第四紀†
概要†
解説†
「中つ国の第三紀は終わり、新しい時代が始まった。新しい時代の始まりを整え、保存してさしつかえないものはこれを保存する、これがあんたの仕事じゃ。というのは、多くのものが救われたとはいえ、今や多くのものが消えていかねばならぬからな。三つの指輪の力もまた終わった。そしてあんたの目にはいる土地のすべて、またその周辺に横たわる土地のすべてが、人間の住む場所となろう。なぜなら、人間の支配する時代が来たからじゃ。最初に生まれた者たちは衰えゆくか、去って行くのじゃ。」*1
中つ国の歴史で、力の指輪が去ってからの時代。人間の時代。人間以外の「口を効く種族」がすべて衰退する時*2でもある。
指輪所持者達が中つ国を去った3021年9月29日が第三紀の終わりとされているが、ゴンドールの暦では、第三紀3021年3月24日が第三紀最後の日となり、翌3月25日が第四紀最初の日となる(指輪所持者が使命を達成し、サウロンが滅びた3月25日より新年が始まるように定められたため。第三紀最後の年を参照)。
トールキンによると、我々の現代より約6000-8000年前が『指輪物語』の時代、つまりその頃に第四紀が始まる。現代は第五紀か第六紀に相当するということである。
年表†
第三紀3021年より続く。
年 | ホビット庄暦 | 事象 |
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1 | 1422 | ホビット庄の暦では、この年の始まりとともに第四紀にはいる。ただしホビット庄暦の年数はそのまま継続する。 |
6 | 1427 | 小足家のウィル、庄長職を辞任する。サムワイズ、ホビット庄庄長に選出される。ペレグリン・トゥック、ロング・クリーヴのダイアモンドと結婚する。エレッサール王、勅令を発して、人間がホビット庄にはいるを差し止める。王はホビット庄を、北方王国保護下にある自由地とする。 |
9 | 1430 | ペレグリンの息子ファラミル生まれる。 |
10 | 1431 | サムワイズの娘 |
11 | 1432 | 「偉丈夫」と称せられたメリアドク、バック郷の館主となる。エーオメル王ならびにイシリエンの奥方エーオウィンから、見事な祝いの品々が送られる。 |
13 | 1434 | ペレグリン、トゥック一族の家長となり、セインとなる。エレッサール王、セイン、館主、並びに庄長を北王国の顧問官とす。サムワイズ殿、二期目の庄長に選出される。 |
15 | 1436 | エレッサール王、北王国に行幸、夕おぼろ湖のほとりに滞留する。王、ブランディワイン橋に行幸、友人方と挨拶する。王、サムワイズ殿にドゥーネダインの星を与えられる。エラノール、アルウェン王妃付き侍女となる。 |
20 | 1441 | サムワイズ殿、三度庄長となる。 |
21 | 1442 | サムワイズ殿とその妻及びエラノール、ゴンドールに赴き、かの地に一年滞在する。トルマン・コトン殿、庄長代理を勤める。 |
27 | 1448 | サムワイズ殿、四度庄長となる。 |
30 | 1451 | 美しのエラノール、向が丘連丘緑樫のファストレドに嫁す。 |
31 | 1452 | 向が丘連丘から塔山丘陵(エミュン・ベライド)にいたる西境は、王の贈与によってホビット庄に加えられる。多数のホビットがこの地に移住する。 |
33 | 1454 | ファストレドとエラノールの息子、髪吉エルフスタン生まれる。 |
34 | 1455 | サムワイズ殿、五度庄長となる。サムワイズ殿の願いにより、セイン、ファストレドを西境の区長に任ずる。ファストレドとエラノール、塔山丘陵の塔の下に居を定める。この地に、かれらの子孫、塔の下の髪吉一族、子々孫々にいたるまで居住する。 |
41 | 1462 | サムワイズ殿、六度庄長となる。 |
42 | 1463 | ファラミル・トゥック、サムワイズの娘 |
48 | 1469 | サムワイズ殿これを最後に七度庄長となる。1476年、任期の終わる時は、96歳。 |
