* アラゴルンとアルウェンの物語 [#l761112d]
** 概要 [#maccdc1f]

|~カテゴリー|歴史・事件|
|~スペル|The Tale of Aragorn and Arwen|
|~異訳||
|~その他の呼び名||

** 解説 [#wfc33dab]

[[アラゴルン二世]]と[[アルウェン]]がどのようにして出会い、どんな経緯を経て婚約に至ったか、また[[指輪戦争]]後、婚姻したエレスサール王とアルウェン王妃にやがて訪れた、王が定命の[[人間]]であるがゆえの定めである2人の別れが、どのようなものだったかが書かれた物語。『[[指輪物語]]』[[追補編]]に掲載されている。

*** 設定 [#v353502d]

[[第四紀]]64年、[[ペレグリン・トゥック]]が[[ゴンドール]]に引退する際に、[[西境の赤表紙本]]の写本のうちの一冊である[[セイン]]本をエレスサール王に献じた。
このセイン本の写本が、おそらくペレグリンの曾孫の依頼によって、第四紀172年([[ホビット庄暦]]1592年)に[[フィンデギル]]によって完成された。この写本には、多くの訂正や注釈が付け加えられたが、その中に「アラゴルンとアルウェンの物語」のうち、指輪戦争以外の部分を要約した話が掲載された。
[[第四紀]]64年、[[ペレグリン・トゥック]]が[[ゴンドール]]に引退する際、[[西境の赤表紙本]]の写本のうちの一冊である[[セイン]]本をエレスサール王に献じた。

元になった「アラゴルンとアルウェンの物語」は、王の崩御(第四紀120年)後しばらくして、執政[[ファラミア]]の孫[[バラヒア>バラヒア(エルボロンの息子)]]によって書かれたと伝えられている。
王の崩御(第四紀120年)後しばらくして、執政[[ファラミア]]の孫[[バラヒア>バラヒア(エルボロンの息子)]]によって「アラゴルンとアルウェンの物語」が書かれたと伝えられる。

その後、セイン本の写本が、おそらくペレグリンの曾孫の依頼により作られ、第四紀172年([[ホビット庄暦]]1592年)に[[フィンデギル]]によって完成された。この写本には、多くの訂正や注釈が付け加えられたが、その中に「アラゴルンとアルウェンの物語」のうち、[[指輪戦争]]以外の部分を要約した話が掲載された。これが追補編に掲載されているものであるとされる。



** コメント [#n1733d93]

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