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#author("2019-01-05T21:32:50+09:00","","")
* メリアドク・ブランディバック [#c3afe8c8]
** 概要 [#Summary]

|~カテゴリー|[[人名]]|
|~スペル|Meriadoc Brandybuck|
|~その他の呼び名|メリー (Merry) &br; 偉丈夫 (the Magnificent) &br; ホルドヴィネ (Holdwine) &br; Kalimac Brandagamba(カリマク・ブランダガンバ)((追補編で明かされている、[[西方語]]での名。))|
|~種族|[[ホビット]]|
|~性別|男|
|~生没年|[[ホビット庄暦]]1382年([[第三紀]]2982年)~不詳(([[ホビット庄暦]]1484年([[第四紀]]63年)に[[ピピン>ペレグリン・トゥック]]と共に[[ホビット庄]]を去って[[ローハン]]に赴き、最後は[[ゴンドール]]で短い余生を過ごして死去))。館主1432~1484(52年間)|
|~親|[[サラドク・ブランディバック]](父)、[[エスメラルダ・トゥック]](母)|
|~兄弟|なし|
|~配偶者|[[エステラ・ボルジャー]]|
|~子|少なくとも息子が一人いたようだが詳細不明|

** 解説 [#Explanation]

|>|>|~[[バック郷]]の[[館主]]|h
|CENTER:[[サラドク・ブランディバック]]&br;1408~1432&br;[[第三紀]]3008~[[第四紀]]11|CENTER:偉丈夫''メリアドク・ブランディバック''&br;[[庄暦>ホビット庄暦]]1432~1484&br;[[第四紀]]11~63|CENTER:(メリアドクの息子)&br;1484~?&br;63~?|

[[指輪の仲間]]の一人の[[ホビット]]。愛称''メリー''。
その名の通り[[ブランディバック一族]]の出で、冒険好きな資質を受け継いでおり、活発で利発な性格。

[[サラドク・ブランディバック]]と[[エスメラルダ・トゥック]]の息子。サラドクの父[[ロリマック・ブランディバック]]の妹[[プリムラ・ブランディバック]]が[[フロド>フロド・バギンズ]]の母親にあたる(つまり母方の従兄弟の息子)。[[ピピンことペレグリン・トゥック>ペレグリン・トゥック]]とは母方の従兄弟。[[フロド>フロド・バギンズ]]より1世代下で、14歳の年少。

*** 旅の仲間 [#v3b84c6b]

[[バック郷]]の[[館主]]である[[サラドク・ブランディバック]]の一人息子として生まれる。
子供の頃から[[ビルボ>ビルボ・バギンズ]]を慕って[[袋小路屋敷]]に出入りしていた親戚たちの一人で、[[ビルボの別れの宴]]にも招待されており、その翌日には屋敷を相続して対応に忙殺された[[フロド]]の手助けをしていた。

メリーは[[別れの宴>ビルボの別れの宴]]の前年からビルボが[[姿を隠す指輪>一つの指輪]]を持っていることに気付いており、フロドにそれが受け継がれたことにも気付いていたが、二人が秘密にしているのを察して他言しなかった。だがフロドが密かに[[ホビット庄]]から旅立つつもりでいるのに気付くと、[[ピピン>ペレグリン・トゥック]]、[[フレデガー>フレデガー・ボルジャー]]、[[サム>サムワイズ・ギャムジー]]らに指輪の秘密を打ち明けて[[陰謀団>陰謀者一味]]を結成し、フロドが独りで旅立つことがないよう策を練った。彼らは[[堀窪]]への引っ越しを手伝うとともにフロドにぴったりと付き添い、堀窪で「陰謀」を明らかにしてからは、親族としての絆と友情からあくまでフロドの危険な旅に同行する覚悟であることを告げた。

フロドが[[エルロンドの会議]]で正式に[[指輪所持者]]として認められ、使命を帯びて[[モルドール]]に向かうことが決まった後も、メリーとピピンは[[ホビット庄]]に返されるところだったのを頑固に反対し、[[ガンダルフ]]の口添えもあって[[指輪の仲間]]の一員として旅を続けることを許された。

