* ブリー郷 [#t99a31ec]
** 概要 [#ue728299]
#author("2022-09-15T20:26:57+09:00;2020-06-22T00:01:01+09:00","","")
-ブリー郷内で最も大きな村については[[ブリー村]]を参照してください。
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* ブリー&ruby(ごう){郷}; [#t99a31ec]
** 概要 [#Summary]

|~カテゴリー|地名|
|~スペル|Bree-land((breeは丘を表す[[ケルト語]]))|
|~その他の呼び名||
|~カテゴリー|[[地名]]|
|~スペル|Bree-land|

** 解説 [#wa326594]
** 解説 [#Explanation]

[[エリアドール]]の中心近く、[[ホビット庄]]と[[裂け谷]]の中間のあたりにある集落。周囲には無人地帯が広がっており、ここのみ人が住む孤立した島のようになっている。ブリー郷で最も大きな集落は[[ブリー村]]で、他の集落に[[元村]]、[[小谷村]]、[[アーチェト村]]などがある。
[[エリアドール]]の中心近く、[[ホビット庄]]から40マイル(約64km)ほど東((『[[旅の仲間>指輪物語/旅の仲間]]』「躍る小馬亭で」冒頭の解説では'''[[ブランディワイン橋]]の東からこの小さな郷まで、馬に乗って一日もかからないくらいの道程'''であるという。))にある[[人間]]と[[ホビット]]が住む地域。周囲には無人地帯が広がっており、ここのみ人が住む孤立した島のようになっている。ブリー郷の主要な集落は[[東街道]]が通る''[[ブリー村]]''で、他に三つの集落([[元村]]、[[小谷村]]、[[アーチェト村]])がある。これらの村々は[[ブリー山]]やその周辺にあった。

>ブリー村は、ブリー郷で一番大きな村ですが、ブリー郷、まるで小島のように無人の土地に囲まれて、そこだけ人の住みついた、小さな地域でした。プリー村のほかには、ブリー山の反対側に元村、少し東の深い谷間に小谷村、そして[[チェトの森]]のはずれにアーチェト村がありました。[[ブリー山]]とこれらの村々の周りは、その幅わずか数マイルほどの田野と人手のはいった森林地帯が取り巻いていました。(([[指輪物語]] [[旅の仲間]] 躍る小馬亭で))
>[[ブリー村]]は、ブリー郷で一番大きな村ですが、ブリー郷は、まるで小島のように無人の土地に囲まれて、そこだけ人の住みついた、小さな地域でした。ブリー村のほかには、[[ブリー山]]の反対側に[[元村]]、少し東の深い谷間に[[小谷村]]、そして[[チェトの森]]のはずれに[[アーチェト村]]がありました。ブリー山とこれらの村々の周りは、その幅わずか数マイルほどの田野と人手のはいった森林地帯が取り巻いていました。((『[[旅の仲間>指輪物語/旅の仲間]]』「躍る小馬亭で」冒頭の解説))

*** ブリー郷の住人 [#te88073e]

この土地の住人の言い伝えによれば、[[第一紀]]に[[人間]]が西方([[ベレリアンド]])に向かった時から、ブリー郷の住人はこの地に住んでいたという。[[第三紀]]末にはブリー郷の住人は、([[ドゥーネダイン]]を除き)[[中つ国]]極西の地に住む人間となっていた。
一部の[[ホビット]]は東から西へと移動する途中、[[ホビット庄]]に移住する前にこの土地に住み着いた。その結果ブリー郷は、ホビットと人間が共同生活を送っている唯一の土地となる(ホビットは主にブリー郷の[[元村]]にいる)。
この土地の住人の言い伝えによれば、[[第一紀]]に[[人間]]が西方([[ベレリアンド]])に向かった時から、ブリー郷の人間はこの地に住んでいたという。[[第三紀]]末にはブリー郷の人々は、([[ドゥーネダイン]]を除き)[[中つ国]]極西の地に定住する人間となっていた。

