* ストゥア [#t5f2a3db]
** 概要 [#Summary]

|~カテゴリー|[[種族]]|
|~スペル|Stoor|
|~その他の呼び名||

** 解説 [#Explanation]

[[ホビット]]の一氏族。一般に水を嫌うホビットの中で唯一、船に乗ったり泳いだりする習慣がある。
[[ハーフット]]や[[ファロハイド]]に比べてがっしりとして肩幅が広く、大きな手足を持つ。三氏族の中でストゥアだけが顎鬚を生やすことがあった。
[[ハーフット]]や[[ファロハイド]]に比べてがっしりとして肩幅が広く、大きな手足を持つ。三氏族の中でストゥアだけが顎鬚を生やすことがあった。[[ロヴァニオン]]に住んでいた頃は[[人間]]をあまり恐れなかったという。

[[人間]]をあまり恐れず、[[アンドゥイン]]の谷間の水辺に長く留まった後、ハーフットの後に続いて[[霧ふり山脈]]を越えて[[エリアドール]]に入った。しかしその後[[鳴神川]]に沿って南下して[[サルバド]]と[[褐色人の国]]の近隣に定住した後、再び北上して一番最後に[[ホビット庄]]にやってきた。そのため独特の習慣や語彙を多く持つ。
[[ブランディバック家]]をはじめとした[[沢地の国]]の住人は、舟遊びの習慣や顎にうっすらと和毛を生やすことなどから、ストゥアの血を色濃く受け継いでいることが知られていた。地上に建てた家に住むことを始めたのもかれらであるという。
[[アンドゥイン]]の谷間の水辺に長く留まった後、ハーフットの後に続いて[[第三紀]]1150年頃に[[霧ふり山脈]]を[[赤角山道>カラズラス]]から越えて[[エリアドール]]に入った。彼らの一部は[[ミスエイセル(にびしろ川)>ミスエイセル]]と[[ブルイネン(鳴神川)>ブルイネン]]の間の三角地(当時は[[ルダウア]]領)に住んだが、多くは南下して[[エネドワイス]]の[[サルバド]]と[[褐色人の国]]の近隣に定住した。その後のエリアドールで[[アングマール]]の戦火が吹き荒れ、1409年にアングマールの大規模な攻撃があると、三角地のストゥアは西と南に逃げた。これは戦乱とアングマールを恐れてのことだが、当時のエリアドール東部の気候変動も関係している。この時、彼らの中の一部は[[ロヴァニオン]]に戻り、[[あやめ川]]の畔に住む漁民となった者もいた((これが[[ガンダルフ]]が[[ゴクリ]]の出身と推測した、ストゥアの支族である))。1630年頃、褐色人の国にいたストゥアは北上して一番最後に[[ホビット庄]]にやってきた。

[[ガンダルフ]]は、[[ゴクリ]]の出身である[[あやめ野]]近辺に住んでいた一族もストゥア族の分かれであろうと推測している。
他の二氏族に合流するのが遅かったので、庄内では独特の習慣や語彙を多く持つ。[[ブランディバック家]]をはじめとした[[沢地の国]]や[[バック郷]]の住人は、舟遊びの習慣や顎にうっすらと和毛を生やすことなどから、ストゥアの血を色濃く受け継いでいることが知られていた。地上に建てた家に住むことを始めたのもかれらであるという。

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