* ホビット&ruby(しょうごよみ){庄暦}; [#e08563f8]
** 概要 [#Summary]

|~カテゴリー|[[暦]]|
|~スペル|Shire-Reckoning(S.R.)|
|~異訳|ホビット庄の紀年、ホビット庄暦法|
|~その他の呼び名||

** 解説 [#Explanation]

[[ホビット庄]]及び[[ブリー村]]の[[ホビット]]たちが用いた太陽暦((太陽年は365.2422日、365日5時間48分46.08秒))。『[[指輪物語]]』での年月日は、原本である[[西境の赤表紙本]]に登場する年月日を全てホビット庄暦に直して表記されている。

放浪の民であった頃のホビットには、[[月]]の満ち欠けに基づく月はあったが週は無く、日付や時間の計算は不正確だった。[[エリアドール]]西部に定住した頃、彼らは[[ドゥーネダイン]]が使用していた[[王の暦法]]に若干の変更を加えた暦を使用するようになった。これがホビット庄暦(ホビット庄暦法)である。
ホビット庄では[[マルコ]]と[[ブランコ]]の兄弟が[[ブランディワイン]]川を渡った、ホビット庄植民の年(第三紀1601年)を元年とするが、ブリー村では第三紀1300年を元年とした。

平年は365日で、中日(Mid-year's Day、183日目)をなるべく夏至に合わせる。一年の最初の日と最後の日を[[ユールの日>ユール]](Yuledays)、中日とその前後の日を合わせた3日を[[ライズの日>ライズ]](Lithedays)と呼ぶ。これらユールとライズの日は月に入らない祝祭日で、残りの360日は12の月に分ける。月は全て30日。
年末と年始はそれぞれ3日間の計6日間に渡って、ユール祭り(Yuletide)を祝う。夏至である中日には[[白が丘連丘]]で[[自由市]]が開かれる。
4年ごとの閏年には中日の後に1日が加わり、ライズの日が4日間となる。この4年に一度の、3日目のライズの日(閏年の184日目)は、ライズ重日(Overlithe)と呼ばれ、特に盛大に祝われる。ただし世紀の最後の年(ブリー村では世紀の最初の年)、つまり王の暦法でいうハランイエの年はライズ重日がない。([[暦の比較表]])

[[西方語]]での[[月名>月(暦)]]は王の暦法の[[クウェンヤ]]名が広く用いられたが、ホビットたちは古くから続く自分たちの月名を守り続けた。これはかつて[[アンドゥイン]]の谷間に住んでいた[[人間]]たちが考案した月名を、エリアドールに移住する前のホビットたちが受け継いだものと思われている((ホビットたちの月名と似た名前が[[谷間の国]]や[[ローハン]]にあった))。ただし名前の意味は忘れ去られ、語形は崩れていった。mathはmonthが縮小した形で、ホビット庄とブリー村では一部の名称が異なる。フラリ、チジング、冬至月の名称は東[[四が一の庄]]でも用いられた。

||~日数|~ホビット庄での月名|~ブリー村での月名|
||RIGHT:1|>|二のユール(2 Yule)|
|RIGHT:1月|RIGHT:30|ユール後月(Afteryule)|フラリ(Frey)|
|RIGHT:2月|RIGHT:30|>|ソマス(Solmath)((普通はSomathと発音し、そう書かれることもあった))|
|RIGHT:3月|RIGHT:30|>|レセ(Rethe)|
|RIGHT:4月|RIGHT:30|アストロン(Astron)|チジング(Chithing)|
|RIGHT:5月|RIGHT:30|>|スリミッジ(Thrimidge)((しばしばThrimichと書かれた。古くはThrimilchとも書いた))|
|RIGHT:6月|RIGHT:30|ライズ前月(Forelithe)|ライズ(Lithe)|
||RIGHT:1|一のライズ(1 Lithe)|夏日(The Summerdays)|
||RIGHT:1|中日(Midyear’s Day)|~|
||RIGHT:1|二のライズ(2 Lithe)|~|
|RIGHT:7月|RIGHT:30|ライズ後月(Afterlithe)|ミード(Mede)|
|RIGHT:8月|RIGHT:30|>|ウェドマス(Wedmath)|
|RIGHT:9月|RIGHT:30|ハリマス(Halimath)|収穫月(Harvestmath)|
|RIGHT:10月|RIGHT:30|ウィンターフィルス(Winterfilth)|冬入り(Wintring)|
|RIGHT:11月|RIGHT:30|ブロドマス(Blotmath)((BlodmathまたはBlommathと発音する))|ブルーティング(Blooting)|
|RIGHT:12月|RIGHT:30|ユール前月(Foreyule)|冬至月(Yulemath)|
||RIGHT:1|>|一のユール(1 Yule)|