>ブリー村の人間たちは髪の毛が茶色で、どちらかといえば背が低く、体つきががっしりしていました。性質は快活で独立の精神をもっていました。かれらは自分たち以外の何者にも依存しないで暮らしていました。そして、[[大きい人]]たち一般の場合にくらべると、[[ホビット]]とか、[[ドワーフ]]とか、[[エルフ]]とか、その他、自分たちを取り囲む世界のほかの住人たちとずっと親しくまじわっていました。かれら自身に伝わる話によると、かれらはこの土地に元から住みついており、昔、[[中つ国]]のこの西の地に流れて来た最初の人間たちの子孫だということでした。[[上古]]の頃の度重なる騒乱をくぐり抜けて生き残れた者は非常に少なかったのですが、[[王たち>ドゥーネダイン]]が[[大海]]を渡ってふたたび戻って来た時、かれらは、ブリー山の人たちが今なお同じ場所にいるのを見いだしたのでした。そして、[[古き王たち>アルノール]]の記憶が草むす墓の中に薄れ去った今もなお、かれらは同じ場所に住みついているのです。(([[指輪物語]] [[旅の仲間]] 躍る小馬亭で))
>ブリー村の人間たちは髪の毛が茶色で、どちらかといえば背が低く、体つきががっしりしていました。性質は快活で独立の精神をもっていました。かれらは自分たち以外の何者にも依存しないで暮らしていました。そして、[[大きい人]]たち一般の場合にくらべると、[[ホビット]]とか、[[ドワーフ]]とか、[[エルフ]]とか、その他、自分たちを取り囲む世界のほかの住人たちとずっと親しくまじわっていました。かれら自身に伝わる話によると、かれらはこの土地に元から住みついており、昔、[[中つ国]]のこの西の地に流れて来た[[最初の人間たち>エダイン]]の子孫だということでした。[[上古]]の頃の度重なる騒乱をくぐり抜けて生き残れた者は非常に少なかったのですが、[[王たち>ドゥーネダイン]]が[[大海]]を渡ってふたたび戻って来た時、かれらは、[[ブリー山]]の人たちが今なお同じ場所にいるのを見いだしたのでした。そして、[[古き王たち>アルノール]]の記憶が草むす墓の中に薄れ去った今もなお、かれらは同じ場所に住みついているのです。((『[[旅の仲間>指輪物語/旅の仲間]]』「躍る小馬亭で」冒頭の解説))

*** 街道の要所 [#m426a3e7]
また『[[追補編>指輪物語/追補編]]』には、[[ブリー村]]の[[人間]]たちはずっと昔に北方へと移住してきた[[&ruby(ダンレンデイング){褐色国人};>褐色国人]]の同族であるという異説が述べられている([[&ruby(ダンレンデイング){褐色国人};>褐色国人]]の項も参照)。

ブリー郷は東西南北の街道が交差するところで、交通の要所となっていた(もっとも[[アルノール]]の滅亡後は、南北の街道([[緑道]])は使われなくなったが)。
この土地には、時折ホビット庄のホビットが旅に来ることもあった(ただ第三紀末には非常に少なくなっていた)。また[[青の山脈]]と[[はなれ山]]などを行き来する旅人、主に[[ドワーフ]]が立ち寄ることもある。さらに、アルノールの[[野伏]]も時折ブリー郷に立ち寄っている。
ブリー郷には[[ホビット]]も多数住んでおり、人間とホビットが共同生活を送っている唯一の土地であった。
ホビットが[[エリアドール]]に移住してきた時、その最古の居住地が築かれたのがブリー郷であったと言われている。かれらは[[第三紀]]1300年頃よりブリー郷に住みつき、1601年にはさらに西に移動して[[ホビット庄]]が築かれた([[ホビット庄暦]]元年)。ブリー郷にはその後もホビット庄へと移住しなかったホビットが住み続け、ホビット庄のホビットとは異なる気風を有するようになった。
ブリー郷のホビットの大多数は[[元村]]に住み、人間たちの家々を見下ろす[[ブリー山]]の山腹に[[ホビット穴]]の住居を構えた。

** コメント [#sd2b44cd]
かつては[[ホビット庄]]とブリー郷のホビットはそれなりに交流を持ち(特に[[バック郷]]の住民や冒険好きの[[トゥック一族]]の者が[[躍る小馬亭]]を訪れた)、[[ブランディバック一族]]にはブリー郷のホビットの血が流れているとされた。だが[[第三紀]]末には、たまにブリー郷のホビットがバック郷や[[東四が一の庄>四が一の庄#East]]を訪れることはあれど、ホビット庄のホビットがブリー郷を訪れることは滅多になく、ホビット庄ではブリー郷のホビットを「よそ者」と見なして関心を払わなくなっていた。一方のブリー郷の民もホビット庄民を「よそ者」と見なしていたが、『[[指輪物語]]』中での描写を見るに、庄民への関心は失っていなかったようである。

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*** ブリー郷の地名について [#ra301576]

[[トールキン>ジョン・ロナルド・ロウエル・トールキン]]により、ブリー郷にある地名の一部には、[[bree>ブリー村]]、[[chet>チェトの森]]、[[Archet>アーチェト村]]のようにケルト風の言葉が割り当てられている。

** コメント [#Comment]

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