#author("2017-04-17T03:34:40+09:00","","")
#author("2024-01-05T20:29:18+09:00","","")
* リューン [#g41e6ce5]
** 概要 [#Summary]

|~カテゴリー|[[地名]]|
|~スペル|Rhûn|
|~その他の呼び名||
|~その他の呼び名|東方(East)|

** 解説 [#Explanation]

[[シンダール語]]で「東」の意。[[エリアドール]]や[[ゴンドール]]から見て[[中つ国]]の東部を大まかに指す言葉で、特に[[リューンの湖]]と[[エレド・リスイ]]より東の地域を指す。この土地に住む[[人間]]が[[東夷]]である。
[[シンダリン]]で「東(east)」の意。[[中つ国]]の東方を大まかに指す言葉で、特に[[リューンの湖]]と[[エレド・リスイ(灰の山脈)>エレド・リスイ]]より東の地域を指す。この土地に住む[[人間]]が[[東夷]]である。

[[執政家>執政]]の[[角笛>ゴンドールの角笛]]は、リューンの野に住むという[[アラウ>オロメ]]の白い牛の角で作られていた。
[[アラゴルン二世]]は[[エルロンドの会議]]において、[[ハラド]]と並んでリューンの遠い国々も旅したことがあると[[ボロミア]]に語っている。
***諸勢力 [#e21af732]

*** リューンの歴史 [#s7ec2d73]
-[[人間]]
--[[東夷]]
---[[馬車族]]
---[[バルホス族]]
-[[ドワーフ]]
--[[鉄拳族]]
--[[堅鬚族]]
--[[黒巻毛族]]
--[[石足族]]
-[[エルフ]]
--[[アヴァリ]]

*** 地名 [#l8ad6579]

-[[リューンの湖]]
-[[ドルイニオン]]

-[[オロカルニ]](赤の山脈)

-[[クイヴィエーネン]]
-[[ヒルドーリエン]]

*** 歴史 [#s7ec2d73]

[[星々の時代]]に[[エルフ]]族が目覚めた[[クイヴィエーネン]]の湖は、[[中つ国]]の東の奥地にある[[オロカルニ]]山脈の麓にあった。だが後の時代に地形が変わり、クイヴィエーネンはもはや存在していないという。
[[太陽の第一紀>第一紀]]に[[人間]]族が目覚めた[[ヒルドーリエン]]も中つ国の東の奥地にあり、人間はそこから各地に散らばっていった。

[[第二紀]]になると[[怒りの戦い]]を逃れた邪悪な[[東夷]]が東方に帰還してきて、[[モルゴス]]の虚言を用いて多くの人間たちの上に君臨するようになる。さらに指輪王となった[[サウロン]]は、中つ国の東や[[南>ハラド]]に勢力を広げた。
このため、リューンはサウロンの影響が色濃い地域となる。第二紀末に[[最後の同盟]]に敗れたサウロンの霊は、中つ国の東方の荒野に逃れて隠れ潜み、復活のための力を蓄えた。
このため、リューンはサウロンの影響が色濃い地域となる。第二紀末に[[最後の同盟]]に敗れたサウロンの霊は、東方の荒野に逃れて隠れ潜み、復活のための力を蓄えた。
[[青の魔法使い]]たちは中つ国の東方に赴いたが、戻ってくることがなかったという。

