* ジョン・ロナルド・ロウエル・トールキン [#aab4f402]
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** 概要 [#Summary]

|~カテゴリー|関連人物・組織・団体|
|~スペル|John Ronald Reuel Tolkien|

** 解説 [#Explanation]
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『[[ホビットの冒険]]』『[[指輪物語]]』『[[シルマリルの物語]]』の原作者。
比較言語学者、文献学者であり、オックスフォード大学教授。専門は[[古英語]]。
妻エディスとの間に三男一女を残し、三男[[クリストファー>クリストファー・トールキン]]は父の死後その作品草稿を纏める仕事を引き継いだ。

1892年1月3日生、1973年9月3日没。彼の墓石には[[ベレン>ベレン(バラヒアの息子)]]、妻のエディスの墓石には[[ルーシエン]]と刻まれている。

イニシャルの「JRRT」を組み合わせたものを紋章のように使っているが、それが漢字の「束」に似ていることから、欧米で一部のコンピューターユーザーが、最近では日本のネット上でも「束教授」と表現されることもある。

伝記映画が制作されるということが、2013年11月に発表された(([[「指輪物語」「ホビットの冒険」J・R・R・トールキンの伝記映画製作へ:http://eiga.com/news/20131126/7/]]))。さらにもう一本、トールキンと[[クライヴ・ステイプルス・ルイス]]との関係に絞った映画も企画中であるという(([[トールキンの伝記映画2本競作へ 1本はC・S・ルイスとの関係描く:http://eiga.com/news/20140723/20/]]))。

*** 家族と生涯 [#t0a71bf1]

1892年1月3日、南アフリカに生まれたイギリス人。
父アーサー・トールキンは銀行家であり、母メーベル(旧姓サフィールド)を伴って当時イギリスに領有されていた南アフリカのブルームフォンテーンに赴任していた。2歳下の弟にヒラリー・トールキンがいる。
1895年、3歳の時に母の実家があるイギリス・バーミンガムに帰省したが、その間アフリカに留まっていた父アーサーが1896年に熱病により死去する。母メーベルはそのままバーミンガムの親戚の間を転々として兄弟を養った。この一時期、叔母の農場があるセアホールに滞在。だが1900年に母子がカトリックに改宗したために国教会徒であったサフィールド家の怒りを買い、援助を打ち切られる。1904年、12歳の時、生活苦から糖尿病を患った母メーベルが死去。
以後成人するまで、兄弟はカトリック教会のフランシス・モーガン司祭を後見人にして育った。

1908年、16歳の時に、同じ下宿の一階下に住んでいた19歳のエディス・ブラッドと知り合い、やがて恋仲になる。しかしそれを知ったモーガン司祭は学業の妨げになるとしてトールキンが21歳になるまでエディスとの交流を一切禁止する。トールキンが21歳になりエディスと連絡を取った時、エディスは別の男性と婚約していたが、再会後彼女は婚約を破棄して改めてトールキンと婚約した。またこの時、エディスはトールキンの強い求めに応じて国教会からカトリックに改宗している。
1914年、第一次大戦が勃発し、翌年トールキンも辞令を受ける。1916年にエディスと結婚したのち、フランスへ出征した。トールキンは通信将校としてソンムの戦いに参加し、奇跡的に無傷のまま塹壕戦を生き延びた。塹壕熱を患ってイギリスへ帰還後、軍病院でエディスと再会。

1917年、第一子のジョンが誕生。1920年に第二子マイケル、1924年に第三子[[クリストファー>クリストファー・トールキン]]、1929年に第四子のプリシラが生まれる。子供達の養育と住環境の両立のため、一家はしばしば転居を繰り返した。
1939年に第二次大戦が勃発する頃には、息子達はみな就学のため家を離れていたが、戦争に伴い司祭修行中のジョンを除いてマイケルは陸軍に、クリストファーは空軍に徴用された。

結婚後は生涯の多くをオックスフォードで過ごしたが、晩年はエディスのリウマチが悪化したためリゾート地のボーンマスで暮らす。
1971年11月、エディスが死去。
翌年オックスフォードに戻り、息子や娘の家族や弟ヒラリーを足しげく訪問して最晩年を送る。
1973年9月2日、再びボーンマスに旅行して滞在していた折、胃潰瘍による急性出血により死去。享年81。

夫婦は同じ墓に葬られ、その墓銘には生前のトールキンの意向を受けて以下のように記されている。

>''EDITH MARY TOLKIEN'' &br; ''[[LUTHIEN>ルーシエン]]'' &br; 1889–1971
>''JOHN RONALD'' &br; ''REUEL TOLKIEN'' &br; ''[[BEREN>ベレン(バラヒアの息子)]]'' &br; 1892–1973

*** 学者として [#qb262c89]

言語学者となり、1925年から1959年までオックスフォード大学教授を勤める。CBE爵位と名誉文学博士号を授与された。学者としては『ベオウルフ』『サー・ガヴェインと緑の騎士』の研究などで有名。

