エオメル †
概要 †
カテゴリー | 人名 |
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スペル | Éomer |
その他の呼び名 | エオメル・エアディグ(Éomer Éadig)*1 |
種族 | 人間(ロヒアリム) |
性別 | 男 |
生没年 | 第三紀2991年~第四紀63年秋(享年93) |
親 | エオムンド(父)、セオドウィン(母)、セオデン(養父) |
兄弟 | エオウィン(妹) |
配偶者 | ロシーリエル |
子 | エルフウィネ |
解説 †
マーク(ローハン)の王セオデンの妹セオドウィンと、軍団長エオムンドの息子(つまりセオデンの甥にあたる)。エオウィンの兄。戦いにおいてはグースヴィネという剣を使い、火の足という馬に乗っていた。
指輪戦争ではロヒアリムを率いて角笛城の合戦やペレンノール野の合戦で戦い、ペレンノールで戦死した伯父セオデンからマークの王位を継承。アラゴルン二世とは強い友情を育み、彼の決断に従って黒門の戦いにも参加した。
この戦いにも生き残ったエオメルは、マーク王家第三家系の始祖となった。
幼少期から指輪戦争直前まで †
第三紀3002年に父エオムンドがオークに殺され、母セオドウィンもすぐ病を得て亡くなると、エオメルはエオウィンと共にセオデンに引き取られ、彼の養子としてエドラスで育てられる。
エオメルは長じると、父の役職を次いで東マークを統括する第三軍団の軍団長として、谷地のアルドブルグに本拠を持った。彼より13歳年上の従兄セオドレドとは強い友情で結ばれており、エオメルは彼をセオデンに次いで尊敬していたという。
セオデンがサルマンの間者グリマの術策によって耄碌しても、セオドレドとエオメルの王に対する忠誠心はいささかも揺るがず、また互いの信頼関係も揺るがなかった。そのためグリマは、可能な限りこの二人(特にエオメル)が王からの信頼を失うよう仕向けようとしていた。
角笛城の合戦前後 †
第三紀3019年(大いなる年)2月26日に、オークの一団が東谷に侵入したとの報を受けたエオメルは、エドラスからの命令を無視して自らのエオレドを引き連れて討伐に乗り出し、かれらを追跡して29日の夜明け前にファンゴルンの森のきわで追い詰め、包囲して殲滅する。
翌日、捕虜にされたメリーとピピンを救出するためオークを追っていたアラゴルン二世、レゴラス、ギムリの一行に行き会う。はじめは見知らぬよそ者に警戒心を示したが、アラゴルンがエレンディルの世継であることを名乗り、誘拐された友人二人を助けるためにローハンの平原を踏破してきたことを聞かされると、後で必ずエドラスに立ち寄るよう約束させるのみでかれらを見逃し、さらに馬(ハスフェルとアロド)を貸し与えた。
またこの時、ロスロリアンの森の奥方のことを網を編み、魔術を行う等と悪しざまに口にしたためにギムリの怒りを買う。
エドラスに戻ったエオメルは、命令に反してオークを追跡するために東マークの軍勢を連れ出しエドラスの防備を疎かにしたこと、よそ者を捕らえず国内を通行するのを見逃したこと、さらに彼らに馬まで貸したこと、といったかどでグリマに告発される。さらに、グリマがエオウィンを我が物にしようと狙っていることを知っていたエオメルは、宮廷内で剣を抜きグリマを切り捨てようとする。そのため、グリマの言いなりになったセオデンの命によって投獄された。
アラゴルンらとともにエドラスを訪れたガンダルフの手によってセオデンが癒され、グリマの呪縛から解放されると、エオメルも釈放される。エオメルはセオデンの信頼を取り戻し、軍事上の第一の相談役として王に付き添うこととなり、またセオデン亡き後の王位継承者に指名された。
