#author("2018-01-05T01:49:27+09:00","","")
* オドリアグ [#a4eff351]
** 概要 [#w4894bd7]

|~カテゴリー|[[種族]]|
|~スペル|Odhriag|

** 解説 [#efb2e6cc]

[[ICE>Iron Crown Enterprises]]の設定に登場する[[東夷]]の一派。

[[エレド・リスイ]]の北側にある、[[戦川]](Warwater)と[[スルベキ]]川(Surubeki)に挟まれた土地を領土とする民。
近隣に住む[[アスドリアグ]]や[[ヴァリアグ]]と同じく、イオリアグ(Ioriag)という民を共通の祖先に持つ。しかし他の二氏族とは違い、イオリアグよりもさらに東に住むアハール人(Ahar)の血と伝統も受け継いでおり、他の東夷とは異質な独特の文化を持っている。例えば、東夷の氏族では唯一体系化された法律を持つ。また、外界の影響からの独立を最も重んじており、侵入してくる隣人から土地を守るために戦う。

***歴史 [#kc5414fa]

第二紀の1100年頃、東方の大河タラスラント(Talathrant)の岸辺の土地オティアシ(Otyassi)から西方へと移動し始め、1600年頃には[[ガソド]](Gathod)の地に住むようになった。東からは彼ら以外にも[[人間]]の集団が絶え間なく押し寄せ、しばしば住み慣れた土地を移動する必要性に迫られるほどの脅威となったが、彼らは決して自らの土地を離れようとはしなかった。

オドリアグの国は[[モルドール]]に隣接してるため、[[サウロン]]の召使いは絶えず彼らを[[冥王]]の影響下に置こうと試みてきたが、彼らはその試みに一貫して抵抗し続けた。[[ダゴルラド]]の戦いの直前の3430年から、サウロンは[[最後の同盟]]との戦いに備えて、[[リューン]]中の東夷から軍勢を招集した。対して、オドリアグの首長コルグル・ホトゥン(Khorgul Hotun)は諸部族をまとめ上げ、サウロンへの協力を拒んだ。彼はサウロンが敗れて姿を消した後、オティアシの祖先が作った法規を体系化し、オドリアグの全ての民に対して施行した。また、この頃からダゴルラドの東側に住む[[北国人]]の入植者イブノティシウダ(Ibnotithiuda)とも友好的に接した。

彼らは[[ゴンドール]]の統制にも抵抗した。第三紀1247年、[[ミナルカール]]と[[ヴィドゥガヴィア]]の連合軍がリューンに侵攻した際は、やむを得ず一部の土地と通行権を明け渡した。だが完全に征服されることはなく、それどころか、剥ぎ取られた領地を取り戻すべくさらに勢いを増した。また、この遠征によって、オドリアグとリューンの北国人との交流は途絶えた。

1750年頃から、[[リューンの湖]]一帯はミストランド(Mistrand)の氏族イガス(Igath)の宗主下に置かれ、オドリアグも[[馬車族]]の連合に組み込まれた。馬車族は1851年から[[ロヴァニオン]]への侵攻を開始するが、オドリアグは戦いに消極的で、かつての同盟者であるイブノティシウダの虐殺に加わるのを拒んだが、逆に彼らを助けることも、他の氏族を止めることもしなかった。

***出典 [#vf7aa0f2]

-『Perils on the Sea of Rhûn』
-『The Inland Sea』

** コメント [#ge8e9207]

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