#author("2019-10-25T23:28:19+09:00","","")
#author("2023-08-07T10:32:46+09:00;2021-10-10T00:12:25+09:00","","")
* ナンドゥヒリオンの合戦 [#s89433d4]
** 概要 [#Summary]

|~カテゴリー|[[歴史・事件]]|
|~スペル|Battle of Nanduhirion|
|~その他の呼び名|アザヌルビザールの合戦(Battle of Azanulbizar)|

** 解説 [#Explanation]

>これを想起して、オークたちはいまだに身をおののかせ、ドワーフたちは啜り泣くのである。((『[[指輪物語]] [[追補編>指輪物語/追補編]]』「III ドゥリンの一族」))
>これを想起して、オークたちはいまだに身をおののかせ、ドワーフたちは啜り泣くのである。((『[[指輪物語]] [[追補編>指輪物語/追補編]]』「ドゥリンの一族」))

[[第三紀]]2799年に[[ナンドゥヒリオン(おぼろ谷)>ナンドゥヒリオン]]において行われた、''ドワーフとオークの戦争''(War of Dwarves and Orcs)における最後の戦闘。
この戦いで[[ドワーフ]]は[[霧ふり山脈]]の[[オーク]]に勝利して復讐を果たしたものの、[[モリア]]を奪回するには至らなかった。
[[第三紀]]2799年に[[霧ふり山脈]]の[[ナンドゥヒリオン(おぼろ谷)>ナンドゥヒリオン]]において行われた、''ドワーフとオークの戦争''(War of the Dwarves and the Orcs)における最後の戦闘。
この戦いで[[ドワーフ]]は霧ふり山脈の[[オーク]]に勝利して復讐を果たしたものの、[[モリア]]を奪回するには至らなかった。

*** 参戦国、勢力 [#ze747060]

:[[ドワーフ]]の連合軍|[[ドゥリンの一族]]、[[くろがね連山]]、他全ての氏族
:[[霧ふり山脈]]の[[オーク]]軍|[[グンダバド]]、[[モリア]]、他

** ドワーフとオークの戦争 [#thewar]

*** 概要 [#Summary]

[[第三紀]]2793年から2799年にかけて全[[ドワーフ]]と[[霧ふり山脈]]の[[オーク]]との間で行われた、ドワーフ王[[スロール]]の死を発端として起こった戦争。
2790年、スロールは[[モリア]]に入り込もうとしてそこを占拠していたオークの首領[[アゾグ]]に殺され侮辱される。[[ドゥリンの一族>長鬚族]]の王に対して加えられたこの仕打ちに全ドワーフは怒り、兵力を集結すると霧ふり山脈中のオークの拠点に片端から攻撃を加え、ひとつひとつ陥落させていった。

[[グンダバド]]の緒戦にはじまり、[[ナンドゥヒリオン(おぼろ谷)>おぼろ谷]]の合戦でドワーフの勝利に終わった。

*** 開戦にいたるまで [#fc3bcf7d]

[[第三紀]]1981年、[[モリア]]の[[ドワーフ]]である[[ドゥリンの一族>長鬚族]]は地中深く[[ミスリル]]を求めすぎたあまり[[バルログ]]を目覚めさせてしまい、モリアを追われる。かれらは[[エレボール]]や[[エレド・ミスリン]]を開拓し移住したものの、いずれも[[龍]]の略奪に遭い、2770年の[[スマウグ]]の襲来でエレボールが失われると、流離の生活を送ることを余儀なくされた。
一方、[[サウロン]]([[死人占い師]])は全ての[[自由の民]]の通行を妨げるべく、2480年頃より[[霧ふり山脈]]の主要な山道に配下の[[オーク]]を送り込みはじめていた。オーク達は山中に密かに拠点を築き、廃墟となっていたモリアも占拠される。
[[第三紀]]1981年、[[霧ふり山脈]]の地下王国[[モリア]]の[[ドワーフ]]である[[ドゥリンの一族>長鬚族]]は地中深く[[ミスリル]]を求めすぎたあまり[[バルログ]]を目覚めさせてしまい、モリアを追われる。かれらは[[エレボール(はなれ山)>エレボール]]や[[灰色山脈]]を開拓し移住したものの、いずれも[[龍]]の略奪に遭い、2770年の[[スマウグ]]の襲来でエレボールが失われると、流離の生活を送ることを余儀なくされた。
一方、[[サウロン]]([[死人占い師]])は全ての[[自由の民]]の通行を妨げるべく、2480年頃より霧ふり山脈の主要な山道に配下の[[オーク]]を送り込みはじめていた。オーク達は山中に密かに拠点を築き、廃墟となっていたモリアも占拠される。

