バック(ごう)

概要

カテゴリー地名
スペルBuckland
異訳バックの里
その他の呼び名東境(Eastmarch)

解説

ホビット庄の、東四が一の庄よりブランディワイン川を挟んで東側の対岸、古森に挟まれた稠密地帯。東四が一の庄との連絡には、ブランディワイン橋渡し船が使われている。

東四が一の庄の沢地の国に住んでいたオールドバック家の家長、ゴーヘンダード・オールドバックブランディワイン川を渡り、ブランディ屋敷を築いて自分の名をブランディバックと革めて住まった。彼の死後もブランディバック一族は増え続け、この地に住み続けた。
元々のホビット庄の東の境目はブランディワイン川なので、バック郷はホビット庄の四つの四が一の庄には含まれず、「東境」と呼ばれる。ホビット庄からはかなり独立性が高く、この地のホビットは大方のホビット庄民からは半ば異国人扱いされる。

古森との間には高垣が築かれている。バック郷の中での一番の主だった集落はブランディ屋敷周辺のバックル村で、堀窪はバックル村のはずれにある。ホビット庄の地図上ではこの他に新村採石場という地名が見られる。
ブランディワイン橋近くの東街道に面した高垣の北端には、陸路の出入り口であるバック郷の門(Buckland Gate)*1がある。また『トム・ボンバディルの冒険』によると、高垣の南端、枝垂川ブランディワイン川の合流地点にある垣出には高垣の外側にグラインドウォールという港があり、背後の丘にはブリリドン(いばらの丘)という村があるという。

ホビット村バギンズの一族ともあろうものが、またなんでバック(ごう)くんだりまで嫁さんを探しに行かなきゃならなかったのか、わしにはわからんのう。バック郷のやつらはえらく変わってるで。」*2

沢地の国の者たちは、バック郷に住む者たちと親しく、館主(かんしゅ)ブランディバック家の家長はそう呼ばれていました)の権威は今でもまだ切株村から藺草(いぐさ)へかけての農民たちの承認するところになっていました。しかし旧ホビット庄の住人たちの大部分はバック郷に住む者のことを一風変わっていると考え、半ば外国人扱いでした。しかし実際は、バック郷の者といっても、四つの()(いち)の庄に住むホビットたちとたいして違ったところはないのでした。もし違ってるとしたら、かれらが船に乗ることを好み、中には泳げるものもいた、という点だけでした。*3

コメント

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照

  • ホビット庄とバック郷の関係はイギリス本土とブルターニュ半島の関係みたいなものかな? -- ホビット 2008-11-09 (日) 11:58:40
    • 古代ギリシアとその植民市、といったほうが適切ではないだろうか -- 2008-11-10 (月) 17:27:55
      • しかしホビット庄は地理的にイングランドに当たるので。 -- ホビット 2008-12-30 (火) 20:28:19
  • 有意義語だから、雄鹿の里とかに邦訳されてもおかしくはなかったと思うんだが。でもそうしたらメリーの名前が袴帯家みたいに「酒鹿家のメリアドク「みたいになっちゃうかな・・・ -- 2014-10-04 (土) 01:00:07
お名前:
Last-modified: