#author("2023-11-14T23:51:10+09:00;2022-10-16T11:55:01+09:00","","")
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* ホビット&ruby(しょう){庄}; [#e62035d5]
** 概要 [#Summary]

|~カテゴリー|[[地名]]|
|~スペル|(the) Shire|
|~異訳|庄、シャイア、ホビットの里|
|~その他の呼び名|スーザ(Sûza)、小さい人の国(the land of the Halflings)|

** 解説 [#Explanation]
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[[エリアドール]]の西の辺境にある、[[ホビット]]たちが住まい、自治を行っていた地域の名。首府は[[大堀町]]。この地に住むホビットは特に「ホビット庄民(Shire-folk)」と呼ばれる。
『[[ホビットの冒険]]』『[[指輪物語]]』に登場する主要なホビット達の故国であり、主人公の[[ビルボ・バギンズ]]および[[フロド・バギンズ]]の自宅である[[袋小路屋敷]]は、ホビット庄内にある[[ホビット村]]((邦訳では混同されやすいが、[[ホビット村(Hobbiton)>ホビット村]]は、ホビット庄(Shire)の中にある集落の一つ。))にある。

>その頃つまり中つ国の第三紀は、すでに遠い過去となり、全土が姿を変えてしまっているが、その頃ホビットたちの住んでいた地域は、今なおかれらがほそぼそと立ち去りがたく暮らしている地域と明らかに同じである。すなわち、大海の東、旧世界の北西部である。((『[[指輪物語]] [[旅の仲間>指輪物語/旅の仲間]]』「ホビットについて」))

*** ホビット庄の地理 [#j95e0930]

[[エリアドール]]の、[[ブランディワイン橋]]から[[向が丘連丘]]までの40[[リーグ]](約193km)、北の荒野((原語は'''the northern moors'''。[[北の沼地]](North Moors)のことか。))から南の沢地までの50リーグ(約241km)に及ぶ地域。これが東・西・南・北の''[[四が一の庄]]''に分けられる。
更にホビット庄には後年に付け加えられ、四つの四が一の庄には含まれない東境と西境がある。東境とは、本来の東の庄境である[[ブランディワイン]]川の東岸沿いにある''[[バック郷]]''のことで、''[[西境]]''は本来の西の庄境である向が丘連丘と[[塔山丘陵]]の間の地である。

ホビット庄の真ん中を[[東街道]]が東西に横切っており、庄内では[[青の山脈>エレド・ルイン]]を行き来する[[ドワーフ]]や、時には[[灰色港]]へ向かう[[エルフ]]の姿が見られることもあった。

肥沃な土地であり、古くは[[北方王国]]の王が所有する農地と森が存在した。気候は、秋の頃の9月に野宿が可能であり、また[[北四が一の庄>四が一の庄#North]]の高原地方を除いて大雪がめったにないといった描写から、温暖かつ冷涼であることが伺える。

*** ホビット庄の社会 [#vfdd1c34]

名目上ホビット庄民は[[北方王国]]([[アルセダイン]])の臣民であったが、彼らに要求されたことは王の主権を認めることと、[[大橋>ブランディワイン橋]]を含む橋や道路の補修を行って王の使者の移動路を保全することだけであり、庄民は各豪族の族長たちの下、完全な自治を行った。そのため中央政府的な組織は存在しなかった。
北方王国の滅亡後もホビット庄では庄民の自治が続けられ、[[第四紀]]には[[エレッサール王>アラゴルン二世]]による[[再統一された王国>亡国の民の王国]]に編入されるが、やはり自治を維持した。

ホビット庄の公共業務(Shire-services)として、逓信(Messenger Service)と警備(Watch)があった。前者を遂行する郵便の方が人員が多く、業務も多忙だった。後者を遂行したのは警察に相当する[[庄察]]だが、北方王国滅亡後のホビット庄は(特に[[指輪戦争]]が近づいてくる頃は)密かに[[野伏]]によって守られていた。

