* ヘルム [#x16ffe8c]
** 概要 [#Summary]

|~カテゴリー|[[人名]]|
|~スペル|Helm|
|~その他の呼び名|&ruby(ついしゅおう){槌手王};(Hammerhand)|
|~種族|[[人間]]([[ロヒアリム]])|
|~性別|男|
|~生没年|[[第三紀]]2691~†2759(享年68)。在位2741年~2759年(18年間)|
|~親|[[グラム]](父)|
|~兄弟|[[ヒルド]](妹)|
|~配偶者|不明|
|~子|[[ハレス>ハレス(ヘルムの息子)]](息子)、[[ハマ>ハマ(ヘルムの息子)]](息子)、娘(名前不明)|

** 解説 [#Explanation]

|>|~[[リダーマーク]]の王(第一家系)|~(第二家系)|h
|CENTER:第8代&br;[[グラム]]&br;2718~2741|CENTER:第9代&br;槌手王''ヘルム''&br;[[第三紀]]2741~2759|CENTER:第10代&br;[[フレアラフ]]&br;2759~2798|
[[マーク(ローハン)>ローハン]]9代目の王。
2754年、ローハン西方に領地を有する領主[[フレカ]]が自分の息子[[ウルフ]]に、ヘルムの娘を嫁として要求した時、ヘルムはフレカを罵倒。さらにヘルムは決闘でフレカを殴り殺す。その後ヘルムは、ウルフたちフレカの息子を、マークの敵として追放した。
2758年、ウルフが[[褐色人の国]]の[[褐色人]]を率いてローハンを攻撃した時、ヘルムは[[ロヒアリム]]を率いて[[角笛城]]とその背後の峡谷(後の[[ヘルム峡谷]])に、翌年2759年まで立て籠もる。
この戦いのとき寒波に襲われ、ロヒアリムもその敵も大きな損害を受けた。ヘルムは、長男[[ハレス>ハレス(ヘルムの息子)]]と次男[[ハマ>ハマ(ヘルムの息子)]]を失う。その哀しみと冬の飢えで自暴自棄になったヘルムは、単身で城から出撃して角笛を吹き鳴らし、雪の中を白装束で敵の野営地の中に入り込み、素手で多くの人間を倒したという(槌手王の名はそれに由来する)。
やがてある日、ヘルムは砦に戻らず、外で立ったまま死んでいる姿を発見された。だがその後もヘルム峡谷では角笛を吹く音が聞かれ、ヘルムの亡霊が出てマークの敵を殺すと言い伝えられた。

[[マーク(ローハン)>ローハン]]9代目の王。その勇猛さで、マークの王の中でも有名な人物。
2754年、[[エドラス]]での王の会議において、[[西境>西境(ローハン)]]の[[アドーン]]川周辺に広大な領地を有する領主[[フレカ]]が自分の息子[[ウルフ]]に、ヘルムの娘を嫁として要求したため、両者は口論となった。会議の後、ヘルムはフレカを強引にエドラスの外へ連れ出し、殴り殺した。その後ウルフとフレカの近親者は王の敵であると宣言し、西の国境に兵力を差し向けて彼らを追放した。
2758年、[[東夷]]の侵略に乗じて、ウルフが[[褐色人の国]]の[[褐色人]]を率いて((これに[[レフヌイ]]川と[[アイゼン]]川の河口に上陸した[[ウンバール]]と[[ハラド]]の艦隊の兵力も加わった))ローハンへと侵攻した。ヘルムは[[アイゼンの浅瀬]]で敗北し、スースブルグの砦(後の[[角笛城]])とその背後の峡谷(後の[[ヘルム峡谷]])に、翌年2759年まで立て籠もった。
この戦いのとき、[[エリアドール]]とローハンは「長い冬」と呼ばれた厳冬に襲われ、ロヒアリムもその敵も大きな損害を受けた。ヘルムは、長男[[ハレス>ハレス(ヘルムの息子)]]と次男[[ハマ>ハマ(ヘルムの息子)]]を失った哀しみと冬の飢えで自暴自棄になり、大きな角笛を一吹きしては単身で砦から出撃し、雪の中を白装束で敵の野営地の中に乗り込んで、素手で多くの人間を殺した(槌手王の名はそれに由来する)((敵である[[褐色人]]の噂では、食料が見つからなかったときは人間を食べたといわれ、[[褐色人の国]]で長く語り伝えられた))。その結果、大角笛の音が峡谷にこだまする度に、敵は[[奥谷]]を下って逃げ去った。
やがてある日、ヘルムは砦に戻らず、外で立ったまま死んでいる姿を発見された。だがその後もヘルム峡谷では大角笛の音がこだまし、ヘルムの亡霊が現れてマークの敵を恐怖で殺すと言い伝えられた。彼が葬られた[[エドラス]]の塚山には、ひときは多くの[[シンベルミネ>忘れじ草]]が咲き、あたかも雪をかぶっているように見えたという。

ヘルムの死後、マークの王位は彼の妹[[ヒルド]]の息子[[フレアラフ]]が継承した。

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