王の暦法†
概要†
カテゴリー | 暦 |
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スペル | Kings' Reckoning |
解説†
ヌーメノール及び亡国の民の王国(アルノールとゴンドール)で使用されていた、ドゥーネダインの太陽暦。『追補編』に記述されている。
エルダールの暦に起源を持ち、ドゥーネダインはそれにいくつかの変更を加えた。第二紀1年から第三紀2059年までの計5500年間使用されたが、第二紀から第三紀に移行する混乱で誤差が累積したため、第三紀2060年に執政マルディルは改定暦を発効した(執政の暦法)。
ホビット庄暦は、改定前の王の暦法が基になっている。
ドゥーネダインの暦†
ドゥーネダインがエルダールの暦に加えた変更は以下の通りである。
エダインの伝統に則り、一年を冬至(mid-winter)から始まるようにした。さらにロア(loa)すなわち太陽年を、エルフの「季節」よりも短くまた日数の一定した12の月に分割した。エルフの週は6日であるが、ドゥーネダインはそれに1日を加えて7日とした。そして一日を、ヌーメノールの東の海の日の出から次の日の出までと定めた。
月(month)のことをクウェンヤでアスタール(astar)*1と呼ぶ。12のアスタールにはクウェンヤで名がつけられており、おおよそ我々の12の月に対応する。クウェンヤの月名がそのまま西方語でも月名として使用されていたが、ドゥーネダインだけはシンダリンの月名を用いた。月は30日からなるが、中日を挟んだ二つの月だけは31日ある。
年の初めと終わりと中間には月に含まれない日が計3日あり、それぞれクウェンヤでイエスタレ「最初の日」、メッタレ「終わりの日」、ロエンデ「ロアの中間」と呼ぶ。4年ごとの閏年にはロエンデが倍の2日にされエンデリ「中間の日々」となる。ただしハランイエ(haranyë)すなわち世紀*2の最後の年は平年とする。(暦の比較表)
月 | 日数 | 月名の意味 | クウェンヤ名 | シンダリン名 |
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1 | イエスタレ(yestarë) | |||
1月 | 30 | 新たな火(new fire) | ナルヴィンイエ(Narvinyë) | ナルワイン(Narwain) |
2月 | 30 | 水(water) | ネーニメ(Nénimë) | ニーヌイ(Nínui) |
3月 | 30 | 風(wind) | スーリメ(Súlimë) | グヮイロン*3(Gwaeron) |
4月 | 30 | 若(youth) | ヴィーレッセ(Víressë) | グウィリス(Gwirith) |
5月 | 30 | 花(flower) | ローテッセ(Lótessë) | ロスロン(Lothron) |
6月 | 31 | 火(fire) | ナーリエ(Nárië) | ノールイ(Nórui) |
1 or 2 | ロエンデ(loëndë)/エンデリ(enderi) | |||
7月 | 31 | 不明 | ケアミエ(Cermië) | ケアヴェス(Cerveth) |
8月 | 30 | 熱(heat) | ウリメ(Úrimë)*4 | ウルイ(Urui) |
9月 | 30 | 果実の贈り物(fruit-gift) | ヤヴァンニエ(Yavannië) | イヴァンネス(Ivanneth) |
10月 | 30 | 火の衰え(fire-fading) | ナルクウェリエ(Narquelië)*5 | ナルベレス(Narbeleth)*6 |
11月 | 30 | 霧(mist) | ヒーシメ(Hísimë) | ヒスイ(Hithui) |
12月 | 30 | クウェンヤ名は寒(cold) シンダリン名は身震い(shuddering) | リンガレ(Ringarë) | ギリスロン(Girithron) |
1 | メッタレ(mettarë) |
以上、平年は365日であり、閏年には366日となる。
なお月名にある「火」は太陽を指す。
週(week)の曜日名とその順番はエルダールの暦法に由来するが、二つの木を指す第4日の名称をヌーメノール人は一つの木を指す名称に変えた。これは彼らが、アルメネロスの王宮の庭に植えられていたニムロスを、白の木(テルペリオン)の子孫と信じていたからである。また優れた航海者であったことから、天の日(Heavens' Day)の後に新たに海の日(Sea-day)を挿入し、週を7日とした。
曜日名の意味 | クウェンヤ名 | シンダリン名 | |
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1 | 星(Stars) | エレンヤ(Elenya) | オルギリオン(Orgilion) |