セオデンに付き従ってヘルム峡谷まで軍を進めたエオメルは、角笛城の防衛を事実上指揮し、自らの手勢を峡谷を塞ぐ奥の防壁に主に配置してアイゼンガルドの軍勢に備えた。攻撃が開始されると、しばしばアラゴルンと共に奮戦し、城門に攻め寄せる敵部隊を押し戻して活躍した。
エオメルとアラゴルンは裏口から飛び出しました。そのすぐあとには部下たちが続きました。二本の剣はあたかも一本の剣のように同時に
鞘 から抜かれてきらめきました。
「グースヴィネ!」と、エオメルが叫びました。「マークにはグースヴィネ!」
「アンドゥリル!」と、アラゴルンが叫びました。「ドゥネダインにはアンドゥリル!」*2
奥の防壁の暗渠がオルサンクの火によって爆破され、峡谷内まで敵が流れ込んでくると、エオメルはギムリ、ギャムリングらと共に本陣から分断され、峡谷の燦光洞まで撤退する。だが夜明けとともにセオデンがヘルムの角笛を吹き鳴らして出撃すると、それに呼応して反撃。敵をヘルムの堤防まで押し返し、直後に到着したエルケンブランドら西谷の援軍とともにセオデン、アラゴルンらと再会した。
合戦後も、アイゼンガルドに向かいサルマンと対話するセオデンに同行した。
ペレンノール野の合戦前後 †
パランティーアの判明、ナズグールの飛来、北方の野伏の到着といった事件が重なったことで、アラゴルンはロヒアリムから別行動を取りイシルドゥアの世継として死者の道を行くことを決意(灰色の一行)。エオメルとアラゴルンは戦場で再会することを期するが、死者の道の不吉な伝承を良く知るエオメルはそれを絶望視していた。
馬鍬砦に集結したローハン軍は、そこから約6000騎が長征に加わり、赤い矢で援軍を要請してきたゴンドールに応えるためミナス・ティリスを目指す。
ドルーアダンの森のドルーエダインの酋長ガン=ブリ=ガンの援助を得たロヒアリムは西街道の敵に気取られることなく、石車谷を通ってランマス・エホールの防壁に到達。そこから曙光と共にペレンノール野へ突撃したローハン軍は戦いの歓びに高らかに歌いながら戦場を席巻し、敵の手に落ちていたペレンノールの半分を掃討する。
だがその中で、セオデンは魔王の攻撃によって命を落とす。率いるエオレドと共に今際のセオデンの許に辿り着いたエオメルは、その場で彼からマークの王位を譲られた。
ところが、セオデンの周囲で倒れ伏している従者の亡骸を確認している途中、そこにエドラスに残してきたはずの妹エオウィンが横たわっていることに気付いてしまう。魔王に打撃を与えたために黒の息に冒され、一見すると死んだようになっている彼女の姿を見て衝撃と激怒に駆られたエオメルは、周囲の意見も聞かず馬に打ち跨って狂ったように戦場に取って返した。
「エオウィン、エオウィン!」ようやくかれは声を発して叫びました。「エオウィン、どうやってここに来たのだ? 何という狂気の
沙汰 だ、それとも悪魔のしわざか? 死だ、死だ、死だ! 死がわれら全員を奪うのだ!」 ……
「死だ! 進め、進め、破滅に向かって、この世の終わりに向かって!」
そしてその呼びかけとともにローハン軍は動き始めました。しかしロヒアリムはもう歌いませんでした。「死だ!」かれらは異口同音 に大きなすさまじい声で叫びました。そしてまるで大きな津波のようにしだいに速さを増し、かれらの戦いの場はかれらの死せる王の周りをかすめ通って去り、蹄の音を轟 かせて南の方に駆け去って行きました。*3
恐るべき怒りに駆られたロヒアリムの軍勢は敵軍の前線を潰滅させ、ハラドリムの軍勢を二分して通り過ぎ、騎兵を敗走させ歩兵を全滅させるなどすさまじい戦いぶりを示したが、ムマキルの恐怖に対しては馬は無力で打ちかかることができず、ムマキルの周囲に敵軍が再集結しつつあった。さらにオスギリアスからは新手が送り込まれ、ハルロンドには海賊の艦隊が停泊しようとしていた。それを見て取って望みを失ったエオメルは、むしろ覚悟を決めて明晰さを取り戻し、沸き起こる戦意のために悲壮な詩句を口ずさんで笑う。