ホビット庄唯一の公職に[[自由市]]での選挙で選ばれる''[[庄長]]''があり、庄長は二つの公共事業の責任者である郵便局長と庄察長を兼任した。
アルセダイン滅亡後には、族長たちの中から王権の代行者である''[[セイン]]''が選出された。セインは非常時にのみホビット庄の議会と軍隊を召集する権限を持っていたが、そのような事態は絶えて久しいため、[[トゥック一族]]に継承される名誉職と化した。

他にホビット庄の枢要な地位として、[[館主]]と[[西境の区長]]があった。前者は東境である[[バック郷]]の首長の称号であり、バック郷を興した[[ブランディバック一族]]に継承された。後者はその名の通り[[西境]]の首長と思われ、[[髪吉家]]に継承された。

*** ホビット庄の歴史 [#e327c907]

>ホビットたちはこれをホビット庄と名づけ、自分たちの選出したセインの権威の及ぶ区域とし、秩序だった暮らしと仕事の行なわれる国とした。そしてこの居心地のよい世界の片隅でかれらは秩序だった日々の暮らしに精を出し、暗い出来事の次々起こる外の世界のことはますます気を留めなくなって、さては、平和と豊かさが、中つ国の常態よ、分別ある者の権利よと考えるにいたった。((『[[指輪物語]] [[旅の仲間>指輪物語/旅の仲間]]』「ホビットについて」))

[[ホビット]]はもともと[[リョヴァニオン]]の[[アンドゥインの谷間]]に定住していたが、[[第三紀]]1050年から1600年にかけて断続的に[[エリアドール]]に移住し、[[ブリー郷]]一帯に新たな居住地を築くようになる。
第三紀1601年、[[アルセダイン]]の王[[アルゲレブ二世]]の許可を得た[[マルコ]]と[[ブランコ]]の兄弟が大勢のホビットを引き連れて[[ブランディワイン橋]]を渡り、その西側の土地に入植。これがホビット庄の始まりであり、この年が''[[ホビット庄暦]]''の紀元とされる。

1637年(庄暦37年)には[[やみ病>悪疫]]の大流行によって、ホビット庄でも多くの犠牲者を出した。

1975年(庄暦375年)、[[フォルンオストの合戦]]に際し、ホビット庄民は王への加勢のため弓兵を送り出したと主張している(このことは[[人間]]の記録には残っていない)。しかし弓兵たちは誰一人帰ってこなかった。
[[北方王国]]の滅亡後、庄民は族長たちの中から王権の代行者である[[セイン]]を選出するようになる。1979年(庄暦379年)、[[沢地のブッカ]]が初代セインに選出された。

2340年(庄暦740年)には進取の気風のある[[オールドバック家>ブランディバック一族]]の[[ゴルヘンダド>ゴルヘンダド・オールドバック]]が[[ブランディワイン]]川の東岸に入植し、[[バック郷]]を開く。こうして「東境」が新たにホビット庄に加わることになった。
それに伴ってセイン職は[[トゥック家>トゥック一族]]が世襲するようになった。初代のトゥック家セインは[[アイザムブラス一世>アイザムブラス・トゥック一世]]である。

2747年(庄暦1147年)、[[ゴルフィンブール]]率いる[[オーク]]の一団が庄内に侵入したため、[[バンドブラス・トゥック]]が庄民を率いて戦い、オークを撃退する([[緑野の合戦]])。これは[[水の辺村の合戦]]が起こるまで、ホビット庄で戦われた最後の戦闘であった。

2758年(庄暦1158年)から2760年(庄暦1160年)にかけて続いた[[長い冬]]とそれに伴う飢饉は、ホビット庄の歴史でも最悪の出来事であり、大勢の庄民が命を落とした。この時、[[魔法使い>イスタリ]]の[[ガンダルフ]]が庄民を援助するため来訪し、以後ホビットと親しく交友するようになった。
2911年(庄暦1311年)の[[凶年の冬]]は温暖なホビット庄でも雪が降り、凍結した[[ブランディワイン]]川を渡って[[白狼>狼]]が庄内に侵入した。[[大いなる年]]以前に、[[バック郷の非常用角笛]]が吹き鳴らされた最後の出来事であった。

こうした出来事があったとはいえ、ホビット庄は次第に温暖になる気候にも助けられて豊かで平穏な暮らしを築いていき、ついには平和になずんで外界の物事にかかずらわなくなっていった。

