、[[力の指輪]]が去ってからの時代。[[人間]]の時代。'''人間以外の「口を効く種族」がすべて衰退する時'''((『[[追補編]]』「B [[代々の物語(西方諸国年代記)>西国年代記]]」))でもある。

[[トールキン>ジョン・ロナルド・ロウエル・トールキン]]によると、我々の現代より約6000-8000年前が『[[指輪物語]]』の時代、つまりその頃に第四紀が始まる。現代は第五紀か第六紀に相当するということである。

** [[年表]] [#a126a35c]

[[第三紀]]3021年より続く。

※英語版では年表が改訂されており、削除された部分には%%取消線%%を、追加された部分には%%%下線%%%を敷いた。

|~年|~[[ホビット庄暦]]|~事象|h
|RIGHT:1|RIGHT:1422|[[ホビット庄]]の暦では、この年の始まりと共に[[第四紀]]に入る。ただし[[ホビット庄暦]]の年数はそのまま継続する。|
|RIGHT:1|RIGHT:1422|[[ホビット庄の暦>ホビット庄暦]]では、この年の始まりと共に[[第四紀]]に入る。ただし[[ホビット庄暦]]の年数はそのまま継続する。|
|RIGHT:6|RIGHT:1427|[[小足家のウィル]]、[[庄長]]職を辞任する。[[サムワイズ>サムワイズ・ギャムジー]]、[[ホビット庄]][[庄長]]に選出される。[[ペレグリン・トゥック]]、[[ロング・クリーヴのダイアモンド]]と結婚する。[[エレスサール王>アラゴルン二世]]、勅令を発して、[[人間]]が[[ホビット庄]]に入るを差し止める。王は[[ホビット庄]]を、[[北方王国]]保護下にある自由地とする。|
|RIGHT:9|RIGHT:1430|[[ペレグリン>ペレグリン・トゥック]]の息子[[ファラミア・トゥック]]生まれる。|
|RIGHT:9|RIGHT:1430|[[ペレグリン>ペレグリン・トゥック]]の息子[[ファラミア>ファラミア・トゥック]]生まれる。|
|RIGHT:10|RIGHT:1431|[[サムワイズ>サムワイズ・ギャムジー]]の娘[[&ruby(ゴールディロックス){金捲毛};>金捲毛]]生まれる。|
|RIGHT:11|RIGHT:1432|「偉丈夫」と称せられた[[メリアドク>メリアドク・ブランディバック]]、[[バック郷]]の[[館主]]となる。[[エオメル]]王ならびに[[イシリアン]]の奥方[[エオウィン]]から、見事な祝いの品々が送られる。|
|RIGHT:13|RIGHT:1434|[[ペレグリン>ペレグリン・トゥック]]、[[トゥック一族]]の家長となり、[[セイン]]となる。[[エレスサール王>アラゴルン二世]]、[[セイン]]、[[館主]]、並びに[[庄長]]を[[北方王国]]の顧問官とす。[[サムワイズ>サムワイズ・ギャムジー]]殿、二期目の[[庄長]]に選出される。|
|RIGHT:15|RIGHT:1436|[[エレスサール王>アラゴルン二世]]、[[北方王国]]に行幸、[[イヴンディム]]湖のほとりに滞留する。王、[[ブランディワイン橋]]に行幸、友人方と挨拶する。王、[[サムワイズ>サムワイズ・ギャムジー]]殿に[[ドゥーネダインの星]]を与えられる。[[エラノール]]、[[アルウェン]]王妃付き侍女となる。|
|RIGHT:20|RIGHT:1441|[[サムワイズ>サムワイズ・ギャムジー]]殿、三度[[庄長]]となる。|
|RIGHT:21|RIGHT:1442|[[サムワイズ>サムワイズ・ギャムジー]]殿とその[[妻>ローズ・コトン]]及び[[エラノール]]、[[ゴンドール]]に赴き、かの地に一年滞在する。[[トルマン・コトン>トム・コトン(トム・コトンの息子)]]殿、[[庄長]]代理を勤める。|
