#author("2018-03-03T01:48:17+09:00","","")
* ストゥア [#t5f2a3db]
** 概要 [#Summary]

|~カテゴリー|[[種族]]|
|~スペル|Stoors((stoor(又はstor)は[[古英語]]で「強い、大きい」の意味))|

** 解説 [#Explanation]

[[ホビット]]の一氏族。一般に水を嫌うホビットの中で唯一、船に乗ったり泳いだりする習慣がある。
[[ハーフット]]や[[ファロハイド]]に比べてがっしりとして肩幅が広く、大きな手足を持つ。三氏族の中でストゥアだけが顎鬚を生やすことがあった。また[[人間]]をあまり恐れなかったという。

[[アンドゥインの谷間]]の水辺に長く留まった後、ハーフットの後に続いて[[第三紀]]1150年頃に[[霧ふり山脈]]を[[赤角山道]]から越えて[[エリアドール]]に入った。彼らの一部は[[ミスエイセル(にびしろ川)>ミスエイセル]]と[[ブルイネン(鳴神川)>ブルイネン]]の間の三角地(当時は[[ルダウア]]領)に住んだが、多くは南下して[[エネドワイス]]の[[サルバド]]と[[褐色人の国]]の近隣に定住した。その後のエリアドールで[[アングマール]]の脅威が出現し、戦火が吹き荒れると、三角地のストゥアは西と南に逃げた(年表によると1356年頃)。これは戦乱とアングマールを恐れてのことだが、当時のエリアドール東部の気候変動も関係している。この時、彼らの中の一部は[[ロヴァニオン]]に戻り、[[あやめ川]]の畔に住む漁民となった者たち(([[ガンダルフ]]が[[ゴクリ]]の出身と推測した、ストゥアの支族と思われる))もいた。1630年頃、褐色人の国にいたストゥアは北上して一番最後に[[ホビット庄]]にやってきた。

他の二氏族に合流するのが遅かったので、庄内では独特の習慣や語彙を多く持つ。[[ブランディバック家]]をはじめとした[[沢地の国]]の住人(および後に入植した[[バック郷]]の住人)は、舟遊びの習慣や顎にうっすらと和毛を生やすことなどから、ストゥアの血を色濃く受け継いでいることが知られていた。地上に建てた家に住むことを始めたのもかれらであるという。

** コメント [#Comment]

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