* イシリアン [#h13114ca]
** 概要 [#Summary]

|~カテゴリー|[[地名]]|
|~スペル|Ithilien|
|~異訳|イシリエン|
|~その他の呼び名||

** 解説 [#Explanation]

[[シンダール語]]で「月の地」の意([[ミナス・イシル>ミナス・モルグル]]に由来する名であると思われる)。[[ゴンドール]]の領地。

[[アンドゥイン]]と[[エフェル・ドゥーアス]]に挟まれた、[[ポロス]]川の北、[[ニンダルヴ]]の南の地域を指す。[[オスギリアス]]の東付近の、アンドゥインとエフェル・ドゥーアスの間が狭くなっている地を境にして、北イシリアンと南イシリアンに分けられる。イシリアンには、[[オスギリアス]]と[[ミナス・モルグル(かつてのミナス・イシル)>ミナス・モルグル]]を結ぶ東西の道があり、さらに北は[[黒門(モランノン)>黒門]]、南は[[ハラド]]方面へと続く南北の道([[ハラド街道]])があって、交差する点には[[十字路]]ができている。[[アンドゥイン]]を挟んだ西の対岸は[[アノリアン]]になる。
イシリアンには、[[コルマルレン]]、[[エミン・アルネン]]、[[ヘンネス・アンヌーン]]の地名が登場している。

*** 歴史 [#v26432c1]

イシリアンは天然の防衛線である[[アンドゥイン]]の東側にある立地上、幾度も戦いの舞台となった。[[第三紀]]1944年、[[エアルニル二世]]は南イシリアンで[[近ハラド]]人と[[ハンド]]人のハラド軍を破り、北の野営地にいた[[馬車族]]に対しても大勝を収めた。
2002年に[[ナズグール]]が[[ミナス・イシル>ミナス・モルグル]]を占領したことで、多くの民がイシリアンから逃れた。その後は[[警戒的平和]]により小康状態が続いた。
警戒的平和が終わった後の2475年に[[モルドール]]から[[ウルク>ウルク=ハイ]]が初めて出現し、イシリアンと[[オスギリアス]]を襲撃した。[[ボロミア>ボロミア(デネソール一世の息子)]]がこれを撃退したが、この戦いでオスギリアスは完全に廃墟となった。
2885年には[[ハラドリム]]が[[ポロス]]川を渡って侵攻して来たが、[[ローハン]]の援軍もあって[[ポロスの渡し]]で撃退された。
2901年にはウルクの襲撃を受けて殆どの住民が逃げ去り、勇敢な民を除けば[[ゴンドール]]軍の兵士が[[ヘンネス・アンヌーン]]などの隠れ処を拠点として駐留するだけとなった。この頃からイシリアンは[[モルドール]]の[[オーク]]が跋扈するようになった。
2954年に[[滅びの山]]が噴火すると、残っていた最後の住民も遂に[[アンドゥイン]]を渡って西へと逃げ去った。後に[[デネソール二世]]は、イシリアンの元住民達の子孫の中から、敵地となったイシリアンに潜入する遊撃部隊員([[イシリアンの野伏]])を選んだ。
2954年に[[滅びの山]]が噴火すると、残っていた最後の住民も[[アンドゥイン]]を渡って西へと逃げ去った。後に[[デネソール二世]]は、イシリアンの元住民達の子孫の中から、敵地となったイシリアンに潜入する遊撃部隊員([[イシリアンの野伏]])を選んだ。

[[指輪戦争]]のときには、[[フロド・バギンズ]]たちがこの地を通過して[[ミナス・モルグル]]へ向かおうとしたところ、[[ファラミア]]が率いる[[イシリアンの野伏]]たちに捕らえられ、また彼らが[[ハラド人>ハラドリム]]や、[[じゅう(ムーマク)>ムマキル]]と戦っているのを目撃する。その後フロドたちは彼らの拠点である[[ヘンネス・アンヌーン]]へと連行されるが、そこで援助を与えられて釈放され、フロドたちは再び[[十字路]]から東に向かってミナス・モルグル、[[キリス・ウンゴル]]の方面へと進んだ。
[[一つの指輪]]が破壊されたあと、[[フロド・バギンズ]]と[[サムワイズ・ギャムジー]]はこの地に運ばれて治療を受け、その後ヘンネス・アンヌーンの近くにある[[コルマルレン]]で栄誉礼を受けた。

指輪戦争後、イシリアンは[[エレスサール王>アラゴルン二世]]によって大公に封じられた[[ファラミア]]の領国となり、彼と妻の[[エオウィン]]は[[エミン・アルネン]]に住んだ。またこの地の森に魅せられた[[レゴラス]]が[[闇の森]]の[[エルフ]]の一部を連れてきて、住まうようになった。

** コメント [#Comment]

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