2 | 太陽(Sun) | アナルヤ(Anarya) | オラノール(Oranor) |
3 | 月(Moon) | イシルヤ(Isilya) | オリシル(Orithil) |
4 | 木(Tree) | アルデア(Aldëa) | オルガラズ(Orgaladh) |
5 | 天(Heavens) | メネルヤ(Menelya) | オルメネル(Ormenel) |
6 | 海(Sea) | エアレンヤ(Eärenya) | オライアロン(Oraearon) |
7 | ヴァラール(Valar) | ヴァランヤ(Valanya) ターリオン(Tárion) | オルベライン(Orbelain) ロディン(Rodyn) |
月名と同じく、クウェンヤ名が西方語の曜日名として中つ国で広く使用された。
『終わらざりし物語』によると、ヌーメノールでは年に三回、王がメネルタルマの山頂でエル・イルーヴァタールへの祈りを捧げる儀式が行われた。すなわち、春の初めに行われるエルキエアメ、夏至に行われるエルライタレ、秋の終わりに行われるエルハンタレである。
不足と誤差†
上述の通り、王の暦法では平年は365日であり、4年ごとの閏年は366日とするが、世紀の最後の年(100で割り切れる年)は平年とする。
太陽年は365日5時間48分46秒であるから、これだと1000年毎に2日と4時間46分40秒の不足が累積する。そこで第二紀のヌーメノールでは、千年紀の最後の年(1000で割り切れる年)を、平年に2日を加えた367日とすることで調整した。だがそれでも4時間46分40秒の不足分が残った。これを一千年分の不足(millennial deficit)と呼ぶ。
第二紀3441年に最後の同盟がサウロンを倒し、翌3442年が第三紀1年となって紀年が革まったことで、大きな混乱が生じることになった。4年ごとの閏年の計算を、第三紀の紀年を基準にして行うようになったのである。つまり第三紀4年が閏年となったのだが、その前の閏年は第二紀3440年だったため、前回の閏年から5年の間が空いてしまった。これによって平年1年分の不足が生じた。さらに1000年ごとの調整も第三紀の紀年を基準にして行うようになったため、これに441年分の誤差が加わった。
ゴンドールの統治権を持つ初代の執政マルディルは、こうして累積した誤差を修正するため、第三紀2060年に執政の暦法を発効した。
その他†
『追補編』での暦の説明の一部には原著初版(1955年)と邦訳の底本である第二版(1966年)では相違があり、以下にその相違と初版の内容を参考として記す。
- 初版では一千年分の不足の調整として、千年紀の最後の年に2日を追加することが触れられている。第二版では調整の具体的な内容は述べられていない。
- 初版ではクウェンヤでの閏年の名称、atendëa(アテンデア)が言及されている。第二版ではこの名称は登場しない。
- 初版ではマルディルが暦の調整するために2日を加えたのは、執政の暦法を導入した第三紀2060年とされている。第二版では第三紀2059年とされている。
この方式はヌーメノール建国の第二紀32年ではなく、第二紀1年から起算した。千年紀の調整は第二紀1000年、2000年、3000年に2日を加えることで成された。しかしながら、新しい紀年は第三紀1年から始まった。第三紀1000年まで追加はなかった(2000年までも同様)。また第二紀3440年はアテンデア(「倍の中間」すなわち閏年)だったが、第三紀の最初のアテンデアは第三紀4年(すなわち3445年)だった。このことや第二紀3000年から生じていた他の誤差を修正するためか、執政マルディルは第三紀2060年に2日を加えた。ハドルは2360年に1日を加えた。これらの変更は最終的には西方諸国で広く承認されたようだが、第三紀中ではこれ以上の修正はなかった。
マルディルは同じく2060年に執政の暦法と呼ばれる改訂暦を導入し、これは最終的にはホビットを除く西方語話者の多くに受け入れられた。月は全て30日で、月に含まれない2日は第三と第四の月(三月、四月)の間と、第九と第十の月(九月、十月)の間に1日が入れられた。月に含まれないこれら五つの日、イエスタレ、トゥイレーレ、ロエンデ、ヤーヴィエーレ、メッタレは祝日だった。*7
『The Letters of J.R.R.Tolkien』のLetter#176(1955年)には暦の誤差について以下の記述がある。
ヌーメノールの暦はグレゴリオ暦より少しだけ優れていた。後者は一年につき平均で26秒早く、ヌーメノール暦では17.2秒遅い。*8
コメント†
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