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* バック郷 [#ob49a8bd]
** 概要 [#p2de767e]
|~カテゴリー|地名|
|~スペル|Buckland|
|~異訳|バックの里|
|~その他の呼び名|東境(Eastmarch)|
** 解説 [#c9036197]
[[ホビット庄]]の東の外れ、[[ブランディワイン]]川と[[古森]]に挟まれた稠密地帯。古森との間には[[高垣]]が築かれている。ゴーヘンダード・オールドバックが[[ブランディワイン]]川を東に渡り、自分の名をブランディバックと改めてそこに住むようになる。彼の死後も[[ブランディバック一族]]が増え続け、この地に住み続けた。
元々のホビット庄はブランディワイン川の西なので、バック郷はホビット庄の4つの[[四が一の庄]]の内には含まれず、「東境」と呼ばれる。バック郷の中での一番の主だった村は[[バックル村]]。[[堀窪]]もバック郷に含まれる。
バック郷は、ホビット庄からはかなり独立性が高く、この地の[[ホビット]]は大方のホビット庄の住民からは半ば異国人扱いされていた。
>「[[ホビット村]]の[[バギンズの一族>バギンズ家]]ともあろうものが、またなんでバック郷くんだりまで嫁さんを探しに行かなきゃならなかったのか、わしにはわからんのう。バック郷のやつらはえらく変わってるで。」((『[[旅の仲間]]』「待ちに待った誕生祝い」[[つたの枝館]]での噂話のノアキスじいさんの台詞))
>沢地の国の者たちは、バック郷に住む者たちと親しく、[[館主]](ブランディバック家の家長はそう呼ばれていました)の権威は今でもまだ[[切株村]]から[[藺草村]]へかけての農民たちの承認するところになっていました。しかし旧ホビット庄の住人たちの大部分はバック郷に住む者のことを一風変わっていると考え、半ば外国人扱いでした。しかし実際は、バック郷の者といっても、四つの[[四が一の庄]]に住むホビットたちとたいして違ったところはないのでした。もし違ってるとしたら、かれらが船に乗ることを好み、中には泳げるものもいた、という点だけでした。((『[[旅の仲間]]』「正体をあらわした陰謀」[[渡し場>バックル村の渡し]]から対岸の[[ブランディ屋敷]]を望む場面での解説))
** コメント [#w4ab435f]
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