[[第三紀]]になると、リューンの[[東夷]]は[[ゴンドール]]としばしば衝突し、リューンの境界付近が戦闘の舞台となることもあった。
500年にはゴンドール8代目の王[[タロスタール>ローメンダキル一世]]が東夷を破り、「東の勝者」を意味するローメンダキルを名乗る。彼は新手の東夷に殺されたが、その息子[[トゥランバール]]は父の仇を討って東方に領土を獲得。ゴンドールの東の国境は[[リューンの湖]]に至るまで拡大する。
その後も東夷はゴンドールとの紛争を繰り返したが、1248年に[[ミナルカール>ローメンダキル二世]]は[[ロヴァニオン]]と[[リューンの湖]]の間で東夷の大軍を打ち破り、湖の東岸にあった東夷の野営地や居住地を破壊。ローメンダキル二世王となった。
500年にはゴンドールの[[タロスタール>ローメンダキル一世]]が東夷を破り、「東の勝者」を意味するローメンダキルを名乗る。彼は新手の東夷に殺されたが、その息子[[トゥランバール]]は父の仇を討って東方に領土を獲得。ゴンドールの東の国境は[[リューンの湖]]に至るまで拡大する。
その後も東夷はゴンドールと紛争を繰り返したが、1248年に[[ミナルカール>ローメンダキル二世]]は[[リョヴァニオン]]と[[リューンの湖]]の間で東夷の大軍を打ち破り、湖の東岸にあった東夷の野営地や居住地を破壊。ローメンダキル二世王となった。
1636年にはリューンから[[悪疫]]が中つ国西方に向かって広がる。これは[[自由の民]]に甚大な被害をもたらしたが、東夷が受けた被害も大きく、以後[[馬車族]]が現われるまでゴンドールを悩ますことがなくなった。
1851年から1944年までの[[馬車族]]の侵攻によってゴンドールは東の領土を失い、リューンは再び西方諸国にとって遠い世界となった。だが[[執政家>執政]]の[[ヴォロンディル]](1919-2029)は、リューンの野で[[アラウ>オロメ]]の白い牛を狩る。
1851年から1944年までの[[馬車族]]の侵攻によってゴンドールは東の領土を失い、リューンは再び西方諸国にとって遠い世界となった。だが[[執政家]]の[[ヴォロンディル]](1919-2029)は、リューンの野で[[アラウ>オロメ]]の白い牛を狩り、その角から[[ゴンドールの角笛]]が作られた。

2951年に[[サウロン]]が[[モルドール]]で復活を宣言すると、リューンは再びその属国として軍勢を供給するようになった。
3007年には[[ロヴァニオン]]の東の境で勢力を広げた[[谷間の国]]の[[ブランド]]王が東夷と衝突。[[3018年から3019年>大いなる年]]の[[指輪戦争]]で、東夷は[[谷間の国]]と[[エレボール]]を襲うとともに、[[ゴンドール]]との戦いに軍勢を派遣した。
3007年には[[リョヴァニオン]]の東の境で勢力を広げた[[谷間の国]]の[[ブランド]]王が東夷と衝突。[[3018年から3019年>大いなる年]]の[[指輪戦争]]で、東夷は[[谷間の国]]と[[山の下の王国>エレボール#Kingdom]]を襲うとともに([[谷間の国の合戦]])、[[ゴンドール]]との戦いに軍勢を派遣した。

[[第四紀]]になると、リューンと西方諸国の間で講和が成立したようである。
[[第四紀]]になると、リューンの国々と西方諸国の間で講和が成立したようである。

*** 画像 [#r022d864]

&ref(Rhun.blank.png,,30%,トールキンの設定をもとにしたフォンスタッド作画による地図);

** [[Iron Crown Enterprises]]による設定 [#ICE]

[[モルドール]]の北部、[[リューンの湖]]よりも東の地域一帯は[[パリソール]]と呼ばれ、パリソールに[[ヒルドーリエン]]や[[クイヴィエーネン]]を含めた、[[オロカルニ]]の西側までの地域は一括りにCentral Middle-Earthと呼ばれている。オロカルニよりも東側の地域は[[極東>遠リューン]](Farthest East)や東岸(Eastern Coasts)という。
ICE設定においてリューンという名称は主に[[モルドール]]の北部、[[リューンの湖]]よりも東の地域一帯に対して用いられ、それよりも東の地域には用いられていない。その代わり、[[ヒルドーリエン]]や[[クイヴィエーネン]]を含めた、[[オロカルニ]]の西側までの地域は大まかに東方の平原(East Plain)や牧草地(Glasslands)、高原(Plateau)等の名称が使われ、オロカルニよりも東側の地域は[[極東>遠リューン]](Farthest East)や東岸(Eastern Coasts)という。
『Middle-Earth Adventure Guidebook』『Lords of Middle Earth Vol1~3』など、主にソースブックを中心に、リューンに存在する勢力について記されている。

