* 悪疫 [#c5e06cfd]
** 概要 [#le67701c]

|~カテゴリー|[[歴史・事件]]|
|~スペル|Great Plague|
|~異訳|大悪疫|
|~その他の呼び名|疫病(Plague)、やみ病(Dark Plague)|

** 解説 [#m84c5b73]

[[第三紀]]1636年に東方から吹いてきた''不気味な風・黒い風''(dark winds)によって[[中つ国]]北西部へと運ばれ、翌37年まで猛威を振るった疫病のこと。致死性の高い伝染病で、各地に甚大な被害を出した。
『[[終わらざりし物語]]』の「キリオンとエオル」によると、まず1635年の冬に[[ゴンドール]]で広まり、それから各地へ広まっていった。流行地域はゴンドールから[[ロヴァニオン]]及び[[エリアドール]]へと北上していった。((ただし『[[終わらざりし物語]]』の索引では[[ロヴァニオン]]から[[ゴンドール]]と[[エリアドール]]へ広まったとされている))

:ゴンドール|この疫病は[[ゴンドール]]を襲った三つの災い(同族の争い、悪疫、[[馬車族]])の中でも最大の災いと位置づけられている。当時のゴンドールは1634年に[[ミナルディル]]王が[[ペラルギア]]で[[ウンバール]]の[[海賊]]に殺されたばかりだった。この疫病により人口の密集した都市部を中心にゴンドールの民が大勢死んだ。特に王都[[オスギリアス]]の被害が酷かった。当時の[[テレムナール]]王も病死し、彼が死ぬと[[ミナス・アノール>ミナス・ティリス(ゴンドール)]]の[[白の木]]も枯死した。テレムナールの子供達も全員病死したため、王位は甥の[[タロンドール>タロンドール(ミナスタンの息子)]]が継いだ。

:ロヴァニオン|当時の[[ロヴァニオン]]には[[ゴンドール]]の同盟者で、ゴンドールの北と東の防衛を担う[[北国人]]が住んでいた。1635年の冬にゴンドールで発生した疫病はそのまま冬の間にロヴァニオンへ広まった。北国人は大きな都市を作らず、開けた土地に住む民だが、冬は人馬ともに家や厩に籠って寒さをやり過ごすので、屋内での感染を引き起こした。また彼らの医薬の術は、[[ヌーメノール]]由来のゴンドールのそれに比べると劣っていた。結果、悪疫によりロヴァニオンの民とその馬の半分以上が死んだ。

:リューン及びハラド|『[[終わらざりし物語]]』の「キリオンとエオル」では以下の記述がある。
>(北国人より)もっと東の人々にも同じような苦しみがもたらされたことは疑いようがなく、ゴンドールの敵は主に南と海からのものになったのである。
<この記述からすると、[[リューン]]の[[東夷]]にも悪疫は広まり被害を出したが、[[ハラド]]の[[ハラドリム]]や[[ウンバール]]の[[海賊]]には広まらなかった、あるいは被害が少なかったと思われる。

:エネドワイス|悪疫により[[エネドワイス]]は荒れ地と化し、[[褐色人の国]]の[[褐色人]]にも犠牲が出た。ただし彼らは分散して住み、他の[[人間]]とほとんど交流を持っていなかったので、被害は少なく済んだ。

:エリアドール|悪疫は[[エリアドール]]の南東から広まっていった。[[カルドラン]]国、特に[[ミンヒリアス]]の住人が大勢死亡し、同国に残っていた[[ドゥーネダイン]]は滅んだ。北上するにつれて疫病は弱まり、[[アルセダイン]]北部ではほとんど被害を出さなかった。
1601年に[[ブリー村]]から[[ホビット庄]]へ入植したばかりの庄民の[[ホビット]]も多数の死者を出した。これが[[ホビット庄暦]]37年の''やみ病大流行''である。

*** 余波 [#v7b89af0]

:ゴンドール|悪疫による大打撃を受けた[[ゴンドール]]を受け継いだ[[タロンドール>タロンドール(ミナスタンの息子)]]は、ゴンドール王最長の162年の治世を悪疫からの復興に捧げることになった。
[[オスギリアス]]から東の[[イシリアン]]や西の谷間の国々へ逃げ延びた民の多くはその後も都に戻ろうとはせず、オスギリアスは半ば廃墟と化した。タロンドールは1640年にオスギリアスから[[ミナス・アノール>ミナス・ティリス(ゴンドール)]]へ王宮を移し、その城塞に[[白の木]]の実生を植えた。
[[アタナタール・アルカリン>アタナタール二世]]の治世から[[モルドール]]の監視は疎かにされていたが、悪疫がもたらした国力の疲弊と人口減少による人手不足から、ついに監視は中止され、国境に置かれた砦が[[ミナス・イシル>ミナス・モルグル]]を含めて無人と化した。監視のないまま放置された[[モルドール]]には、[[ナルマキル二世]]の時代に[[ナズグール]]たちが入り込んで力を蓄え始め、[[エリアドール]]で[[アングマール]]が滅ぼされた後の2002年にミナス・イシルは[[魔王]]率いるナズグールたちによって占領された。
[[北国人]]が矢面に立つ[[東夷]]の脅威が一時的に無くなったのは不幸中の幸いだったが、それは1851年以降に[[馬車族]]という形で北国人とゴンドールを襲うことになる。だがその前の1810年に[[タロンドール>タロンドール(ミナスタンの息子)]]の子[[テルメフタール]]が[[ウンバール]]を制圧し、一時的に[[海賊]]の脅威が無くなった。
この疫病により[[カレナルゾン]]が荒廃し、元々少なかった人口が大きく減った。その後も[[アンドゥイン]]の防衛のために東部の川沿いや[[イシリアン]]への移住が続き、人口は減り続けた。2510年には[[アンドゥイン]]を渡河してきた[[バルホス族]]と[[霧ふり山脈]]の[[オーク]]の侵攻で、残っていた民の多くが殺された。また当時のカレナルゾン西部は警備が緩み、[[褐色人]]たちが浸透し始めていた。そのため[[執政]][[キリオン]]は人口が希薄になったカレナルゾンを同年の[[ケレブラントの野の戦い]]で功績のあった[[エオル>エオル(レオドの息子)]]率いる[[エオセオド]]の民に割譲し、ゴンドールの同盟国[[ローハン]]が誕生した。

:エリアドール|悪疫により大勢の命が失われたことで、[[エリアドール]]の多くの土地が無人と化した。
[[カルドラン]]が滅亡し、[[南北両王国>亡国の民の王国]]の国力が疲弊したことは、両王国を結ぶ[[サルバド]]の急速な衰退をもたらした。
カルドランの[[ドゥーネダイン]]が悪疫で滅んだ後、[[塚山丘陵]]には悪霊の[[塚人]]が住み着くようになった。((『[[終わらざりし物語]]』の「指輪狩り」の草稿には、[[魔王]]自らが送り込んだという話もある))

*** 元凶 [#q170677f]

悪疫は[[自由の民]]だけでなく、[[サウロン]]と繋がる彼らの敵にも被害を与えたのだが、悪疫が流行した時期は[[ドル・グルドゥア]]の影が強まり、多くの悪しき者たちが再び出現した時と重なっていた。その為、力を強めたサウロンが(自陣営や同盟相手の犠牲を承知の上で)かつての本拠地である[[モルドール]]に対する監視を解くために、疫病を撒いたと考えられている。

** コメント [#q0f05d1a]

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