#author("2023-02-07T19:01:59+09:00","","")
* ブランディ館 [#l6af01ad]
** 概要 [#s2122144]
** 概要 [#Summary]

|~カテゴリー|地名|
|~カテゴリー|[[地名]]|
|~スペル|Brandy Hall|
|~異訳|ブランディ屋敷|
|~その他の呼び名||

** 解説 [#g204a550]
** 解説 [#Explanation]

[[ブランディバック一族>メリアドク・ブランディバック#f7c03c4f]]が住む大邸宅で、一時は200人近い一族が生活していたという。[[ブランディワイン]]川の東岸のバックの丘にトンネルを掘って建てられた。ブランディバック一族の長は[[館主]]と呼ばれている。
この館の周りに[[バックル村]]が形成され、[[バック郷]]の中心地となっている。
[[ブランディバック一族]]の本拠である大邸宅([[スマイアル]])。一族の長は[[館主]]と呼ばれた。
[[ゴルヘンダド・オールドバック]]によって[[ブランディワイン]]川の東岸にある「バックの丘(Buck Hill)」に築かれたもので、この館の周りに[[バックルベリ]]が形成され、[[バック郷]]の中心地となった。

>[[かれ>ゴルヘンダド・オールドバック]]はブランディ屋敷の館を建て(そしてトンネルを掘り)自らの名前をブランディバックと改め、ここに居をかまえて、[[独立した小国も同然のこの土地>バック郷]]の主となりました。[[かれの家族>ブランディバック一族]]は次々に増え、かれの死後も増え続けましたので、ついに館はこの低い丘全体を占めるに至り、三つの大きな玄関、たくさんの通用口、そして百の窓を有するに至りました。((『[[指輪物語]] [[旅の仲間>指輪物語/旅の仲間]]』「正体をあらわした陰謀」))

[[つたの枝館]]での[[とっつぁん>ハムファスト・ギャムジー]]の発言によれば、[[ゴーバドク・ブランディバック]]の時代には200人以上の一族がここで生活していたという。
両親を亡くした[[フロド・バギンズ]]も、[[ビルボ・バギンズ]]の養子になるまではここで少年時代を過ごした。

** コメント [#qb9c3abe]
[[メリアドク・ブランディバック]]が館主となって以降、館には[[エリアドール]]と[[ローハン]]の歴史を扱った沢山の書物や、メリアドク自身の著作が収蔵された。

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*** 地図上の位置について [#yac32003]

なお、『[[新版 指輪物語>新版]]』に収録されている[[ホビット庄]]の地図ではブランディ館が[[バック郷]]の本道の東にあるが、これは館の位置が誤っている原著初版の地図を踏襲している為で、正しくは[[バックルベリの渡し場]]の北側、ブランディワイン川と本道の間にある(原著第二版の[[ホビット庄の地図>http://arda.saloon.jp/map4.html]]で訂正されている)。

** コメント [#Comment]

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