61 | 1482 | サムワイズ殿の妻ローズ夫人、夏至の日*3に死ぬ。9月22日、サムワイズ殿、袋小路から馬を進め、塔山丘陵に来て、最後はエラノールに見送られる。その後髪吉家に伝えられる赤表紙本は、この時かれがエラノールに与えたものである。髪吉一族の間にエラノールから伝えられたいい伝えによると、サムワイズは三つの塔を過ぎて、灰色港に赴き、最後に残った指輪所持者として、海を渡って去ったという。 |
63 | 1484 | この年の春、ローハンからバック郷に伝言があって、エーオメル王、いま一度ホルドウィネ殿に会いたい由。この時メリアドクすでに老齢(102歳)だが、いまだ矍鑠としていて、友のセインと相談の後、二人は直ちに各自の財産、職務をめいめいの息子に譲り、馬でサルンの浅瀬を渡って去ったまま、二人の姿はその後ふたたびホビット庄に見られない。後の噂では、メリアドク殿はエドラスに来て、その年の秋エーオメルの薨ずるまで、かれとともにおり、その後、メリアドク殿とセイン・ペレグリン殿は、ゴンドールに赴き、短き余生をこの国で過ごしたすえ、遂にみまかって、ゴンドールの高貴な死者とともに、ラス・ディーネンに葬られたという。 |
120 | 1541 | この年の3月1日、エレッサール王遂に崩御される。メリアドクとペレグリンの棺台は、この偉大なる王の傍らに並べ置かれたと伝えられる。この後、レゴラス、イシリエンで灰色の船を建造し、アンドゥインを下って、海を渡った。かれとともに、ドワーフのギムリも行ったという。この船が去った時、中つ国では、指輪の仲間は跡を絶った。 |
172*4 | 1592 | ペレグリンの曾孫の依頼によって、ゴンドールの王の祐筆フィンデギルがセイン本から筆写した西境の赤表紙本の写本を完成させる。 |
第四紀の西境に関して†
『指輪物語』において、西境に関する事柄は序章、及び『追補編』の第四紀の年表(上掲)で触れられているが、その内容は英語原著の版によって以下のように異なる(初版の訳は項目編集者訳)。邦訳の底本でもある第二版での変更はトールキンによる改訂である。
2004年版での変更は、第二版はミスにより1455年と1462年の項が1455年にまとめられているとの推測に基づく。
初版(1954, 1955年出版) | 第二版(1966年出版) | 2004年版 | |
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序章 | 「三 ホビット庄屋の社会秩序」に次の文を追加「四が一の庄のほかに、東境と西境があり、バック郷があった。西境はホビット紀元1462年にホビット庄に加えられた。」*5 「ホビット庄記録に関する覚え書き」の節を追加 | 同左 2005年版で1462年を1452年に変更 | |
1452 | (項目なし) | 「向が丘連丘から塔山丘陵(エミュン・ベライド)にいたる西境は、王の贈与によってホビット庄に加えられる。多数のホビットがこの地に移住する。」*6 | 同左 |
1455 | 「サムワイズ殿、五度庄長となる。」 | 「サムワイズ殿、五度庄長となる。サムワイズ殿の願いにより、セイン、ファストレドを西境の区長に任ずる。ファストレドとエラノール、塔山丘陵の塔の下に居を定める。この地に、かれらの子孫、塔の下の髪吉一族、子々孫々にいたるまで居住する。」*7 | 「サムワイズ殿、五度庄長となる。」*8 |
1462 | 「サムワイズ殿、六度庄長となる。サムワイズ殿の願いにより、セイン、ファストレドとエラノールを西境(新たな居住地域)の区長に任ずる。二人は、塔山丘陵の斜面に居を定める。この地に、かれらの子孫、西境の髪吉一族、子々孫々にいたるまで居住する。」*9 | (項目なし) 邦訳では「サムワイズ殿、六度庄長となる。」 | 「サムワイズ殿、六度庄長となる。サムワイズ殿の願いにより、セイン、ファストレドを西境の区長に任ずる。ファストレドとエラノール、塔山丘陵の塔の下に居を定める。この地に、かれらの子孫、塔の下の髪吉一族、子々孫々にいたるまで居住する。」*10 |
コメント†
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