***諸勢力 [#lbc0784d]

***主な地名 [#jb8667e7]
-[[自由の民]]
--[[北国人]]
---イブノティシウダ(Ibnotithiuda)
--[[ドルウィンリム]]
--[[ドナス]](Donath)
--[[ガスマリグ]](Gathmarig)

:[[パリソール]]|
--エレド・ハムラル
--タラスラント
--ウルク・チェイ=サルト
:オロカルニ|
--夜明けの国
:風の山脈|
--岩礁の国
--鉄の森
-[[フォロドワイス]]
--[[ロッソス]]
--[[ダイア人]]

***記述のある勢力 [#je57512c]
-東夷
--ウガス系諸民族(Ulgathic Tribes)
---[[ロガス]](Logath )
---[[サガス]](Sagath)
---[[ウルガス]](Urgath)
---[[ブライガス]](Brygath)
--イオリアグ系諸民族(Ioriagic Tribes)
---[[アスドリアグ]]
---[[オドリアグ]]
---[[ヴァリアグ]]
--[[イガス>馬車族]](Igath,馬車族)
--[[プルタイ王朝>バルホス族]](Pultai Dynasty,バルホス族)

:ウォマワス=ドラス(Wômawas Drûs)|記述されてる東方の国々の中で最大規模の勢力。その影響力は西方におけるドゥーネダインに匹敵する。[[当該項目参照>ウォマワス・ドラス]]
-[[エルフ]]
--[[タウル・ローメン>リューンの森]]の[[シルヴァン・エルフ]]
--[[アヴァリ]]

-[[ドワーフ]]
--[[スラーリンの一族>鉄拳族]](Thralin's Folk)

-サウロンの密使
--ケルカッスクの教団

-[[ピンノン・リューン>リューンの丘陵]]の[[オーク]]

***地名 [#jb8667e7]

-[[ドル・リューネン]]
-[[ケルドゥイン]]
-[[ドルイニオン]]
--ビュルフ・マフルリング(Burh Mahrling)
--イラニン(Ilanin)
--シュレル・ケイン(Shrel Kain)
--リアヴォド(Riavod)
---スカン(Scan)
-[[ピンノン・リューン>リューンの丘陵]](Pinnon Rhûn)
--[[ウルドナ]]川(Uldona)
--エオルスタン(Eorstan)
-[[タウル・ローメン>リューンの森]](Taur Romen)
--リューバール(Rhûbar)
--[[クグ]]川(Kug)
--エルガール(Elgaer)
-[[ロガサヴルド]](Logathavuld)
--サドバール(Sadbar)
-[[サガサヴルド]](Sagathavuld)
-[[戦川]](Warwater)
-[[ガソド]](Gathod)
--[[レスト]](Lest)
--[[ミストランド]](Mistrand)
--ディルグール(Dilgûl)
--ブルフ・アルメンリク(Burh Armenrik)
-[[スルベキ]]川(Sûrûbeki)
-[[ウルガサヴルド]](Urgathavuld)

***リューンの湖より東の土地 [#je57512c]

-[[中央平原>パリソール]]
--ヌラド(Nûrad)
--チェイ=サルト(Chey-Sart)
---ウルク・チェイ=サルト
--カルガリス・アハール
-エレド・ハルマル(Ered Harmal)
-タラスラント(Talathrant)
-[[オロカルニ]](Orocarni)
-極東
--ウォマワス・ドラス(Womawas Drus)
--アエガン(Aegan)
-エレド・グワエン(Ered Gwaen,風の山脈)
--ルーリーク(Ruuliik)
-岩礁の国(Shelflands)
--ロカス=ドラス(Lochas Drus)
--ウォール(Wol)
---ワウ(Waw)
--キモニエノール(Cimonienor)