だが[[パルス・ガレン]]で一行が[[オーク]]に襲撃された時、2人は[[ウルク=ハイ]]に捕らえられる。この時メリーは剣を抜いて応戦したが額に傷を負い、取り押さえられた。そのまま[[アイゼンガルド]]まで連行されるところだったが、[[ローハン]]の[[騎馬軍団>エオレド]]がオーク達を包囲した隙を突き、ピピンと共に[[グリシュナッハ]]を騙して脱出に成功。
逃げ込んだ[[ファンゴルンの森]]で[[木の鬚]]に出会い、[[サルマン]]の裏切りを話して[[エント]]による[[アイゼンガルド]]攻撃のきっかけを作った。またこの時[[エント水]]を飲んだため、ピピンと共に後に[[ホビット]]の[[最高記録>バンドブラス・トゥック]]をしのぐ高身長となる。

*** ローハンの騎士 [#w5c8b8cd]

メリーは[[アイゼンガルド]]の廃墟で出会った[[セオデン]]に親愛の情を抱き、やがて太刀持ちの小姓として彼に仕えることを申し出る。そしてセオデンから[[スティッバ]]という[[小馬]]を与えられた。
だが[[ロヒアリム]]が[[ゴンドール]]へ長征することになると、危急の強行軍であるとして同行を許されず、[[ローハン]]に留まることを命じられる。仲間たちが皆戦地に身を置く中で独り後背地に留まることはメリーにとって大いに不服なことであった。そのためメリーは[[デルンヘルム(エオウィン)>エオウィン]]に声をかけられて[[その馬>風の道]]の背に乗り、密かに遠征軍に紛れ込んで[[ペレンノール野の合戦]]に参加することになる。

[[魔王]]がセオデンを襲った時には恐怖に襲われて動けなくなってしまったが、デルンヘルムこと[[エオウィン]]がただ一人で魔王に立ち向かっていることに気付くと勇気を奮い起こし、彼女を助けるために魔王の膝の裏を[[塚山出土の剣]]で刺して致命傷を与えるという勲を挙げた。そして今際のセオデンと最後に言葉を交わした。
この時メリーは[[黒の息]]に冒されるが、[[ピピン]]に発見されて[[療病院]]に運ばれ、[[アラゴルン二世]]によって癒やされた。

[[黒門の戦い]]には療養を命じられて参加することができず、その間に[[エオウィン]]の苦しみについて[[ファラミア]]に語っている。
[[コルマルレンの野]]の栄誉礼には参加し、ローハンの騎士として宴の給仕を務め、[[フロド]]と[[サム]]に再会。[[エレスサール王>アラゴルン二世]]の戴冠式と結婚式にも参列した。
その後の[セオデンの葬列では、王の武器を捧持して棺台を運ぶ馬車に乗った。セオデンの葬儀が済むと、[[エオメル]]と[[エオウィン]]から[[マークの角笛]]を戦功の報酬として受け取った。
その後のセオデンの葬列では、セオデンの小姓として、王の武器を捧持し棺台を運ぶ馬車に乗った。セオデンの葬儀が済むと、[[エオメル]]と[[エオウィン]]から[[マークの角笛]]を戦功の報酬として受け取った。

[[水の辺村の合戦]]では、ローハンの騎士としての経験を生かし、[[ピピン>ペレグリン・トゥック]]と共に指揮官として重要な役割を果たした。その後、その丈高い姿と異国の武者装束、堂々とした立ち振舞は[[ホビット庄]]で評判となり、名士として知られるようになる。
[[フロド]]が[[中つ国]]を去る時には、[[ガンダルフ]]にそのことを知らされて[[灰色港]]に駆けつけ、サム、ピピンと共にフロドを見送った。
[[フロド>フロド・バギンズ]]が[[中つ国]]を去る時には、[[ガンダルフ]]にそのことを知らされて[[灰色港]]に駆けつけ、サム、ピピンと共にフロドを見送った。

*** 館主メリアドク [#bef2012b]

やがて[[館主]]位を継いだメリアドクは、その背の高さにより''偉丈夫''と呼ばれた。さらに[[エオウィン]]助太刀の功により、[[エオメル]]王からは''ホルドヴィネ''(([[古英語]]で「誠実な友」の意))の名と栄誉を与えられた。メリアドクは[[ローハン]]との友情を保持し続け、館主となった時にはエオメルとエオウィンより見事な祝いの品々が届けられたという。

著述家としても有名になり、[[ホビット庄]]の歴史と他の国口との繋がりを研究。『[[紀年考]]』『[[ホビット庄の古語および古名]]』、『[[ホビット庄本草考]]』といった多くの本を著し、これらは[[トールキン>ジョン・ロナルド・ロウエル・トールキン]]の[[西境の赤表紙本]]翻訳の重要な資料となっている。また彼が[[裂け谷]]から得たと思われる資料と、[[ペレグリン>ペレグリン・トゥック]]が収集した[[大スミアル]]の蔵書を利用して「[[西国年代記(代々の物語)>西国年代記]]」が編纂されたと考えられている。

