オスギリアス

概要

カテゴリー地名
スペルOsgiliath

解説

シンダリンで「星々の砦(Fortress of the Stars)」の意。大河アンドゥインに架けられた橋の上を中心としてその両岸にまたがって存在した、かつてのゴンドールの首都。
この地の東を守るためにミナス・イシル(後のミナス・モルグル)が、西を守るためにミナス・アノール(後のミナス・ティリス)が築かれた。ミナス・イシルとミナス・アノールはそれぞれ建国王イシルドゥルアナーリオンの居城だったが、二人の玉座はオスギリアスの大宮殿(Great Hall)に隣り合って置かれた。また、星辰殿には亡国の民の王国の連絡に用いられたパランティールの親石があった。

この南の王国の首都はオスギリアスで、都の中央を大河が流れていた。ヌーメノール人はそこに大橋を架け、橋上には見るもすばらしい塔や石造りの家々が建てられた。都の波止場には海から来た高い船が着いた。*1

廃墟の都

「あそこに見えるのは何でしょう?」アンドゥインが大きく湾曲しているその真ん中あたりを指さしながら、かれはたずねました。「あそこにもう一つ都があるのですか、でなかったらなんでしょう?」
「そこは都でした。」ベレゴンドがいいました。「あちらがゴンドールの首都で、こちらはあの都の砦にすぎなかったのです。つまりあれはアンドゥインの両岸に建てられていたオスギリアスの廃墟なのですから。」*2

オスギリアスはゴンドールの最盛期を通じてその首都として栄えたが、第三紀1432年にエルダカールの戴冠によって勃発したゴンドールの内乱(同族の争い)の舞台となる。オスギリアスは包囲戦の末に1437年に陥落し、炎上。この時の戦いで、星辰殿パランティールアンドゥインに没して失われた。

1636年に悪疫が流行すると、オスギリアスでは大勢の人々が死に、生き残った者も都から避難して人口は減少した。オスギリアスは一部が放棄されて荒廃し始めたため、1640年にゴンドールの首都はミナス・アノールに遷都された。
2002年にミナス・イシルが陥落してミナス・モルグルと化し、ナズグールの居城になると、アンドゥイン東岸のイシリエンの住民も多くが逃げ去った。
警戒的平和を経た後、2475年にオスギリアスはモルドールウルクの攻撃を受けた結果、ついに完全な廃墟となり、大きな石橋が破壊された。

以降、オスギリアスはアンドゥインを巡るゴンドールモルドールの戦闘の舞台となった。だがゴンドールは駐屯部隊を派遣してオスギリアスの防衛を続け、北のカイル・アンドロスの島および東岸のイシリエンに設けられた拠点群と連携し、アンドゥインの通行権を保持し続けた。

指輪戦争において

3018年(大いなる年)6月20日、モルドールから送り出された大軍によってイシリエンおよびオスギリアスに駐屯していた部隊はほとんど一掃されてしまう。部隊を指揮していたボロミルファラミルは大河にかかっていた最後の橋を落とし、西岸までが敵の手に落ちるのは防いだものの、東岸はモルドールに奪われる。
その後、ファラミルはイシリエンに唯一残ったヘンネス・アンヌーンなどを拠点に、モルドールとその同盟軍への攻撃を続けた(イシリエンの野伏)。

しかし3019年3月10日にはカイル・アンドロス黒門より出撃してきた部隊によって奪取される。11日、オスギリアスの防衛を強化するため、ミナス・ティリスに戻っていたファラミルはデネソール二世の命で再びオスギリアスに派遣されたものの、ミナス・モルグルから出撃してきた敵軍の渡河を防ぐことはできず、ファラミルの部隊は大きな被害を受けて12日にはオスギリアスから土手道砦に撤退、13日にはさらなる攻撃を受けてランマス・エホールが突破され、ファラミルは退却中に負傷した。
その後モルドールとその同盟軍はオスギリアスを渡し船と舟橋で次々と渡河し、ミナス・ティリスを包囲攻撃した。
ペレンノール野の合戦でモルドール側が敗れた後、オスギリアスは再びゴンドールの手に戻り、渡し船と舟橋は西軍の渡河に再利用された。