しかしそこで停泊した海賊船に搭乗していたのは、ゴンドールの辺境の諸侯国の兵を引き連れたアラゴルン二世であり、エオメルとアラゴルンは再び戦場で再会した。
この援軍が決定打となって合戦の流れは変わり、モルドールとその同盟軍はほとんどが追い詰められて殲滅された。
黒門の戦いと指輪戦争の終結後 †
アラゴルン二世のテントで開かれた最終諸侯会議で黒門への攻撃が決定されると、エオメルは麾下のロヒアリム歩兵500名と騎兵500騎を率いて西軍に参加することが決まった。そのほか生き残った3000騎の騎兵はエルフヘルムに預けられてミナス・ティリスに残り、アノリアンに残存する敵兵力から都を防衛する任に当たることになった。
西軍は黒門まで進軍し、ローハンの兵達はドル・アムロスの兵達と共に、燃えかすの山の一方の小山に布陣した。
エオメルはこの戦いに生き残り、ローハンの新たな王(エオル王家の第三家系)として凱旋することができた。エオメルとローハンは即位したエレスサール王からあらためてカレナルゾンの地を永久に与えられ、その同盟の誓いを新たにした。
エオメルはエレスサール王の戴冠式に参列した後、戦後処理のためエオウィンやロヒアリムらと共に5月8日にローハンに帰郷。その後、ミナス・ティリスのラス・ディネンに一時的に安置されていたセオデンの棺台を引き取るため、7月18日にミナス・ティリスを再訪。その時、エレスサール王の婚儀のためにミナス・ティリスにやってきていたガラドリエルとアルウェンに出会う。さらに、ギムリとのガラドリエルを巡る確執で和解して決着を付けた。
7月22日にはセオデンの葬列と共にエオメルらとエレスサール王、さらに裂け谷やロスローリエンのエルフと共にエドラスへ向けて出発。8月10日にエドラスでセオデンの葬儀が執り行われた。その日の追悼宴の最後に、エオメルはエオウィンとファラミアの婚約を発表した。
エオメル王は指輪戦争終結後もエオルの誓いを果たすためにロヒアリムの軍勢を指揮し、エレスサール王の軍とともに、西方世界の敵たちと戦った。ローハンは待ち望まれた平和を謳歌できるようになり、人口も馬の数も増えた。
第三紀3021年にはイムラヒル大公の娘ロシーリエルと結婚し、後に息子エルフウィネが生まれた。
晩年の第四紀63年の春、エオメル王はもう一度ホルドヴィネに会いたい旨の伝言をバック郷に送り、すでに老齢だが矍鑠としていたメリアドク・ブランディバックをペレグリン・トゥックと共に呼び寄せる。同年の秋にエオメル王は薨じ、それまで2人のホビットはエドラスにいたという。
エオメルの治世は長命王アルドールに次ぐ65年に及んだ。王位は息子のエルフウィネが継承した。
画像 †
関連項目 †
映画『ロード・オブ・ザ・リング』における設定 †
グリマの策略によって、投獄ではなく追放されたことになっている。
角笛城の合戦では、エルケンブランドの代わりに城外からガンダルフとともに救援に来る立場になったこともあり、アラゴルンとの友情の話は大幅にカットされた(アラゴルンと共に戦う場面がない)。またセオデンとの会話シーンも少なく、特に『王の帰還』では、ペレンノール野の合戦でのセリフがほとんどない(セオデンのセリフに流用されている)うえ、セオデンがエオメルに王位を譲るセリフもないため*4、原作よりも存在感が薄くなってしまっている。
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ゲーム『ロード・オブ・ザ・リングス オンライン』における設定 †
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