*** 作家として [#wa063796]

少年期から言語に対する特異な興味と才能があり、自分の独自の言語を作る遊びをしていて、それが後の[[エルフ語]]となり、またこの言語を使う種族の歴史として、独自の神話体系を作っていった。敬虔なクリスチャンであったトールキンは、こうして“世界”を作ることを「偉大なる神の模倣をした“準創造”」ととらえていた。また自分は物語を「考えている」のではなく、「記録者として見つけ出し、描き出している」ととらえることを好んだ。さらにノルマンコンクエストによって、母国イギリス古来の伝承、伝来が破壊されたことを嘆いていたトールキンは、自分の神話体系を、「現代の歴史に繫がる、イギリス古来の神話、伝承」としてとらえられることを望んだ。

これら自分の神話体系をバックグラウンドにして、自分の子供のために子供向けの物語『[[ホビットの冒険]]』を書いたがそれが出版社の目に留まり、出版される。これが好評のためその続編を書き始めるが、それがどんどん壮大になり、神話体系がより深く組み込まれたのが『[[指輪物語]]』である。
その後、『ホビットの冒険』『指輪物語』のバックグラウンドとなった独自の神話体系を編集、出版しようとしたが、その前に他界。

死後4年後に[[クリストファー・トールキン]]によって遺稿が纏められ、『[[シルマリルの物語]]』として出版された。さらに未完成だった『[[The Children of Húrin]]』も、クリストファーの手によって完成され、出版されている。

*** 作品にまつわるエピソード [#n2528468]

** 著作 [#lf78f6fd]

*** 日本語訳されている中つ国関連作品の著書 [#m4ca4664]

-『[[ホビットの冒険]]』(『[[ホビット ゆきてかえりし物語]]』)
-『[[指輪物語]]』
-『[[シルマリルの物語]]』
-『[[終わらざりし物語]]』

*** 日本語訳されていない主な中つ国関連作品の著書 [#m4ca4664]

-『[[The History of Middle-Earth]]』
-『[[The Children of Húrin]]』
-『[[The Letters of J.R.R.Tolkien]]』

*** 日本語訳されているその他の著書 [#rb0aa54b]

-『[[妖精物語について]]』
-『[[妖精物語の国へ]]』
-『[[サー・ガウェインと緑の騎士]]』
-『[[農夫ジャイルズの冒険 トールキン小品集]]』
-『[[仔犬のローヴァーの冒険]]』
-『[[サンタ・クロースからの手紙]]』
-『[[ブリスさん]]』

*** 画集 [#k9131ca9]

-『[[トールキンによる『指輪物語』の図像世界]]』
-『[[トールキンのホビットイメージ図鑑]]』

*** 伝記 [#a8e87b79]

-『[[J.R.R.トールキン 或る伝記]]』
-『[[トールキン『指輪物語』を創った男]]』
-『[[インクリングズ―ルイス、トールキン、ウィリアムズとその友人たち]]』
-『[[トールキンとC・S・ルイス友情物語―ファンタジー誕生の軌跡]]』

*** 関連書籍 [#zcb15daa]

-『[[Mirkwood: A Novel About J. R. R. Tolkien>Mirkwood A Novel About J. R. R. Tolkien]]』

*** イラストレーション [#y334121a]

少年時代からスケッチや水彩画に親しみ、自身の作品にまつわるイラストを多く残している。主に風景画を得意とし、一方で人物画は苦手だった。
『[[ホビットの冒険]]』『[[指輪物語]]』いずれもトールキン自身が挿絵と装丁を手がける計画が出版前に持ち上がっていたが、諸般の事情により発表時には実現しなかった。
『[[ブリスさん]]』『[[サンタ・クロースからの手紙]]』のように自分の子供たちのために描いた趣向を凝らした絵本(絵物語)も残している。

&ref(ホビット村/thehillhobbitonacrossthewater.jpg,,20%,ホビット村とお山); &ref(裂け谷/rivendell.jpg,,19%,裂け谷); &ref(スマウグ/Conversation with Smaug by Tolkien.jpg,,17%,スマウグ); &ref(タニクウェティル/Taniquetil by tolkien.jpg,,18%,タニクウェティルとアマンの岸辺); &ref(グラウルング/glorundbytolkien.jpg,,23%,ナルゴスロンドから出てくるグロールンド); &ref(エレボール/thelonelymountainbytolkien.jpg,,24%,はなれ山); &ref(スマウグ/Death of Smaug by Tolkien.jpg,,20%,スマウグの死のスケッチ); &ref(モリアの壁/moriagate.png,,21%,モリア西門の壁); &ref(モリアの壁/moriagatedoor.jpg,,18%,モリア西門のデザイン); &ref(サウロン/sauronbytolkien.jpg,,23%,王の帰還の表紙案に描かれたサウロン);

** 外部リンク [#pe9c81fa]

-[[公式サイト:http://www.tolkien.co.uk/]]
-[[トールキン夫妻の墓石があるウルバーコート墓地のGoogle.map:https://www.google.com/maps/place/%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%88%E5%A2%93%E5%9C%B0/@51.79137,-1.272119,17z/data=!4m2!3m1!1s0x4876c46fb90f190d:0xf5d80092b38e669?hl=ja]]

** コメント [#Comment]

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