|RIGHT:27|RIGHT:1448|[[サムワイズ>サムワイズ・ギャムジー]]殿、四度[[庄長]]となる。|
|RIGHT:30|RIGHT:1451|美しの[[エラノール]]、[[向が丘連丘]][[緑樫のファストレド]]に嫁す。|
|RIGHT:31|RIGHT:1452|[[向が丘連丘]]から[[塔山丘陵]]([[エミン・ベライド]])に至る[[西境]]は、王の贈与によって[[ホビット庄]]に加えられる。多数の[[ホビット]]がこの地に移住する。|
|RIGHT:31|RIGHT:1452|[[向が丘連丘]]から[[塔山丘陵(エミン・ベライド)>塔山丘陵]]に至る[[西境]]は、王の贈与によって[[ホビット庄]]に加えられる。多数の[[ホビット]]がこの地に移住する。|
|RIGHT:33|RIGHT:1454|[[ファストレド>緑樫のファストレド]]と[[エラノール]]の息子、[[髪吉エルフスタン>髪吉家のエルフスタン]]生まれる。|
|RIGHT:34|RIGHT:1455|[[サムワイズ>サムワイズ・ギャムジー]]殿、五度[[庄長]]となる。[[サムワイズ>サムワイズ・ギャムジー]]殿の願いにより、[[セイン]]、[[ファストレド>緑樫のファストレド]]を[[西境]]の区長に任ずる。[[ファストレド>緑樫のファストレド]]と[[エラノール]]、[[塔山丘陵]]の塔の下に居を定める。この地に彼らの子孫、塔の下の[[髪吉一族>髪吉家]]、子々孫々に至るまで居住する。|
|RIGHT:41|RIGHT:1462|[[サムワイズ>サムワイズ・ギャムジー]]殿、六度[[庄長]]となる。|
|RIGHT:34|RIGHT:1455|[[サムワイズ>サムワイズ・ギャムジー]]殿、五度[[庄長]]となる。%%[[サムワイズ>サムワイズ・ギャムジー]]殿の願いにより、[[セイン]]、[[ファストレド>緑樫のファストレド]]を[[西境]]の区長に任ずる。[[ファストレド>緑樫のファストレド]]と[[エラノール]]、[[塔山丘陵]]の塔の下に居を定める。この地に、彼らの子孫、塔の下の[[髪吉一族>髪吉家]]、子々孫々に至るまで居住する。%%|
|RIGHT:41|RIGHT:1462|[[サムワイズ>サムワイズ・ギャムジー]]殿、六度[[庄長]]となる。%%%[[サムワイズ>サムワイズ・ギャムジー]]殿の願いにより、[[セイン]]、[[ファストレド>緑樫のファストレド]]を[[西境]]の区長に任ずる。[[ファストレド>緑樫のファストレド]]と[[エラノール]]、[[塔山丘陵]]の塔の下に居を定める。この地に、彼らの子孫、塔の下の[[髪吉一族>髪吉家]]、子々孫々に至るまで居住する。%%%|
|RIGHT:42|RIGHT:1463|[[ファラミア・トゥック]]、[[サムワイズ>サムワイズ・ギャムジー]]の娘[[&ruby(ゴールディロックス){金捲毛};>金捲毛]]を娶る。|
|RIGHT:48|RIGHT:1469|[[サムワイズ>サムワイズ・ギャムジー]]殿これを最後に七度[[庄長]]となる。55(1476)年、任期の終わる時は、96歳。|
|RIGHT:61|RIGHT:1482|[[サムワイズ>サムワイズ・ギャムジー]]殿の妻[[ローズ夫人>ローズ・コトン]]、夏至の日に死ぬ。9月22日、[[サムワイズ>サムワイズ・ギャムジー]]殿、[[袋小路>袋小路屋敷]]から馬を進め、[[塔山丘陵]]に来て、最後は[[エラノール]]に見送られる。その[[髪吉家]]に伝えられる[[赤表紙本]]は、この時彼が[[エラノール]]に与えたものである。[[髪吉一族>髪吉家]]の間に[[エラノール]]から伝えられたいい伝えによると、[[サムワイズ>サムワイズ・ギャムジー]]は[[三つの塔>塔山丘陵]]を過ぎて、[[灰色港]]に赴き、最後に残った[[指輪所持者]]として、[[海>大海]]を渡って去ったという。|