老後は、[[ペレグリン・トゥック]]とともに家督をそれぞれの息子に譲って[[ローハン]]に赴き、[[エオメル]]王が薨ずるのを看取る。その後二人は[[ゴンドール]]で短い余生を過ごした後、[[ラス・ディネン]]に葬られた。2人の棺は、崩御した[[エレスサール王>アラゴルン二世]]の傍らに並べ置かれたという。
老後は、[[ペレグリン・トゥック]]とともに家督をそれぞれの息子に譲って[[ローハン]]に赴き、[[エオメル]]王が薨ずるのを看取る。その後二人は[[ゴンドール]]で短い余生を過ごした後、[[ラス・ディネン]]に葬られた。2人の棺は、後に崩御した[[エレスサール王>アラゴルン二世]]の傍らに並べ置かれたという。

*** 略歴 [#ye26f0f4]

-2982年 生誕。
-3001年 19歳。[[ビルボの別れの宴]]。
-[[3018年 大いなる年>大いなる年]]、[[指輪戦争]] 36歳。[[フロド>フロド・バギンズ]]らと共に[[ホビット庄]]を旅立ち、[[裂け谷]]で[[指輪の仲間]]に加えられる。
-[[3019年 大いなる年>大いなる年]]、[[指輪戦争]] 37歳。[[ペレグリン>ペレグリン・トゥック]]と共に[[ウルク=ハイ]]に捕えられる。[[アイゼンガルド]]陥落を見届け、[[ローハン]]の[[セオデン]]王の小姓となる。[[ペレンノール野の合戦]]にて[[エオウィン]]姫と共に[[魔王]]を斃し、勲を上げる。[[水の辺村の合戦]]、指輪戦争終結。
-3021年 39歳。[[サムワイズ>サムワイズ・ギャムジー]]、ペレグリンと共に、[[灰色港]]でフロドら[[指輪所持者]]達が[[中つ国]]を去るのを見送る。
-[[第四紀]]11年 50歳。[[バック郷]]の[[館主]]となる。
-13年 52歳。[[エレスサール王>アラゴルン二世]]により[[北王国の顧問官]]に任ぜられる。
-15年 54歳。エレスサール王の[[北方王国]]、[[ブランディワイン橋]]行幸。
-63年 102歳。[[ローハン]]の[[エオメル]]王より伝言を受け、ペレグリンと共にめいめい家督を息子に譲りローハンへ赴く。その年の秋にエオメル王を看取った後は、ペレグリンと共に[[ゴンドール]]へ赴いて短い余生を送る。亡くなると[[ラス・ディネン]]に葬られたという。
-120年 エレスサール王がみまかると、メリアドクとペレグリンの棺台は王の傍らに並べ置かれたという。

** 映画『[[ロード・オブ・ザ・リング]]』における設定 [#Lotrmovie]

|~俳優|[[ドミニク・モナハン]]|
|~日本語吹き替え|[[村治学]]|
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ピピンの悪友としてキャラクター付けがされ、『[[旅の仲間>ロード・オブ・ザ・リング#FellowshipOfTheRing]]』では一緒になっていたずらに興じる場面が多い。『[[エクステンデッド・エディション]]』ではそのシーンがさらに増えている。しかし冷静で思慮深い面もあるため、危機的状況に陥った時は機転を効かせている。また、事態の深刻さを飲み込めず、何かとトラブルを起こすピピンを度々制止している。
『[[王の帰還>ロード・オブ・ザ・リング#ReturnOfTheKing]]』では原作同様、魔王を刺してエオウィンを助けたが、[[塚山丘陵]]のシーンがカットされたため、この時使用した武器も[[塚山出土の剣]]ではない([[ロスローリエン]]にて[[ガラドリエル]]から贈られた[[ノルドール]]のナイフであるという説と、柄の形状から[[ローハン]]製の短剣であるという説とがあり、映像からは判然としない)。

原作では、[[ミナス・ティリス>ミナス・ティリス(ゴンドール)]]で療養していたため[[黒門の戦い]]には参加していないが、映画では参加している。

*** 画像 [#iec5616c]

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** ゲーム『[[ロード・オブ・ザ・リングス オンライン]]』における設定 [#LotRO]

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** コメント [#Comment]

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