緑野みどりの合戦かっせん

概要

カテゴリー歴史・事件
スペルBattle of Greenfields, Battle of the Green Fields
異訳緑ヶ原の合戦、緑ガ原の戦い

解説

第三紀2747年(ホビット庄暦1147年)、ゴルフィンブールに率いられたグラム山オークゴブリン)がホビット庄に侵入し、これを“牛うなり”バンドブラス・トゥックに率いられたホビットが撃退した戦い。北四が一の庄緑野で行われた。
ホビットは戦いに慣れていなかったが、バンドブラスに率いられてオークの大群を迎え撃った。この戦いでバンドブラスはゴルフィンブールを討ち取った。

大いなる年の第三紀3019年(ホビット庄暦1419年)に水の辺村の合戦が行われるまで、ホビット庄で行われた最後の戦いとして知られていた。

コメント

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  • あんな遠いところから攻め込んで来るのは、足が必要なはず。 もしかしたら、狼に乗ってやってきたと考えるのが自然かも。 まさしく、後世の五軍の戦いを思わせる壮絶な戦だったかもしれない。 でも、ひとりのチートに破られるのも共通しているし。 -- 2012-11-24 (土) 13:52:59
    • それであれば、五軍の合戦ならぬ、三軍の合戦と言ってもいいかもしれませんね。 しかし、チートがいたのも事実かもしれませんがあくまで合戦は集団プレイ。 それにも関わらず、ホビットのみでゴブリン、狼の軍勢を破ったのですから、凄いですね。 -- 2012-11-25 (日) 03:01:24
    • じつは徒歩で進軍してきて、疲労困憊した状態で攻め込んで、あっさりホビットに返り討ちにされたとか。わざわざ遠征してきたのも、食料不足に悩まされたからで、まともに戦える状態じゃなかったとか。いろいろ可能性は考えられますな。 -- 2012-11-26 (月) 00:16:21
      • 確かに言える。 本拠地で数が増えすぎて、新天地を探そうとしたゴルフ王を筆頭にした一団がエリアドールに繰り出したのは良かったけど、身を隠す場所や食料がなかなか見つからない荒地を疲労困憊しながら彷徨う内、やっと略奪できる場所(ホビット庄)を見つけて、攻め込んで返り討ちにあったのが真相かも。 狼の記述もないし、いくらチートの牛うなりがいたとしても、戦慣れしていないホビットのみで奴らを撃退できたのは、不自然だからね。 -- 2012-11-26 (月) 18:42:12
      • 史実のクレシーの戦いでイギリスの農兵ロングボウ部隊と軽騎兵がフランス軍撃退しているから、弓の名手のホビットだけでオークを撃退できたというのは実はそれほど不自然じゃない。遠征でオークが疲弊していて、かつホビット側に馬乗り牛うなりがいればなおさら。 -- 2012-11-26 (月) 22:35:43
      • 加えてオークの軍勢はグラウルングやゴスモグ、ボルグのような強力な司令塔が居る場合には極めて強いように描写されていますが、司令塔が倒されると一気に大敗北(五軍の合戦)したり効果的な追撃が出来なくなる(ベレリアンド第五の合戦)ように思えます。この点がリーダーが倒れても何とかリーダー代行を立てて作戦を続行出来る人間やドワーフとの差異に見えます。敵の大将に突貫した牛うなりの戦術は対オークを考えると最適だったのでは? -- 2015-01-03 (土) 17:12:43
  • 野伏は助けてくれなかったのだろうか?  -- 2013-04-28 (日) 22:53:57
    • 当時はエリアドール全土がオークに襲撃されてましたし、野伏がホビット庄をマークしだしたのはガンダルフの口添えによる節がありますから……(おそらくこの合戦がきっかけになって、ガンダルフはホビットに目を掛けるようになったのでしょう。その後の長い冬に「ガンダルフ、ホビット庄民を援助すべく来庄」ですから)。こんな合戦があったことすら、ガンダルフ以外は誰も知らなかった(注意を向けなかった)のではと思います。 -- 2013-04-28 (日) 23:09:24
    • 野伏がガンダルフの依頼でホビット庄の庄境を見張るようになったのはせいぜい指輪戦争の数年前(すなわちビルボの指輪が1つの指輪であると確信して)からだとアラゴルンが語っている。そもそもガンダルフはゴクリを追跡する必要性からアラゴルンに全てを打ち明け協力要請をしており、アラゴルン以前のドゥーネダイン族長と親交があったような記述はないのでこの当時の野伏がホビット庄に注目していたとは考えにくい。 -- 2015-01-12 (月) 10:19:29
