ケレブラントの野の戦い

概要

カテゴリー歴史・事件
スペルBattle of the Field of Celebrant

解説

第三紀2510年、カレナルゾンへ侵攻してきたオーク東夷バルホス族)により危機に陥ったゴンドール軍を、北方より駆け付けたエオル率いるエーオセーオドの軍勢が救出し、オークとバルホス族を撃破した戦い。

この謝礼として、当時のゴンドールの執政キリオンは、人口が希薄となっていたカレナルゾンをエーオセーオドに割譲する。エオルは、再びゴンドールの危急があれば助けに駆けつけることを誓うエオルの誓いを立てると共に、北方に残っていた一族を呼び寄せて家財を持ってこさせ、カレナルゾンにローハン(リダーマーク)を建国。以後彼の民はロヒルリムと呼ばれるようになった。

詳細は『終わらざりし物語』に記載されている。

参戦国、勢力

自由の民
ゴンドールエーオセーオド
サウロンの召使
リョヴァニオンバルホス族霧ふり山脈オーク

戦況

開戦にいたるまで

第三紀1636年に流行した悪疫と、1851年から1944年までのほぼ100年近くにわたって続いた馬車族との激戦により、ゴンドールの国力は大きく減退、東の領土が失われる。
ゴンドールの強力な同盟者であった北国人もこの災禍によって衰退し散り散りとなるが、その生き残りの一派であるエーオセーオドアンドゥインの中部流域に居住し、ゴンドールとの変わらぬ同盟者であり続けた。
しかし1975年にアングマールが滅びると、エーオセーオドは増加した人口と、広がるドル・グルドゥルの影に圧迫され、さらに北方であるアンドゥイン源流域に移住。ゴンドールは同盟者から引き離される。

ドル・グルドゥルの力は2060年に目に見えて強まる。これを懸念したガンダルフがドル・グルドゥルに潜入したことによって2063年から2460年まで警戒的平和がもたらされたものの、結局死人占い師はさらに力を増して要塞に帰還。各地で自由の民の敵たちの動きが活発化する。
2475年にはモルドールウルクとの戦いによってオスギリアスが廃墟となり、その後もゴンドールは沿岸を襲うウンバール海賊に悩まされた。
ゴンドールの力は南へ注力されたため、エミュン・ムイルから北のアンドゥイン西岸沿いにある国境の砦にはどれも人員を回すことができず、その方面は無人のまま放置され、カレナルゾンの人口は希薄となっていた。
北国人が四散して以後、リョヴァニオンには東方からの侵入者を防ぐものが何もなく、当時少なからぬ東夷の一派がリョヴァニオンをほしいままにしていた。この者たちはバルホス族と呼ばれ、ドル・グルドゥルの影に支配されていた。

北方の情勢が極めて危険な状態にあることを承知していた執政キリオンは、せめてもの人員を北の古い砦に配置するとともに、可能な限りリョヴァニオンの情報を収集するよう務めた。
かくして2509年の冬になってはじめて、ゴンドールに対する北からの大規模な攻撃が計画されていることが判明する。東方からさらなる同類を呼び寄せたバルホスの大軍が、闇の森の南に集結していたのである。

エオルへの急使と、バルホスの侵攻

これはゴンドールにとって極めて絶望的な状況であった。
2510年3月キリオンは急ぎ援軍を要請する伝令をエーオセーオドの若き王エオルの許に派遣したものの、伝令はバルホス族ドル・グルドゥルの影のただ中を危険を冒して進まねばならず、さらにゴンドールから北の彼らの国までは直線距離にして450マイル、地上を旅する者にとっては800マイルもの距離があった。そしてエーオセーオドは異国での戦いに赴くために、同じ途をまた南に辿らなければならないのである。
伝令が無事エーオセーオドに到着する望みは少なく、エオルが要請に応える望みはさらに少なかった。

バルホスの侵攻はその年の内に開始され、ゴンドールは存亡の危機に陥る。
かれらは大量の船や筏を建造すると、茶色の国から大挙して大河を渡って高地に入り、防ぎ手を一掃。さらに霧ふり山脈オークの大軍がそれに呼応して突如としてゴンドールに現れ、両軍はカレナルゾンを席巻する。
キリオンは北軍に迎撃を命じると共に、自ら集められるだけの南軍を率いて北上したが進路を断たれ、敵を迎え撃った北軍も、白光川の北でバルホスとオークの挟み撃ちにあい、大河に向かってじりじりと追い詰められた。

エーオセーオドの遠征

エオルは黙って考え込んでいたが、さほど長い時間はかからなかった。ほどなくエオルは立ち上がって、言った。「行くことにしよう。もし、ムンドブルグが陥ちたら、われわれは闇からどこへ逃げればよいというのか。」そう言ってかれはボロンディルの手を取って約束の印とした。*1