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アラン・リー作画によるオスギリアス

Iron Crown Enterprises』における設定

没落前の市街地 没落後の市街地

映画『ロード・オブ・ザ・リング』における設定

二つの塔』では、イシリエンフロド・バギンズ達と遭遇したファラミルは、彼らをミナス・ティリスに連れて行く途中で、オスギリアスに到達する。
その時オスギリアスは、ゴンドール軍とモルドール軍の間で争奪戦が行われており、アンドゥインの東岸側はモルドール軍に占拠されていた。
ファラミル達は西岸に渡っていたが、ここに恐るべき獣に乗ったナズグールが飛来。一つの指輪の力に支配されかけたフロドは、ナズグールに指輪を渡しかける。
だがフロドはサムワイズ・ギャムジーの手により正気に戻り、ナズグールはファラミルによって追い払われる。ファラミルは、一つの指輪の力とその危険性を悟り、フロド達を彼らの希望通りモルドールへと送り出すことに決める。フロド達は地下水路を使ってオスギリアスの東側に脱出し、モルドールへ向かった。

王の帰還』では、アンドゥインを渡河してきたモルドール軍によって西岸側のゴンドール軍が攻撃され、ファラミル達が撤退する様子が描かれた。さらにデネソールに命じられたファラミルが、オスギリアス奪回のため無謀な騎兵突撃を行うシーンも描かれている。

『二つの塔 エクステンデッド・エディション』では、裂け谷に出発する前のボロミルが、オスギリアスの西岸側をモルドール軍より奪回する回想シーンも挿入されている。

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『ロード・オブ・ザ・リング』におけるオスギリアス 『ロード・オブ・ザ・リング』における回想シーンでのオスギリアス

ゲーム『ロード・オブ・ザ・リングス オンライン』における設定

2015年5月4日のUpdate16によって実装。ペレンノール野の合戦直前のオスギリアスを冒険できる。さらに7月17日のUpdate 16.2によって、PvMP専用エリアとしてのオスギリアスが実装された。
両者は描かれている地域は同じだが、あくまで別のマップとして扱われている。そのため、オープンフィールドとしてのオスギリアスを移動中に、PvMP(対人戦)に巻き込まれることはない。
PvMPエリアのオスギリアスへは、エテン高地の自由の民もしくはアングマール軍それぞれの陣地を経由して移動する形となり、オスギリアスの廃墟の中で(PvMPを行いたい者だけが)PvMPを行うことができる。
2016年10月18日のUpdate19では、ペレンノール野の合戦後、西軍によって奪回されたオスギリアスを訪問することが可能となった。

『ロード・オブ・ザ・リングス オンライン』におけるオスギリアスの地図 『ロード・オブ・ザ・リングス オンライン』におけるオスギリアス(イシリエン方面からの光景) 『ロード・オブ・ザ・リングス オンライン』におけるオスギリアス(ペレンノール野の合戦後)