2941年(庄暦1341年)に[[ビルボ・バギンズ]]が[[13人のドワーフ>ソーリンとその仲間]]の[[エレボール]]遠征に加わり、約一年間ホビット庄から失踪したこと(『[[ホビットの冒険]]』)は、諸国に[[ホビット]]の存在が知られる契機となる。
そして3018年から3019年(庄暦1418年から1419年)にかけて[[四人の旅人>旅人たち]][[フロド・バギンズ]]、[[サムワイズ・ギャムジー]]、[[メリアドク・ブランディバック]]、[[ペレグリン・トゥック]]が[[指輪戦争]]に加わって王の帰還に大きく貢献する勲功を上げたこと(『[[指輪物語]]』)で、ホビット庄は再び[[再統一された王国>亡国の民の王国#ReunitedKingdom]]に編入された。
これは庄民の目を開かせる大事件であった。

指輪戦争では[[アイゼンガルド]]の手の者である[[ごろつき]]がホビット庄を一時占拠するに及んだが、帰庄した[[旅人たち]]によって庄民は蜂起し、緑野の合戦以来となる[[水の辺村の合戦]]が戦われた。
荒らされたホビット庄を復興するため、サムワイズは[[ガラドリエル]]より[[贈られた>ガラドリエルの贈り物]]彼女の[[庭の土>小箱]]を用いて各地で植樹活動を行い、[[誕生祝いの原]]には[[マッロルン]]樹の種を植えた。その成果であろうか、翌年の3020年(庄暦1420年)は[[大いなる豊穣の年>大いなる年#year3020]]と呼ばれるかつてないほどの豊作となり、美しく丈夫で金髪の子供が多く生まれた。誕生祝いの原ではマッロルン樹が初めて開花し、この木は[[霧ふり山脈]]の西、[[大海]]の東にある唯一のマッロルン樹として知られるようになる。

[[第四紀]]6年(庄暦1427年)、[[エレッサール王>アラゴルン二世]]はホビット庄への[[人間]]の立ち入りを禁ずる勅令を出し、同地を北方王国保護下の自由地(Free Land)とした。
31年(1452年)に王はホビット庄に[[西境]]の地を贈与し、多くの庄民が同地に移住した。[[塔の下]]の[[髪吉家]]はその筆頭である。

こうした一連の出来事は、ホビット庄民に自らの歴史について再考させるきっかけになり、ホビットの手で多くの歴史書が編纂された。

*** 備考 [#yf81f01a]

[[瀬田貞二]]によってShireが「ホビット庄」と訳されたのは、「Shire」の発音と「庄」の発音が似ていることが一因である。日本語で「庄」は荘園などを指し、転じて村里などを意味する。
映画『[[ロード・オブ・ザ・リング]]』では「シャイア」「ホビットの里」あるいはただ単に「里」と訳されている。

Shireとは元来は[[古英語]]で「地域、地区」を意味する言葉から来た。現代でもヨークシャー(York''shire'')やランカシャー(Lanca''shire'')といった接尾語の形で残っている。ホビット庄の緯度や経度は、[[トールキン>ジョン・ロナルド・ロウエル・トールキン]]の母国である現在のイギリスに相当するように設定されている。

『[[西境の赤表紙本]]』原文でホビット庄は、[[西方語]]表記で''スーザ''(Sûza)であり、それをトールキンがShireに翻訳したという設定になっている。

[[中つ国]]は現在の地球の神話的過去の姿であると設定されており、ホビット庄のほぼ中心にあるホビット村は作者[[トールキン>ジョン・ロナルド・ロウエル・トールキン]]の住むイギリスのオックスフォードと同じ緯度、経度に設定されている。

** ゲーム『[[ロード・オブ・ザ・リングス オンライン]]』における設定 [#LotRO]

&ref(ScreenShot00570.jpg,,10%,『ロード・オブ・ザ・リングス オンライン』におけるホビット庄); &ref(大堀町/Michel Delving.jpg,,10%,『ロード・オブ・ザ・リングス オンライン』における大堀町(手前に小足家のウィル庄長がいる)); &ref(lotro_gamemap_shire.jpg,,13%);


** コメント [#Comment]

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