|RIGHT:48|RIGHT:1469|[[サムワイズ>サムワイズ・ギャムジー]]殿これを最後に七度[[庄長]]となる。1476年、任期の終わる時は、96歳。|
|RIGHT:61|RIGHT:1482|[[サムワイズ>サムワイズ・ギャムジー]]殿の妻[[ローズ夫人>ローズ・コトン]]、夏至の日((原文では中日(Mid-year's Day) ))に死ぬ。9月22日、[[サムワイズ>サムワイズ・ギャムジー]]殿、[[袋小路>袋小路屋敷]]から馬を進め、[[塔山丘陵]]に来て、最後は[[エラノール]]に見送られる。その[[髪吉家]]に伝えられる[[赤表紙本]]は、この時彼が[[エラノール]]に与えたものである。[[髪吉一族>髪吉家]]の間に[[エラノール]]から伝えられたいい伝えによると、[[サムワイズ>サムワイズ・ギャムジー]]は[[三つの塔>塔山丘陵]]を過ぎて、[[灰色港]]に赴き、最後に残った[[指輪所持者]]として、[[海>大海]]を渡って去ったという。|
|RIGHT:63|RIGHT:1484|この年の春、[[ローハン]]から[[バック郷]]に伝言があって、[[エオメル]]王、いま一度[[ホルドヴィネ]]殿に会いたい由。この時[[メリアドク>メリアドク・ブランディバック]]すでに老齢(102歳)だが、いまだ矍鑠としていて、友の[[セイン]]と相談の後、二人は直ちに各自の財産、職務をめいめいの息子に譲り、馬で[[サルンの浅瀬]]を渡って去ったまま、二人の姿はその後再び[[ホビット庄]]に見られない。後の噂では、[[メリアドク>メリアドク・ブランディバック]]殿は[[エドラス]]に来て、その年の秋[[エオメル]]の薨ずるまで、彼と共におり、その後、[[メリアドク>メリアドク・ブランディバック]]殿と[[セイン]]・[[ペレグリン>ペレグリン・トゥック]]殿は、[[ゴンドール]]に赴き、短き余生をこの国で過ごしたすえ、遂にみまかって、[[ゴンドール]]の高貴な死者と共に、[[ラス・ディネン]]に葬られたという。|
|RIGHT:120|RIGHT:1541|この年の3月1日、[[エレスサール王>アラゴルン二世]]遂に崩御される。[[メリアドク>メリアドク・ブランディバック]]と[[ペレグリン>ペレグリン・トゥック]]の棺台は、この偉大なる王の傍らに並べ置かれたと伝えられる。この後、[[レゴラス]]、[[イシリアン]]で灰色の船を建造し、[[アンドゥイン]]を下って、[[海>大海]]を渡った。彼と共に、[[ドワーフ]]の[[ギムリ]]も行ったという。この船が去った時、[[中つ国]]では、[[指輪の仲間]]は跡を絶った。|
|RIGHT:171(([[ゴンドール]]の[[新暦法]]では第四紀172年))|RIGHT:1592|[[ペレグリン]]の曾孫の依頼によって、[[ゴンドール]]の王の祐筆[[フィンデギル]]がセイン本から筆写した[[西境の赤表紙本]]の写本を完成させる。|
|RIGHT:171(([[ゴンドール]]の[[新暦法]]では第四紀172年の出来事))|RIGHT:1592|[[ペレグリン]]の曾孫の依頼によって、[[ゴンドール]]の王の祐筆[[フィンデギル]]がセイン本から筆写した[[西境の赤表紙本]]の写本を完成させる。|

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