月名と同じく、ホビットたちは曜日名も古くから使い続けている名前に固執した。これは第三紀1000年頃かそれ以上前に、ドゥーネダインの曜日名を採用した[[北方の人間たち>北方の自由の民]]が翻訳したものである。そしてこの翻訳名も時代を経るにつれて意味が忘れられ、形は崩れていった。下記の古い名称は[[タック村]]の年代記、黄皮表紙本(Yellowskin)に記載されていたもの。
一週間の最後の金曜日が主日(the chief day)で、正午から休日となり、夕べの宴を行う。

||~曜日名の意味|~古い名称|~指輪戦争時の名称|~『指輪物語』での表記|
|1|星の日(Star day)|Sterrendei|Sterday|土曜日(Saturday)|
|2|太陽の日(Sun day)|Sunnendei|Sunday|日曜日(Sunday)|
|3|月の日(Moon day)|Monendei|Monday|月曜日(Monday)|
|4|木の日(Tree day)|Trewesdei|Trewsday|火曜日(Tuesday)|
|5|天の日(Heaven day)|Hevenesdei|Hevensday&br;Hensday|水曜日(Wednesday)|
|6|海の日(Sea day)|Meresdei|Mersday|木曜日(Thursday)|
|7|高き日(High day)|Hihdei((Highdeiはミススペルとして後に訂正された))|Highday|金曜日(Friday)|

[[アイゼングリム・トゥック二世]]の時代に、中日と閏年のライズ重日は週に属さず、曜日を付けないことになった。これによりその他の全ての日にちと曜日が固定され、一年は第1週の最初の土曜日に始まり、第52週の最後の金曜日に終わるようになった。ホビット庄民はこれをホビット庄の改善(Shire-reform)と呼び、この「改善」はブリー村でも取り入れられた。だが日にちと曜日が固定されたことで、ホビット庄の住人は曜日の記入をしなくなり、ブリー村より遠いところへ旅をすると面倒なことになった。
この方式だと、金曜日はどの月でも一日になることがない。そのためホビット庄では存在しない日、ありえない(あってはならない)出来事が起こりそうな日のことを指す、「一日の金曜日」という冗談めいた表現が存在した。より長めに言えば「サマーフィルスの一日の金曜日」である。もちろんホビット庄暦にウィンターフィルスの月はあるが、サマーフィルスの月はない。

王の暦法は[[第三紀]]2060年に[[執政の暦法]]へと改定されたが、ホビット庄暦法には反映されなかった。また[[再統一された王国]]では[[大いなる年]]の第三紀3019年3月25日から[[新暦法]]へと移行したが、ホビット庄では庄暦を使い続けた。
王国では、ホビット庄暦1421年(第三紀3021年)3月25日にあたる日から[[第四紀]]が始まったが、ホビット庄民は庄暦1422年を第四紀の始まりとした。そのため彼らにとっての第四紀は庄暦1422年の二のユールの日から始まった。また年数もそのまま継続したので、例えば[[サムワイズ・ギャムジー]]が[[灰色港]]へ向かうために[[袋小路屋敷]]を発った庄暦1482年9月22日は「ホビット庄での第四紀61年9月22日」であり、王国の新暦法では第四紀62年の出来事となる。

第四紀以降のホビット庄で[[サウロン]]の没落の3月25日と[[指輪所持者]][[フロド]]の誕生日9月22日を祝ったという記録はない。だが西[[四が一の庄]]、特に[[ホビット村]]の[[お山]]の周辺では、4月6日は天気がよければ休日とし、[[誕生祝いの原]]でダンスをする習慣が根付いた。また[[バック郷]]ではホビット庄の掃蕩の1419年11月2日に[[メリアドク・ブランディバック]]が[[マークの角笛]]を鳴らしたのを記念して、毎年11月2日にこの角笛を鳴らし、大篝火祝宴を行うようになった。

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