2790年、放浪のつらさと財宝への飢えで精神に異常をきたし始めていたドゥリン一族の王[[スロール]]は、無謀にも単身モリアへの帰還を図ろうとする(彼が長年所持していた[[七つの指輪]]の悪影響によるものとも言われる)。
彼は指輪を息子の[[スライン二世]]に譲ると、ただ一人従者の[[ナル]]を引き連れてモリアの東門(大門)がある[[ナンドゥヒリオン(おぼろ谷)>おぼろ谷]]に赴き、ナルを待たせて一人で門から中に入って行った。しかし数日後、騒音と共に戸口から死体が投げ出され、ナルが近づいて見ればはたしてスロールの遺体であった。遺体は首を切断されていた上に、額にはドワーフの[[ルーン文字>キアス]]で「[[アゾグ]]」の名が刻印されていた。
スロールを殺害したオークの首領であるアゾグは、このことを身内のドワーフに知らせるようにと小銭の入った袋を“駄賃”として投げつけナルを追い払い、その後でスロールの遺体を切り刻んで烏に投げ与える。
彼は指輪を息子の[[スラーイン二世]]に譲ると、ただ一人従者の[[ナール]]を引き連れてモリアの東門(大門)がある[[ナンドゥヒリオン(おぼろ谷)>おぼろ谷]]に赴き、ナールを待たせて一人で門から中に入って行った。しかし数日後、騒音と共に戸口から死体が投げ出され、ナールが近づいて見ればはたしてスロールの遺体であった。遺体は首を切断されていた上に、額にはドワーフの[[ルーン文字>キルス]]で「[[アゾグ]]」の名が刻印されていた。
スロールを殺害したオークの首領であるアゾグは、このことを身内のドワーフに知らせるようにと小銭の入った袋を“駄賃”として投げつけナールを追い払い、その後でスロールの遺体を切り刻んで烏に投げ与える。

スライン二世の許に帰り着いたナルは、ことの次第を彼に伝えた。
スラーイン二世の許に帰り着いたナールは、ことの次第を彼に伝えた。

>スラインは鬚をかきむしりさめざめと泣いた後、ふっつりと黙り込んだ。七日間かれは坐り込んだまま一言も口を利かなかった。それからかれは立ち上がっていった。「こんなことは堪えられん!」これがドワーフとオークの戦いの始まりである。((同上))
>スラーインは鬚をかきむしりさめざめと泣いた後、ふっつりと黙り込んだ。七日間かれは坐り込んだまま一言も口を利かなかった。それからかれは立ち上がっていった。「こんなことは堪えられん!」これがドワーフとオークの戦いの始まりである。((同上))

*** 戦闘とナンドゥヒリオンの合戦 [#ycb9b24a]

>戦いは長く熾烈であった。そしてその大部分は地中の深い場所で戦われた。 … 敵味方ともに情け容赦なく、暗いところたると明るいところたるとを問わず、死闘が繰り返され、残酷な行為が行われた。((同上))

[[スライン>スライン二世]]が各地に使者を送ると、[[ドゥリン]]の世継ぎに加えられたこの侮辱に全[[ドワーフ]]が激怒し、スラインの許には全ての氏族からの軍勢が集結した。
[[スラーイン>スラーイン二世]]が各地に使者を送ると、[[ドゥリン]]の世継ぎに加えられたこの侮辱に全[[ドワーフ]]が激怒し、スラーインの許には全ての氏族からの軍勢が集結した。
三年をかけて全軍の招集が完了すると、怒りに燃えたドワーフの連合軍は[[第三紀]]2793年より最北の[[グンダバド]]を端緒に[[霧ふり山脈]]中の[[オーク]]の拠点を片っ端から攻撃しては一つずつ奪い取っていった。一方でドワーフの攻撃を逃れたオーク達は[[モリア]]の[[アゾグ]]の許に集結する。