      • 反論するわけではないんですが、野伏たちは人間かホビットかは関係なくエリアドールに残っていた住民たちは可能な限りは守ろうとしていたように思います。追補編の記述や本編のエルロンドの御前会議におけるアラゴルンの言葉からそう感じました。確かに特別な保護の対象ではなかったけど、緑野の合戦にも野伏たちの陰ながらの助けがあったとの想像は許されるかなと。バンドブラスが多少ともホビット庄外に出た経験を持っていたらなおさら。 -- 2018-04-25 (水) 22:27:26
  • 指輪物語の時代、ホビット庄より北は、ほぼ無人の地だったのは、この時のオークの大襲撃が関係しているのかな?。 勿論、オークばかりではなく、アングマールに絡んだ北方諸国の紛争、その後の長い冬による大飢饉もあるとは、思うのですが。 でも、下手すれば、ホビット庄もなかった可能性も。 この時は、誰の援助も無しに、オークの大軍を撃退した訳ですから、いざとなったホビットは、強いものである。 -- 2013-10-10 (木) 19:00:44
  • 目が良く隠密の能力に優れているって、天性の射手だなあ。こっそり相手の背後に回って一斉に矢を射掛けてすぐ逃げるのを繰り返されたらたまらんですわ。 -- 2015-01-03 (土) 17:54:29
    • 攻めかかってくる軍勢に対し、小規模の隊でゲリラ戦に持ち込めば、それなりの効果があるからね。 しかし、それを指揮する物が戦術、戦略、戦闘の知識、経験がなければ駄目。 記述には無いけど、牛うなりは、外の世界へ旅した事があるんじゃないのかな? そこで得た知識が戦いで役に立ったのかも。 -- 2015-01-04 (日) 08:23:07
    • 牛うなりは、あの体格に加え、トゥックの血を引いているから、合戦前は旅して見聞を広めていたと考えたほうが自然かもね。 -- 2015-01-04 (日) 10:27:35
    • 「むろんその昔には、きびしい世界を生きのびるためにやむを得ず戦ったことも度々あったのだが」(指輪物語)とあるように、ホビット庄は実はずっと平和だったわけではありません。バンドブラスの時代には、わざわざ外へ出ずとも戦いのノウハウの蓄積がまだホビット庄にあったのではないかと思います。 -- 2015-01-04 (日) 12:01:12
      • ホビットもホビット庄に落ち着くまでに転々と移動しているから、最低限の身を守る術位は身につけていたのでは。 -- 2015-01-04 (日) 21:11:31
      • この後も戦ではないが2911年にブランデーバック川が氷結した際に白狼が来襲しており、それなりに厳しい環境を生き抜いて来ている。それで有事の際にもすぐに応戦できるだけの戦闘力は長らく有していたと思われる。ただし個人個人は戦慣れしていないので緑野の合戦の勝利は牛うなりの指揮による所が大きく、後の水の辺村の合戦の蜂起に際しても優れた指揮官たるメリー、ピピンらの帰還を待たねばならなかった。 -- 2015-01-12 (月) 10:36:17
      • 牛うなりが戦いになれていたとすると、やっぱりフロド達のように旅に出ていて、合戦に参加したか、旅の途中で襲ってきた少数のオークを撃退したりしてたのかもしれませんね -- 2015-01-13 (火) 14:46:36
      • 牛うなりは、相手がアゾグやボルグでも勝利していたでしょうか?ゴルフィンブール個人の資質がどの程度だったのか。 -- 2015-01-26 (月) 10:22:39
      • いくら牛うなりが体躯に優れていたとは言え個人戦闘力でナインやダインに勝っていたとは思えないので、アゾククラスには苦戦したかと。そもそも全ドワーフを敵に回した総力戦を指揮したアゾクや万余の軍勢を率いたボルグに対し、せいぜい野盗の頭目レベルのゴルフィンブールではやはり格が違う。実際ドワーフよりも戦闘に不慣れなホビットに負けた訳だし。 -- 2015-02-11 (水) 12:12:44
      • 戦闘の詳細は想像にお任せかと -- 2018-05-04 (金) 08:44:53
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