キリオンは危険を考え、急使を二人一組で一日ずつ、計六人送り出したが、エーオセーオドエオルの許にたどり着いたのはボロンディルただ一人であった。彼は3月10日に出発した最初の組の伝令であり、3月25日にエオルの許に到達した。
彼からキリオンの要請を聞いたエオルは、援軍に赴くことを決意。
ゴンドールを救うためにはエーオセーオドの全軍が必要であることを悟っていたエオルは、非戦闘民を守るわずか数百の兵のみを後に残し、7000騎の重装騎兵と数百騎の騎馬の弓兵からなる大エーオヘレ(騎兵全軍)を率いて遠征を決行した。

エーオセーオドの全軍は4月6日に北を出立し、ボロンディルが道案内を務めた。
その騎馬軍団の威容のために、一行は行軍を妨げる何者にも出会わなかったが、ドル・グルドゥルに近づいた時、エオルはその暗闇を恐れてアンドゥインの側に道を逸れる。するとドウィモルデネ(ロスローリエン)から仄かに光る川霧が立ち昇ってきていた。はじめは狼狽したエーオセーオドだが、その霧がドル・グルドゥルの闇を押し返していることに気が付くと、エオルは乗騎フェラローフの駆けるに任せる。
光る川霧の中をフェラローフの導くまま駆けぬけたエーオセーオドは、予想より速い4月15日にケレブラントの野に到着することに成功した。

ゴンドールの北軍が大河に向かって追い詰められている間際に到着したエーオセーオドのエーオヘレは、オークバルホス族の後衛部隊を強襲してこれを打ち破ると、高地に向かって押し返し、さらにカレナルゾンの平原を縦横に駆け抜けて敵を滅ぼした。
かくしてゴンドールの危機は救われる。

戦後、カレナルゾンの割譲とエオルの誓い

戦いが終わった後、キリオンアモン・アンワル(ハリフィリアン)の丘の聖所へ至る道を再び開かせ、エレンディルの墓所の前で密かにエオルとの会合を行う。わずかな護衛の他は、キリオンには息子のハッラスドル・アムロスの大公、二人の参事のみが同行し、エオルには三人の主だった大将のみが同行した。

そこでキリオンは、ゴンドールの危急を救ったエーオセーオドの民への謝意と、それに加えてかれらが北の領地を手狭に感じておりさらなる広い国土を必要としている事、そしてゴンドールにとって北方の守りが頭を悩ます問題であった事をも念頭に、エオルとその国民に人口の希薄となったカレナルゾンを割譲することを申し出る。

レオドの息子であり、エーオセーオドの君主であるエオルに、火急の助けが必要なとき、ゴンドールにわれわれの望み以上の助けを与えてくれたことと、その民の戦場での勇気とにかんがみ、ここにわたしは、王家の執政に就く者の権限のもとに決意したことを宣言する。エオルに対して、わたしは無償の贈与としてアンドゥインからアイゼンに至るカレナルゾン全土を与えることにする。そして、もしかれにその気があるならば、かれを王となし、そしてまた世継たちとその民も、執政家の権限が続く限り、偉大なる王還ります時まで、自由に住んでいただくこととする。かれら自身の法と意志の他にかれらを束縛するものはない。ただ一つ、ゴンドールと永遠の友情をもって暮らし、両国が続く間はゴンドールの敵は両国の敵となる。しかしながら、同様の束縛はゴンドール国民にもまた課されるものである。」

エオルは感嘆してこの申し出を受け取り、エレンディルの塚の前で両国の永久の友情を約束するエオルの誓い(Oath of Eorl)をエーオセーオドの言葉で立てた。以下はその翻訳である。

今こそ聴け、東方の影に屈せぬすべての民よ、ムンドブルグの君主の聘物へいもつを賜り、かれがカレナルゾンと呼ぶ地に住まい、よってここに、わたしの名において、そして北方のエーオセーオドを代表者として、われわれと西方の偉大なる民との間に永久とこしえの友情を誓う。かれらの敵はわれらの敵、かれらの難局はわれらの難局、邪悪なもの、脅威となるもの、襲いかかるものが、何であろうとかれらのもとに来るときは、われわれの最後の力を尽くすまでかれらを助ける。この誓いは、わたしの世継たち、わたしとともに新しい国へ来る者たちに引き継がれ、決して破ることなく誓いを守り、影がかれらのもとに降り来たり、かれらが呪われた者になることを防ぐものとなろう。

これに対しキリオンはゴンドールも同様の友情の絆で結ばれ、助けることを誓い、クウェンヤで以下の言葉を発した。

ヴァンダ シナ テアマルヴァ エレンナノーレオ アルカル エンヤリエン アル エレンディル ヴォロンド ヴォロンウェ。 ナイ ティルヴァンテス イ ハーラル マハルマッセン ミ ヌーメン アル イ エル イ オル イルイェ マハルマル エア テンノイオ。
Vanda sina termaruva Elenna-nóreo alcar enyalien ar Elendil Vorondo voronwë. Nai tiruvantes i hárar mahalmassen mi Númen ar i Eru i or ilyë mahalmar eä tennoio.

