ホビットしょう

概要

カテゴリー地名
スペル(the) Shire
異訳庄、シャイア、ホビットの里
その他の呼び名スーザ(Sûza)、小さい人の国(the land of the Halflings)

解説

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エリアドールの西の辺境にある、ホビットたちが住まい、自治を行っていた地域の名。首府は大堀町。この地に住むホビットは特に「ホビット庄民(Shire-folk)」と呼ばれる。
ホビットの冒険』『指輪物語』に登場する主要なホビット達の故国であり、主人公のビルボ・バギンズおよびフロド・バギンズの自宅である袋小路屋敷は、ホビット庄内にあるホビット村*1にある。

その頃つまり中つ国の第三紀は、すでに遠い過去となり、全土が姿を変えてしまっているが、その頃ホビットたちの住んでいた地域は、今なおかれらがほそぼそと立ち去りがたく暮らしている地域と明らかに同じである。すなわち、大海の東、旧世界の北西部である。*2

ホビット庄の地理

エリアドールの、ブランディワイン橋から向が丘連丘までの40リーグ(約193km)、北の荒野*3から南の沢地までの50リーグ(約241km)に及ぶ地域。これが東・西・南・北の四が一の庄に分けられる。
更にホビット庄には後年に付け加えられ、四つの四が一の庄には含まれない東境と西境がある。東境とは、本来の東の庄境であるブランディワイン川の東岸沿いにあるバック郷のことで、西境は本来の西の庄境である向が丘連丘と塔山丘陵の間の地である。

ホビット庄の真ん中を東街道が東西に横切っており、庄内では青の山脈を行き来するドワーフや、時には灰色港へ向かうエルフの姿が見られることもあった。

肥沃な土地であり、古くは北方王国の王が所有する農地と森が存在した。気候は、秋の頃の9月に野宿が可能であり、また北四が一の庄の高原地方を除いて大雪がめったにないといった描写から、温暖かつ冷涼であることが伺える。

ホビット庄の社会

名目上ホビット庄民は北方王国アルセダイン)の臣民であったが、彼らに要求されたことは王の主権を認めることと、大橋を含む橋や道路の補修を行って王の使者の移動路を保全することだけであり、庄民は各豪族の族長たちの下、完全な自治を行った。そのため中央政府的な組織は存在しなかった。
北方王国の滅亡後もホビット庄では庄民の自治が続けられ、第四紀にはエレッサール王による再統一された王国に編入されるが、やはり自治を維持した。

ホビット庄の公共業務(Shire-services)として、逓信(Messenger Service)と警備(Watch)があった。前者を遂行する郵便の方が人員が多く、業務も多忙だった。後者を遂行したのは警察に相当する庄察だが、北方王国滅亡後のホビット庄は(特に指輪戦争が近づいてくる頃は)密かに野伏によって守られていた。

ホビット庄唯一の公職に自由市での選挙で選ばれる庄長があり、庄長は二つの公共事業の責任者である郵便局長と庄察長を兼任した。
アルセダイン滅亡後には、族長たちの中から王権の代行者であるセインが選出された。セインは非常時にのみホビット庄の議会と軍隊を召集する権限を持っていたが、そのような事態は絶えて久しいため、トゥック一族に継承される名誉職と化した。

他にホビット庄の枢要な地位として、館主西境の区長があった。前者は東境であるバック郷の首長の称号であり、バック郷を興したブランディバック一族に継承された。後者はその名の通り西境の首長と思われ、髪吉家に継承された。

ホビット庄の歴史

ホビットたちはこれをホビット庄と名づけ、自分たちの選出したセインの権威の及ぶ区域とし、秩序だった暮らしと仕事の行なわれる国とした。そしてこの居心地のよい世界の片隅でかれらは秩序だった日々の暮らしに精を出し、暗い出来事の次々起こる外の世界のことはますます気を留めなくなって、さては、平和と豊かさが、中つ国の常態よ、分別ある者の権利よと考えるにいたった。*4

ホビットはもともとリョヴァニオンアンドゥインの谷間に定住していたが、第三紀1050年から1600年にかけて断続的にエリアドールに移住し、ブリー郷一帯に新たな居住地を築くようになる。
第三紀1601年、アルセダインの王アルゲレブ二世の許可を得たマルコブランコの兄弟が大勢のホビットを引き連れてブランディワイン橋を渡り、その西側の土地に入植。これがホビット庄の始まりであり、この年がホビット庄暦の紀元とされる。

1637年(庄暦37年)にはやみ病の大流行によって、ホビット庄でも多くの犠牲者を出した。

1975年(庄暦375年)、フォルンオストの合戦に際し、ホビット庄民は王への加勢のため弓兵を送り出したと主張している(このことは人間の記録には残っていない)。しかし弓兵たちは誰一人帰ってこなかった。
北方王国の滅亡後、庄民は族長たちの中から王権の代行者であるセインを選出するようになる。1979年(庄暦379年)、沢地のブッカが初代セインに選出された。

2340年(庄暦740年)には進取の気風のあるオールドバック家ゴルヘンダドブランディワイン川の東岸に入植し、バック郷を開く。こうして「東境」が新たにホビット庄に加わることになった。
それに伴ってセイン職はトゥック家が世襲するようになった。初代のトゥック家セインはアイザムブラス一世である。

2747年(庄暦1147年)、ゴルフィンブール率いるオークの一団が庄内に侵入したため、バンドブラス・トゥックが庄民を率いて戦い、オークを撃退する(緑野の合戦)。これは水の辺村の合戦が起こるまで、ホビット庄で戦われた最後の戦闘であった。