2799年、アゾグの許に集結したオーク軍と、アゾグへの復讐を果たさんとするドワーフの連合軍との間で決戦となる''[[ナンドゥヒリオン>おぼろ谷]]の合戦''が行われた。
アゾグはこの時のために温存しておいた兵力を出撃させてドワーフ軍を迎え撃ち、当初は曇天・地利・数の優勢といったオークにとっての好条件が重なったためにドワーフ側が劣勢であった。スラインらは[[ケレド=ザラム]]に近い大樹の林に追い詰められ、大きな損害を被る。(ここで[[フレリン]]と[[フンディン]]が討ち死し、スラインと[[トーリン>トーリン二世]]は負傷した)
しかし[[ナイン]]の率いる[[くろがね連山]]のドワーフ達が到着したことで戦局は覆った。ナインはモリアの東門の前でアゾグに挑戦し、姿を現したアゾグに斃されたが、そのアゾグもナインの息子[[ダイン>ダイン二世]]に討ち取られ、ドワーフの連合軍が勝利を収めた。アゾグの首は杭にさらされ、その口にはかつて彼が[[ナル]]に投げつけた小銭袋がつっこまれた。
アゾグはこの時のために温存しておいた兵力をナンドゥヒリオンの谷へ出撃させてドワーフ軍を迎え撃ち、当初は曇天・地利・数の優勢といったオークにとっての好条件が重なったためにドワーフ側が劣勢であった。スラーインらは[[鏡の湖>ケレド=ザーラム]]に近い大樹の林に追い詰められ、大きな損害を被る(ここで[[フレリン]]と[[フンディン]]が討ち死し、スラーインと[[ソーリン>ソーリン二世]]は負傷した)。
しかし[[ナーイン]]の率いる[[くろがね連山]]のドワーフ達が到着したことで戦局は覆った。ナーインはモリアの東門の前でアゾグに挑戦し、姿を現したアゾグに斃されたが、そのアゾグもナーインの息子[[ダーイン>ダーイン二世]]に討ち取られ、ドワーフの連合軍が勝利を収めた。アゾグの首は杭にさらされ、その口にはかつて彼が[[ナール]]に投げつけた小銭袋がつっこまれた。

かくしてドワーフの復讐は果たされたものの、かれらが被った被害もおびただしく、戦死者の数は一人一人その死を悼むこともできないほど多かった。
スラインはいったんモリアの奪回を宣言したものの、戸口から中を覗き込み[[ドゥリンの禍>バルログ]]の恐怖を感じたダインはスラインを留め、'''ドゥリンの一族がふたたびモリアを歩くまでには、世の中が変わり、われわれ以外の別の力が出現しなければならないのです。'''と予言した。そのためモリアの奪回はなされなかった。
スラーインはいったんモリアの奪回を宣言したものの、戸口から中を覗き込み[[ドゥリンの禍>バルログ]]の恐怖を感じたダーインはスラーインを留め、'''ドゥリンの一族がふたたびモリアを歩くまでには、世の中が変わり、われわれ以外の別の力が出現しなければならないのです。'''と予言した。そのためモリアの奪回はなされなかった。

*** “火葬にされたドワーフ” [#c5c0b231]

>そして今日にいたるまで、ドワーフが先祖の一人のことをいう時、「かれは火葬にされたドワーフである。」と、誇らしげにいうことがある。そしてこれだけいえば充分なのである。((同上))

ドワーフは、死者を石の墓に葬ることを流儀としていたが、この戦いでの戦死者のあまりの多さのため、諦めざるを得なかった。
そこでかれらは戦死者をまとめて火葬にすることを選び、そのための大量の木が伐られた[[ナンドゥヒリオン]]は、その後ずっと木が生えない裸にまま残ることになった。この時の火葬の煙は、数十マイルは離れている[[ロスローリエン]]からも望むことができたという。
ドワーフは、死者を石の墓に葬ることを流儀としていたが、この戦いでは戦死者のあまりの多さのため、諦めざるを得なかった。
そこでかれらは戦死者をまとめて火葬にすることを選び、そのための大量の木が伐られた[[ナンドゥヒリオン]]の谷は、その後ずっと木が生えない裸のまま残ることになった。この時の火葬の煙は、数十マイルは離れている[[ロスローリエン]]からも望むことができたという。

死者を火葬にすることはドワーフ本来の流儀に反するものであり、このことは痛ましいことのように思われた。しかしナンドゥヒリオンの戦死者達はいつまでも敬意をもって覚えられ、''“火葬にされたドワーフ”''(Burned Dwarves)といえば彼らを指す言葉となった。
死者を火葬にすることはドワーフ本来の流儀に反するものであり、痛ましいことのように思われた。しかしナンドゥヒリオンの戦死者達はいつまでも敬意をもって覚えられ、「火葬にされたドワーフ」といえば彼らを指す言葉となった。

*** 戦後 [#d54988e3]

戦いが終わり、戦死者の火葬も済むと、集結した[[ドワーフ]]の連合軍はそれぞれの氏族の故郷へと散っていき、[[ドゥリンの一族>長鬚族]]も流離の生活へ戻る。
後に王となった[[スライン>スライン二世]]の息子[[トーリン二世]]はこの時の連合軍の雄姿をいつまでも忘れなかったが、ドワーフの氏族が再び連合軍を持つことはなかった。
後に王となった[[スラーイン>スラーイン二世]]の息子[[ソーリン二世]]はこの時の連合軍の雄姿をいつまでも忘れなかったが、ドワーフの氏族が再び連合軍を持つことはなかった。