そして再度共通語で言った。

この誓いは、星の国の栄光と、西方の玉座に坐る方々とあらゆる玉座の上に永久とこしえに君臨する唯一なる神のもとに御座おわ節士エレンディルの忠誠とを記念して成すものである。

こうして誓約が結ばれ、一行はアモン・アンワル(ハリフィリアン)を下りた。そしてキリオンとエオルは、ドル・アムロスの大公とエーオセーオドの軍勢の大将の長エーオムンド*2の同席のもとでエオルの国の国境を画定した。

その後、エオルは北方に残っていた国民を引き連れてカレナルゾンに移住。彼の民はゴンドールではロヒルリムと呼ばれるようになり、その国土はローハンと呼ばれるようになった*3
両国の友情と誓いはその後も途絶えることなく続き、指輪戦争でロヒルリムは再びゴンドールの危急を救う。そして(キリオンの言葉にも述べられているごとく)帰還を果たしたエレッサール王によって、カレナルゾンはあらためてロヒルリムに与えられ、セーオデンの後を継いてロヒルリムの王となったエーオメルによって、エオルの誓いも新たにされた。

コメント

最新の6件を表示しています。 コメントページを参照

  • いくらなんでも謝礼に国土を割譲するなんて歴史聞いたことない。現実の世界においても。 -- 2014-06-13 (金) 12:47:31
    • 異民族に領土を与え辺境の守りとする、という意味ではノルマンディー公国に似ていますね。 -- 2014-06-17 (火) 08:47:15
    • 聞いたことない、というのは暴論です。ローマ帝国末期においてダキアなどで見られた現象ですよ。蛮族の侵入でローマが滅んだと言いますが、その蛮族全てがローマに敵対的だったわけではありません。ダキア(現ルーマニア)に入植した蛮族は、ローマと然るべき契約を交わし、ローマ帝国から正式に割譲された地に入植しましたが、フン族やブルガール族が侵入するまで、その地からローマ軍への攻撃は行われず、優秀な騎兵を提供し続けました。この史実をヨーロッパ人である教授が意識しなかったとは思えません。 -- 2018-10-19 (金) 19:40:37
    • なにより、教授の生国であるイギリス、ローマ時代のブリタニアではローマ軍がブリタニアから撤退する前から、サクソン族や北欧の蛮族に対抗するために、人口が希薄になった地に地元のケルト族であるブリトン人を積極的に招き入れています(友好的氏族に限りますが) -- 2018-10-19 (金) 19:44:52
    • 俺たち国民国家の考える領土や領域に比べて、中世以前の領土って流動的なものだからね。本土を守るために協力的な異民族を入植させたり彼らに辺境の土地を割譲するなんてのは衰えた大国にはよくある話。 -- 2021-02-04 (木) 15:33:24
    • とてもよくある話なんだよなあ。国民国家に生きる現代の俺たちには想像もできないだろうけど。 -- 2021-05-25 (火) 07:48:37
    • カレナルゾンは騎馬国家ではないゴンドールにとっては、富を生み出す領土ではなく東夷を中心とした外敵から中央領土を守るための防波堤の役割が強いと思われます。
      それであれば信頼できる盟友にそこの防衛と経営を任せ、限られた国力と軍事力は本国防衛に傾けた方が双方の目的は果たせますからね。
      領土=自分の財産や威信である絶対王政や、自国民の分断に繋がりかねない国民国家だと、多少無理してでも価値がない領土にしがみ付くしかなかったりしますが。 -- 2021-05-30 (日) 17:42:56
    • ここのやりとりは今になっては平和的に感じられるね。反駁も議論も紳士的にやるのが一番。 -- 2022-04-29 (金) 10:54:23
      • んてっか、最近の反駁や論争には(失礼ながら)知性を感じないからね…。
        具体的例を挙げると荒れるから、しないけど。
        管理人さんも、どんなに盛り上がっても学術的な知見に立ったが故の論争はキチンと理性の一線さえ引いてれば止め立てしてないし。
         
        専門的知識や一般的良識を兼ね揃えた人たちの間の議論には学べることしかないですしね。 -- 2022-04-29 (金) 11:59:39
  • ロシアの起源もこんな感じ -- 2015-06-19 (金) 00:09:44
  • イスタリでも使われている「使者を複数送り出すものの一人しか成功しない」シチュエーションがトールキン的に熱いようですね。 -- 2015-12-06 (日) 10:29:23
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