2758年(庄暦1158年)から2760年(庄暦1160年)にかけて続いた長い冬とそれに伴う飢饉は、ホビット庄の歴史でも最悪の出来事であり、大勢の庄民が命を落とした。この時、魔法使いガンダルフが庄民を援助するため来訪し、以後ホビットと親しく交友するようになった。
2911年(庄暦1311年)の凶年の冬は温暖なホビット庄でも雪が降り、凍結したブランディワイン川を渡って白狼が庄内に侵入した。大いなる年以前に、バック郷の非常用角笛が吹き鳴らされた最後の出来事であった。

こうした出来事があったとはいえ、ホビット庄は次第に温暖になる気候にも助けられて豊かで平穏な暮らしを築いていき、ついには平和になずんで外界の物事にかかずらわなくなっていった。

2941年(庄暦1341年)にビルボ・バギンズ13人のドワーフエレボール遠征に加わり、約一年間ホビット庄から失踪したこと(『ホビットの冒険』)は、諸国にホビットの存在が知られる契機となる。
そして3018年から3019年(庄暦1418年から1419年)にかけて四人の旅人フロド・バギンズサムワイズ・ギャムジーメリアドク・ブランディバックペレグリン・トゥック指輪戦争に加わって王の帰還に大きく貢献する勲功を上げたこと(『指輪物語』)で、ホビット庄は再び再統一された王国に編入された。
これは庄民の目を開かせる大事件であった。

指輪戦争ではアイゼンガルドの手の者であるごろつきがホビット庄を一時占拠するに及んだが、帰庄した旅人たちによって庄民は蜂起し、緑野の合戦以来となる水の辺村の合戦が戦われた。
荒らされたホビット庄を復興するため、サムワイズはガラドリエルより贈られた彼女の庭の土を用いて各地で植樹活動を行い、誕生祝いの原にはマッロルン樹の種を植えた。その成果であろうか、翌年の3020年(庄暦1420年)は大いなる豊穣の年と呼ばれるかつてないほどの豊作となり、美しく丈夫で金髪の子供が多く生まれた。誕生祝いの原ではマッロルン樹が初めて開花し、この木は霧ふり山脈の西、大海の東にある唯一のマッロルン樹として知られるようになる。

第四紀6年(庄暦1427年)、エレッサール王はホビット庄への人間の立ち入りを禁ずる勅令を出し、同地を北方王国保護下の自由地(Free Land)とした。
31年(1452年)に王はホビット庄に西境の地を贈与し、多くの庄民が同地に移住した。塔の下髪吉家はその筆頭である。

こうした一連の出来事は、ホビット庄民に自らの歴史について再考させるきっかけになり、ホビットの手で多くの歴史書が編纂された。

備考

瀬田貞二によってShireが「ホビット庄」と訳されたのは、「Shire」の発音と「庄」の発音が似ていることが一因である。日本語で「庄」は荘園などを指し、転じて村里などを意味する。
映画『ロード・オブ・ザ・リング』では「シャイア」「ホビットの里」あるいはただ単に「里」と訳されている。

Shireとは元来は古英語で「地域、地区」を意味する言葉から来た。現代でもヨークシャー(Yorkshire)やランカシャー(Lancashire)といった接尾語の形で残っている。ホビット庄の緯度や経度は、トールキンの母国である現在のイギリスに相当するように設定されている。

西境の赤表紙本』原文でホビット庄は、西方語表記でスーザ(Sûza)であり、それをトールキンがShireに翻訳したという設定になっている。

中つ国は現在の地球の神話的過去の姿であると設定されており、ホビット庄のほぼ中心にあるホビット村は作者トールキンの住むイギリスのオックスフォードと同じ緯度、経度に設定されている。

ゲーム『ロード・オブ・ザ・リングス オンライン』における設定

『ロード・オブ・ザ・リングス オンライン』におけるホビット庄 『ロード・オブ・ザ・リングス オンライン』における大堀町(手前に小足家のウィル庄長がいる) lotro_gamemap_shire.jpg

コメント

最新の6件を表示しています。 コメントページを参照

  • アルセダインに加勢送ったのが本当なら、その後魔王に攻撃されてもおかしくない。なんで無事だったんだろう? -- 2017-06-14 (水) 20:55:53
    • フォルノスト落として間もなく裂け谷とゴンドールからの軍が来たからじゃない -- 2017-07-13 (木) 19:20:14
  • ホビット庄そんなに広いのか、、なんかどっかの山奥の開けてない村くらいの広さかと思っていた。 -- 2017-07-13 (木) 18:53:16
    • イングランドは平地ばっかだからなぁ -- 2020-05-10 (日) 20:42:33
  • 備考にもあるけど日本語の「庄」はもともと村に近いサイズ感なのでこの訳語が混乱の元。Shireは中国では「郡」が定訳で、日本語だと「藩」くらいのサイズ感。 -- 2018-09-18 (火) 18:40:28
    • 日本で「郡」というと行政区画の感が出てしまいますからね。ほどよい訳は難しそうです -- 2020-03-26 (木) 16:39:48
  • イメージ源かな?という候補は、英国の田舎Shire(例えばヘレフォードシャー)で、面積は1/10くらいで中世の推定人口が5万人ほど。もう一つの候補は東西南北の四が一の庄(farthings)が設定されていた中世後期のアイスランド。面積はホビット庄の倍、島中央は火山と氷河なので海沿いに人が住んでいて推定人口は安定して5万。 -- 2018-09-18 (火) 19:19:27
  • 第四紀以降、ホビット庄は人間に乗っ取られたのでしょうか。噂によると、貧しい民になったみたいですが・・・。 -- 2021-11-06 (土) 20:12:15
  • ホビット庄は人間の立ち入りを禁止してホビットだけの土地にエレッサール王が定めたそうです(多分) -- 2022-10-16 (日) 11:55:01
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