この戦いで[[霧ふり山脈]]の[[オーク]]は掃討されたかに見えたが、少数は生き残って後に再び数を増やし、[[五軍の合戦]]や[[指輪戦争]]に禍根を残すことになる(『[[ホビットの冒険]]』『[[指輪物語]]』)。
[[アゾグ]]の息子[[ボルグ]]は142年後の五軍の合戦において、トーリンや[[ダイン>ダイン二世]]らを敵として戦った。
[[アゾグ]]の息子[[ボルグ]]は142年後の五軍の合戦において、ソーリンや[[ダーイン>ダーイン二世]]らを敵として戦った。

この大戦争の噂は遠く[[ゴンドール]]にまで届いていたという。さらにナンドゥヒリオンを逃れたオークの一部が[[白の山脈>エレド・ニムライス]]に渡り、そこに居を定めようとしたことがあった。そのため[[執政]][[ベレゴンド>ベレゴンド(ベレンの息子)]]の代(2763~2811)のゴンドールや、[[ブリッタ]]・[[ワルダ]]・[[フォルカ]]の代(2798~2864)の[[ローハン]]は、白の山脈の谷間地方で何年もの間戦いを行わなければならなかった。
この大戦争の噂は遠く[[ゴンドール]]にまで届いていたという。さらにナンドゥヒリオンを逃れたオークの一部が[[白の山脈>エレド・ニムライス]]に渡り、そこに居を定めようとしたことがあった。そのため[[執政]][[ベレゴンド>ベレゴンド(ベレンの息子)]]の代(2763~2811)のゴンドールや、[[ブリュッタ]]・[[ワルダ]]・[[フォルカ]]の代(2798~2864)の[[ローハン]]は、白の山脈の谷間地方で何年もの間戦いを行わなければならなかった。

*** ナンドゥヒリオンの合戦に参加したことが判明しているドワーフの一覧 [#y31d4cef]

-[[スライン二世]]([[ドゥリン一族>長鬚族]]の王)
-[[トーリン二世]]
-[[スラーイン二世]]
-[[ソーリン二世]]
-[[フレリン]](戦死)
-[[ナイン]](戦死 [[くろがね連山]]のドワーフを率いる)
-[[ダイン二世]]
-[[ナーイン]](戦死)
-[[ダーイン二世]]
-[[グローイン>グローイン(グローインの息子)]]
-[[バーリン]]
-[[バリン]]
-[[フンディン]](戦死)

** 映画『[[ホビット>ホビット(映画)]]』における設定 [#Hobbitmovie]

回想シーンに登場。[[スマウグ]]によって[[エレボール]]を追われたドワーフ達が[[モリア]]の復興に行こうとしたところ、モリアを占拠していた[[オーク]]との戦いになったことになっている。この戦いで[[アゾグ]]は[[スロール]]を殺すが、その後[[トーリン>トーリン二世]]に左腕を切り落とされて逃げ去った、戦いはかろうじてドワーフたちの勝利に終わったものの、損害が多すぎたためモリアの復興もあきらめられた、と大幅に設定が変更されている。
回想シーンに登場。[[スマウグ]]によって[[エレボール]]を追われたドワーフ達が[[モリア]]の復興に行こうとしたところ、モリアを占拠していた[[オーク]]との戦いになったことになっている。この戦いで[[アゾグ]]は[[スロール]]を殺すが、その後[[ソーリン>ソーリン二世]]に左腕を切り落とされて逃げ去った、戦いはかろうじてドワーフたちの勝利に終わったものの、損害が多すぎたためモリアの復興もあきらめられた、と大幅に設定が変更されている。

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** ゲーム『[[ロード・オブ・ザ・リングス オンライン]]』における設定 [#LotRO]

ドワーフとオークの戦争はGreat Orc War(オーク大戦)、アザルヌビザール(ナンドゥヒリオン)の合戦はthe Sixth War of the Dwarves and Orcs(第六次ドワーフ・オーク戦争)とも呼ばれている。
戦争中(第三紀2799年)のアザルヌビザールのマップが再現され、プレイヤーが追体験可能となっている。

&ref(2021-06-30_15h25_37.jpg,,20%,『ロード・オブ・ザ・リングス オンライン』内のアザルヌビザールの地図); &ref(ScreenShot_2021-06-30_143356_0.jpg,,10%,『ロード・オブ・ザ・リングス オンライン』における、曝されたアゾグの首に、ナールによって小銭袋がつっこまれる場面); &ref(ScreenShot_2021-06-30_141005_0.jpg,,10%,『ロード・オブ・ザ・リングス オンライン』における、戦死したドワーフが火葬にされる場面);

** コメント [#b4800cf0]

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