* ヒャルメンダキル一世 [#gf1e185d]
** 概要 [#Summary]

|~カテゴリー|[[人名]]|
|~スペル|Hyarmendacil I|
|~その他の呼び名|キアヤヘア(Ciryaher) &br; 船艦王(Ship-King)|
|~種族|[[人間]]([[ヌーメノール人]])|
|~性別|男|
|~生没年|[[第三紀]](899)~1149(享年250)。在位1015~1149(134年間)((『[[追補編]]』では「[[アナリオン>アナーリオン]]の家系では一人を除いてもっとも長い治世」と述べられているが、正確には[[タロンドール>タロンドール(ミナスタンの息子)]]の162年、[[メネルディル]]の156年に次ぐ三番目である))|
|~親|[[キアヤンディル]](父)|
|~兄弟||
|~配偶者||
|~子|[[アタナタール二世]](息子)|

** 解説 [#Explanation]

|>|>|~[[ゴンドール]]の王|h
|CENTER:第14代&br;[[キアヤンディル]]&br;936~1015|CENTER:第15代&br;''ヒャルメンダキル一世(キアヤヘア)''&br;[[第三紀]]1015~1149|CENTER:第16代&br;[[アタナタール二世]]&br;1149~1226|

元々の名は''キアヤヘア''。[[ゴンドール]]15代目の王で、[[ファラストゥア]]から4代続いた最後の''船艦王''。
[[ハラド]]侵攻の時機を待って兵力を蓄え、時が至るとゴンドール軍を率いて[[ハルネン]]川を渡河し、南方へ進軍した。海陸両面からの攻撃によって、1050年に[[ハラドリム]]に大勝し、ハラドの王たちにゴンドールの主権を認めさせた。この勝利により、彼は[[クウェンヤ]]で「南の勝者」(South-victor)を意味する''ヒャルメンダキル''を名乗った。
彼の治世にゴンドールの国力は絶頂に達し、何者も彼の支配に抵抗しようとはしなかった。[[アンドゥイン]]の谷間の[[人間]]たち([[北方の自由の民]]の一部)もゴンドールの権力を認め、ハラドの王たちは息子たちをゴンドールの王宮に人質に取られた上で、忠誠を誓った。

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