#author("2019-02-24T00:41:38+09:00","","")
* ヴァリアグ [#ba81d335]
** 概要 [#Summary]

|~カテゴリー|[[種族]]|
|~スペル|Variag(単) / Variags(複)|

** 解説 [#Explanation]

[[モルドール]]の南東の地[[ハンド]]に住む、正体不明の種族。[[指輪戦争]]の[[ペレンノール野の合戦]]で、[[モルドール]]側の軍勢に加わっていた。
『[[王の帰還]]』では、[[人間]]である[[東夷]]や[[南方人>ハラドリム]]と並んで「ハンドのヴァリアグ」と言及されるが、後の文では[[トロル人間>トロル]]や[[オーク]]と同じく日の光を忌むとされている。

[[第三紀]]1944年に[[馬車族]]は[[近ハラド]]と[[ハンド]]の人間と同盟を結んで[[ゴンドール]]を攻撃したが、この出来事におけるハンドの人間について述べている記述((『[[追補編]]』では「ハンド人と近ハラド人(men of Khand and Near Harad)」、『[[終わらざりし物語]]』では「ハンドやさらに南方の民族(the peoples of Khand and their neighbours further south)」、「ハンドの新たな同盟国(their new allies in Khand)」))でヴァリアグの名は登場しない。

似た名前を持つ歴史上の存在として、ヴァリャーグ(Varyag)([[Wikipedia:ヴァリャーグ]])がいるが、関連は不明。『[[The Peoples of Middle-earth]]』によると、『[[追補編]]』の草稿では「ヴァリアグ」の名は[[ムーマク]]と同じく、[[サウロン]]の同盟者の言葉とされている。

** [[Iron Crown Enterprises]]による設定 [#ICE]

[[ハンド]]に住む[[人間]]の種族として登場する。

***特徴 [#m65bc2c6]

:外見|中背で、黒や茶色の肌をしている。男性は髭と髪を編み込むか結い上げており、女性は精巧な髪飾りを付けている他、多くの者が入れ墨を入れている。

:文化|[[馬]]の扱いに長け、勇猛で恐れを知らぬ民として知られ、隣接する[[ハラドリム]]や[[東夷]]の支配者たちはしばしば彼らを暗殺者や傭兵として重宝した一方で、農耕や交易に従事する者もいる。衣服は主に皮革で作られ、黒と赤もしくは茶色を対比させた色合いを好む。多くの氏族は蝙蝠や馬を紋章として用いており、金や銅で作られた装飾品を好んでいた。

:歴史|[[バルホス族]]とはイオリアグ(Ioriag)という民を共通の祖先に持つ。[[ハンド]]の地に住み着いて以降は部族間の抗争が続いていたが、[[第二紀]]の中頃、上カ=オン(ハンド北部の地方)の首長[[ウーヴァタ]]によって統一された。ウーヴァタはその後、[[モルドール]]に接近し、[[サウロン]]から[[九つの指輪]]の一つを受け取り、第9位の[[ナズグール]]となった。これによってハンドの民は影の支配下に入った。その後サウロンとウーヴァタが一時姿を消すと、イオアグは[[ゴンドール]]辺境の民に過ぎなくなり、しばらくの間は大きな脅威とはならなかった。[[第三紀]]1000年頃、ウーヴァタがハンドに帰還、ヴァリアグと呼ばれるようになっていた彼らは再び影の支配下の民となる。ウーヴァタに籠絡されたヴァリアグの民は首長たちに率いられ、北の峡谷を越えてリューンに侵入し、ヌラド(Nurad)をはじめとする周辺地域を併合した。さらに南では[[近ハラド]]の国々を占領して王たちを傀儡とした。第三紀の中頃には北の[[馬車族]]とも結託し、リューンからハラドに股がる一大連合を形成した。

:言語|彼らが使用するヴァラドジャ語(Varadja)は[[オーク語]]や[[暗黒語]]から大きな影響を受けている。

***登場するヴァリアグ [#gcd0fb1f]

:ゴウル・イトー(Gour Ito)|第三紀中頃のヴァリアグ王で、おそらくオーヴァタ二世の後継者。帝国拡大期の王で、チェイ・サルトを属国化した上、さらに東のカルガリス・アハールまでも征服した。アハール人の王子パルネリオン・セイを人質としてSturlurtsa Khandに住まわせ、ヴァリアグの臣下として育成したが、アハールに戻ったパルネリオンに反乱を起こされ、鎮圧のために送った軍も大敗する。アハールの独立を許したことで急激に力を失い、やがて暗殺された。
:キオニド・アチフ(Kîonid Achef)|ウーヴァタの父。ハンド東部の王子だったが追放され、一族と共に戦いと放浪の内に過ごした。その途上、隠れ家の一つであるオルバマール(Olbamarl)の洞窟でウーヴァタが生まれた。第二紀1988年、息子と共に軍を率いてノズ=ペカ(Noz Peka、小刀の川の意味)の戦いに勝利し、ハンド北部の王座を得たがその直後に死んだ。
:ミオニド・アチフ(Mionid Achef)|キオニドの兄弟。ウーヴァタの叔父。キオニドの死後、王座を継いで、イオリアグの伝統に則って甥を殺害しようとしたが、ウーヴァタの逃亡によって失敗した。2000年、ハンド南部の支配者となったウーヴァタの軍との戦いに敗れて殺害された。
:オーヴァタ二世(Ôvatha II)|オラス王家の当主(Orath tribe)オーヴァタ一世の孫。ICE設定におけるヴァリアグの王たちの中で最も詳細に事績が記録されている。第三紀1636年、ヌラド攻略の最中に父オヴァグ・イト-(Ovag Ito)が[[悪疫]]により死んだのを受けて13歳で当主となった。16歳でヴァリアグの首都であるハンド・アムー(Khand Amu)に入城し、ヴァリアグ全部族の王であるクール(Khûr)に即位。第三紀においてハンド全体を統治した二人目の王となった。ヴァリアグ領を拡大し、その影響力はヌラドやチェイ・サルトを越えた[[リューン]]の広範囲に至り、[[ハラド]]の奥深くにまで及んだことから、「馬上の殺戮者(Horse-slayer)」と称された。
:オーヴァタ三世(Ôvatha III)|ウーヴァタの子孫。通称「歯なし(Toothless)」。第三紀1940年、リューンで台頭したイガス(Igath、[[馬車族]]の前身))の侵略に対抗するため全ヴァリアグの団結を呼びかけ、王となった。後に馬車族と協定を締結し、領内を自由な通行を許可した。その後[[ハラドリム]]とも同盟を組み、[[ゴンドール]]への侵攻を画策する。それは1944年に実行に移されたが、[[ポロスの渡し]]で[[エアルニル二世]]率いる軍勢に撃破されて討ち死にした。
:ウオニド・イルボ(Uonid Irbo)|ウーヴァタの子孫。イオリアグの大半の部族を支配下に治めたが、第三紀1100年頃、ハンドに帰還した先祖ウーヴァタによって殺害された。
:ウルイグ・ウフポフ(Urig Urpof)|第二紀にハンド南部を支配した王。イオリアグの全人口の三分の二を支配する強力な支配者で、本拠とするSturlurtsa Kha-onは南ハンドの首都とされていた。出奔したウーヴァタを客将として迎え入れたが、1999年に軍団の支持を得たウーヴァタによって廃位され、ウルポフ王朝は滅亡した。
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