***リューンの湖より東の諸勢力 [#scb96fac]

:ウォール(Wôl)|岩礁の地にある国々の一つ。この地の住民ウォーリム(Wolim)は[[ドルーエダイン]]と共通の祖先を持つ好戦的な人々で、ロカス=ドラスの最大のライバルでもある。第二紀2000年頃、ワウ(Waw)の王となった[[ドワル]]の下で大規模な艦隊を組織して周辺諸国へ侵攻を開始、沿岸の土地の多くを征服し、岩礁の地の覇権を握った。
:ウォマワス・ドラス(Wômawas Drûs)|記述されてる東方の国々の中で最大規模の勢力。その影響力は西方におけるドゥーネダインに匹敵する。[[当該項目参照>ウォマワス・ドラス]]
:カルガリス・アハール(Kargaris Ahar)|大河タラスラントを挟んでチェイの東側に位置する国。この地に住む遊牧民アハール人は争いを好まない平和的な民で、長らく統一された国を持たずに暮らしてきた。そのため、チェイやハンドといった周辺の国々の侵略の標的とされ、しばしば臣従を強いられてきた。だが第三紀1650年頃、セイ家の長パルネリオン(Parnelion)がチェイの支配に対して抵抗運動を始めた。その過程でパルネリオンはアハールの全部族を統合し、史上初の統一国家を樹立。チェイ軍を追い払い、反対にチェイ領への侵入を果たすなど、一躍リューンの強国として台頭した。
:シェイ(Shay)|ロカス=ドラスの風の山脈を挟んだ西側にある国。比較的文明化の進んだ地域で、[[ハムール]]の母クレーア(Klêa)の出身地。第二紀3262年~3319年までの間、モルドールから派遣されたハムールが現れて、シェイに住む五つの部族の連合を崩壊させ、互いに争わせた。モルドールにハムールが戻った後も内紛は続き、3400年にはハムールの腹心であるモーナルラン(Mônarlan)によって三つの部族が影の支配下に入った。
:ロカス=ドラス(Lôchas Drûs)|第二紀の初頭、ドラル家の当主ウォーマ・ドラル(Wôma Drâl)に率いられ、中つ国の南東部にある岩礁の国に進出した[[ウォマウ]]の入植者たちが建てた国。北の帝国ウォマワス=ドラスと並ぶ南の大帝国として栄えたが、ウォールやカ=イシュ(Ka'ish)等の先住民と軋轢があり、しばしば争いが起こった。第三紀の初めにオエルヴィク・ドラル(Ôervîk Drâl)が自害に追い込まれ、ドラル家が支配権を喪失。その後1200年近く分裂の時代が続いたが、第三紀1148年、オエルヴィクの子孫デミーク・ドラル(Demîk Drâl)が帝国を再統一し、1794年に再び分裂するまで続いた。
:シェイ(Shay)|ロカス・ドラスの風の山脈を挟んだ西側にある国。比較的文明化の進んだ地域で、[[ハムール]]の母クレーア(Klêa)の出身地。第二紀3262年~3319年までの間、モルドールから派遣されたハムールが現れて、シェイに住む五つの部族の連合を崩壊させ、互いに争わせた。モルドールにハムールが戻った後も内紛は続き、3400年にはハムールの腹心であるモーナルラン(Mônarlan)によって三つの部族が影の支配下に入った。
:チェイ・サルト(Chey Sart)|[[ハンド]]からエレド・ハルマル(Ered Harmal)を越えた東側にあるチェイ人の国。タラスラントの二つの支流に挟まれた平野で、国土の中央にウルク・チェイ・サルト(Ulk Chey Sart)と呼ばれる火山がある。この火山は聖地とされ、チェイ人の信仰の対象となっている。炎の王(Fire King)[[レン]]の時代に領土を拡大し、[[ハラド]]北東から[[パリソール]]に跨がる大帝国を築いた。
:ロカス・ドラス(Lôchas Drûs)|第二紀の初頭、ドラル家の当主ウォーマ・ドラル(Wôma Drâl)に率いられ、中つ国の南東部にある岩礁の国に進出した[[ウォマウ]]の入植者たちが建てた国。北の帝国ウォマワス・ドラスと並ぶ南の大帝国として栄えたが、ウォールやカ・イシュ(Ka' ish)等の先住民と軋轢があり、しばしば争いが起こった。第三紀の初めにオエルヴィク・ドラル(Ôervîk Drâl)が自害に追い込まれ、ドラル家が支配権を喪失。その後1200年近く分裂の時代が続いたが、第三紀1148年、オエルヴィクの子孫デミーク・ドラル(Demîk Drâl)が帝国を再統一し、1794年に再び分裂するまで続いた。

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