コメント

最新の6件を表示しています。 コメントページを参照

  • ここって地政学的に発展したというか、ヌメノール人(ゴンドール人)が南方や東方に自分達の国力や科学力を見せ付けるために作った、作為的な都市って感じがする -- 2020-07-17 (金) 00:04:54
    • 作為的な都市という意見には同意しますがそれだけではない気がします。滅亡した故国の技術を偲び継承する為にも必要でしたし、ゴンドールの防衛を考えた時にオスギリアス周辺地域は白の山脈以北、アンドゥイン以東、影の山脈の裂け目から進軍した敵対勢力がほぼ必ず通過する地点にあたり、防衛上必ず拠点を設け兵力を集中させるべき場所にあたりますから。それと当時の南方に関してはヌーメノールの植民地で技術力はほぼ同等なので敢えて見せつける必要はない気も -- 2020-07-17 (金) 00:40:42
  • 衰退した理由が非常に分かりやすい町だよな。正直住んでた連中もミナス=ティリスに遷都されてほっとしたのではあるまいか。
    川のすぐ上ってことは霧や湿気や虫とかやばそうだしな…。なぜ橋の上に建てたし。普通に河岸沿いを発展させるんじゃだめだったのか、ヌメノーリアンまたはゴンドーリアンよ。 -- 2021-03-15 (月) 08:05:06
  • 地理的関係はぜんぜん違うが、川が貫通する平野の大都市から不落の要塞都市へ、ローマとコンスタンティノポリスを象徴してるように思える -- 2022-07-24 (日) 20:54:59
    • 「河を挟んだ大橋の上に築いた都市」なんて前例がないからなぁ。なんともいえないですね。
      ただ、どっちかってとその条件に合うのってローマやコンスタンティノープルより断然ロンドンなんですよね。
      ローマはティベレ川の東に築かれてますし、コンスタンティノープルはどっちかってと金角湾で隔てられてますから。
      橋が象徴となり、テムズの両側に都市と文化が築かれたロンドンのイメージからさらに古代要素を付与して飛躍させたのがオスギリアスなのかもしれません。
      ※元ロンドン在住者 -- 2022-07-24 (日) 22:11:37
      • テムズ川の南岸に市街地が広がったのは大分後の時代だったと思うけど.... -- 2022-07-24 (日) 22:20:00
      • 古のロンドン橋はまさに橋上に家々が建てられていたので、私もおっしゃるようにロンドンの方が発想元としてはもっともらしいと思います -- 2022-07-24 (日) 22:31:13
      • パリはどうだろう?パリも川の中洲に築かれた砦が徐々に両岸に広がっていった所は同じで景観も近い。 -- 2022-07-25 (月) 01:09:38
  • → テムズ川の南岸に市街地が広がったのは大分後の時代だったと思うけど....
    ロンドンアイが竣工した世紀末にまさにロンドン郊外に住んでましたが、元々再開発するまでは倉庫が並んでと言われてますね。いわゆるサウスバンクってエリア。
    ただいわゆる産業革命からヴィクトリア時代にはすでに貧民街や労働者街としては形成されていたようです。 -- 2022-07-25 (月) 09:39:05
  • 地図見てるとゴンドール最盛期のオスギリアスとミナス・アノールは本当にいい位置にあると思う。恐らくゴンドール建国当初は各方面への極めて有力な防衛拠点として建築された筈だけど平和な時でもエリアドール、南方、東方(ロヴァニオン含む)の相互交易のハブの一つとして相当栄えて情報も集まったんじゃなかろうか -- 2022-09-24 (土) 22:53:08
  • 最盛期はどれくらいの人口があったのでしょうか。 -- 2023-10-12 (木) 08:00:39
    • 何処を基準にするかによる。中世の西欧基準なら2,3万でも多い方だけど、ローマ時代やオリエントを基準にするならば数十万いた可能性もある。流石に全盛期のローマ(100万人)程は無さそうだけど -- 2023-10-12 (木) 11:30:36
      • 映画の描写を見るに、十万人以上は住めそうな広さしてたからな。夏になると水害や獣害に悩まされたりしてたんだろうか。 -- 2023-10-12 (木) 16:55:48
      • 全盛期のゴンドール全土が2~3000万人(ローマ帝国の半分)だとして、その内の1%程度なら20万人ぐらいはいた事になる。コンスタンティノープルとかアレクサンドリアみたいな紀元前後の東地中海の最大級の都市がそれぐらい。 -- 2023-10-12 (木) 19:13:56
      • 形的にはマジでコンスタンティノープル。
        できることなら行ってみたいなー -- 2023-10-12 (木) 21:05:17
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