#author("2017-10-22T12:57:15+09:00","","")
* &ruby(し){四};が&ruby(いち){一};の&ruby(しょう){庄}; [#u4b931b3]
** 概要 [#Summary]

|~カテゴリー|[[地名]]|
|~スペル|Farthing|
|~その他の呼び名||

** 解説 [#Explanation]

[[ホビット庄]]を四つに分ける東西南北の区分([[ホビット庄の地図>http://arda.saloon.jp/map4.html]]を参照)。その区分の中心(正確には西、東、南四が一の庄の境)には、[[境石]]という石が置かれている。

*** 東四が一の庄 (East Farthing) [#East]

東の[[ブランディワイン]]川に面しており、[[ブランディワイン橋]]より南の川向こうは[[バック郷]]である。
[[川>川(ホビット庄)]]と[[東街道]]が平行して中央を横切っており、これより北側には[[岩村]]や[[石切村]]、[[フレデガー・ボルジャー]]がごろつきに捕らえられた[[穴熊スミアル]]などがあり、その更に北東に[[ドワリング]]があるらしい。[[東街道]]沿いには[[蛙村]]や[[小畦村]]があり、[[ブランディワイン橋]]近くの[[橋野]]には[[ひじりこの浅瀬]]がある。
東街道の南には[[緑山丘陵]]とその東端に[[末つ森]]があり、森の中を北東に[[切株川]]が流れ、森の端には[[森間村]]がある。切株川に沿って森を抜けた南東部には沢地が広がり、[[切株村]]、[[藺草村]]などの村々が点在している。切株村と藺草村の間に[[マゴット]]の住む[[畦更]]があり、5マイル北に[[バックル村の渡し]]がある。この辺り一帯は[[沢地の国]]と呼ばれ、[[バック郷]]に移る以前にオールドバックを名乗っていた[[ブランディバック一族]]の故地であり、沢地の国の村々では伝統的にブランディバック家の家長である[[館主]]の権威が認められている。
南四が一の庄との境界には[[境川]]が流れており、途中で[[薊川]]が注ぎ込む地点に[[柳窪]]がある。境川が[[ブランディワイン]]川に注ぎ込む付近は[[境出の湿地]]となっている。

*** 西四が一の庄 (West Farthing) [#West]

[[川>川(ホビット庄)]]が西北から流れてきており、[[東街道]]はやや南西に向けて湾曲している。
街道の北側には東四が一の庄との境近くに[[水の辺村]]があり、[[境石]]はこの村のはずれにある。水の辺村の西には[[ホビット村]]と、[[袋小路屋敷]]がある[[お山]]がある。
さらに北には[[山越村]]、[[藺原の沼地]]、[[針穴村]]、[[屋無里村]]、[[小堀村]]がある。
街道の湾曲部の手前に[[追分]]があり、街道の南側は追分の南東に[[トゥック一族]]の住む[[トゥック郷]]がある。街道を西に向かうと[[白が丘連丘]]に[[ホビット庄]]の首府である[[大堀町]]があり、そのさらに西の[[向が丘連丘]]に[[エラノール]]の夫[[緑樫のファストレド]]の生家がある緑樫があるらしい。
元来のホビット庄の土地はこの向が丘連丘までであったが、[[第四紀]]に入ってさらに西の[[塔山丘陵]]までが[[西境]]と呼ばれる新地となった。

*** 南四が一の庄 (South Farthing) [#South]

[[緑山丘陵]]の南麓に[[小村]]がある。[[角笛吹きトボルド]]が初めて[[パイプ草]]を栽培した[[長窪村]]があり、[[パイプ草]]の農場が多くあった。また(おそらく[[オールド・ヴィンヤード]]のような赤ぶどう酒の原料となる)葡萄も栽培されていたらしく、温暖で農耕に適した土地だったようである。
南の庄境には[[サルンの浅瀬]]がある。

*** 北四が一の庄 (North Farthing) [#North]

庄境には[[北の沼地]]や[[緑野の合戦]]が行われた[[緑野]]がある。ビールの原料になる大麦の生産地であり、[[オート麦農場]]という地名もあることから、比較的冷涼な気候であったようである。

***備考 [#v8233f4a]

Farthingは、英語で(1961年に廃止された)1/4ペニー硬貨を指し、元を正せば1/4の意である[[古英語]]のfeorthung、中期英語のferthingに由来する。Farthingは、イギリスのヨークシャーでは分区に今も使われている。

** コメント [#Comment]

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