ハラド
指輪物語は人種差別な発言が多い、有色人種蔑視だ、と息巻く人々も多いそうですがハッキリ言ってそうです。
指輪物語では、南方人はオークよりも残忍など書かれたり、セオデン王が対決するシーンで白の怒りと黒の怒りがぶつかり白が勝った、なんてヒドイ書き方も。
ただ、トールキン教授が当時の保守的なイギリス人だったという事を忘れてしまっては困ります。
この時代のイギリス人の作家の作品を読むと大抵こんなモンです。有名な推理小説、ブラウン神父シリーズなどカトリック以外の宗教を全て邪教扱いで、黒人に敵意を持っているとしか思えない発言のオンパレードです。ニグ○なんて平気で使いまくりです。
意識のズレと言ってすませる訳にはいきませんが、やはり時代の制約を無視して批難するのは行き過ぎでしょう。
ジブリの方とか。
そうですよね。必死で否定している方もたまにいますけど。 -- 流那
ただ、『白』『黒』などは、単に肌の色を指しているのではなく、影=黒いなどの連想から生まれたもので、人種差別とは無関係かもしれません(あくまで私の推測です)。 -- 流那
一見するとそう見える描写があるのは事実ですが、実際にトールキン教授自身がそのような人種差別的信条を持っていたか、ということにまで踏み込むのであれば、もう少し慎重な考察が必要であると思います。物語として悪役を与えられているからといって、それが単純に作者の信条とイコールであるとは限りませんし、「当時の保守的な英国人」と一括りに評価すること自体も大雑把な類推でしょう。私からすれば、むしろそう見られることを避けようとしたと思しき描写を感じることもあり、人それぞれです。 --
すいません、長々と持論を展開して大雑把な類推でしょうとか言ってるのに最後には人それぞれとか言われても支離滅裂でわけがわからんのですが?? --
あと、「当時の保守的な英国人」と一括りに評価すること自体はどう考えたって別に大雑把でも何でもないですよ。むしろ当たり前。 --
「人それぞれ」だからこそ、一面からの感想ではなく詳細な分析と根拠立てをした上で断ずるべきだ(つまり上記の言説にはそれらが欠けている)、と言いたいわけです。莫大な文中から「ヒドイ書き方」という一方的な部分のみを選択して取り上げ、その観点に反する描写は無視し、残りは一般論に終始しているからです。
一括りな評価に問題があるのは、この場合「それがトールキンに該当するか」という前提がまったくノータッチである点です。他の大勢がそうであったという事は、トールキンもそうであったという根拠にはなりません。それを判断するには、まず「当時の保守的な英国人」なるものの定義を確認し、それをトールキンの実情と照らし合わせ、…といった過程を踏むほかありませんが、そこまでするなら(したなら)、そもそも一般論などを持ちだす必要はないわけです。
以上の理由から、大雑把な類推だと申し上げました。 --
返信ありがとうございます。自分の下らない理論に付き合ってくれて感謝です。ただ、私が言いたいのはトールキンに該当する可能性は高いということです。トールキンも当然常識というものがあったでしょう。論理的に考えれば、当時の常識的な考えと違ったとは思えません。実際、上記にはこの時代のイギリス人の作家の作品を読むと大抵こんなモンです。と書いていますし。それに、仮にトールキンが人種差別をしていたとしてもそれは問題にはなりえません。昔は魔女狩りの様なことが平気で行われていたのですからね。それに比べればはっきり言って人種差別ごときは問題ではありません。人種差別は今の時代にもごく普通に行われています。今の時代の人間でさえやるようなことをトールキンがやっていたくらいで問題にする人がいるとも思えませんし、それでトールキンの評価が下がるとも思えないです。それに指輪物語は人種差別な発言が多いという人がいるということはそういう描写が決定的にあるということになる。つまり、トールキンが実際にそう書いたのは事実なのですから、否定するのも難しいと思います。この世の中で大切なのは課程ではなく結果、そして重要なのは仮説ではなく事実です。描写そのものがトールキンが人種差別をしていたという証拠になるのです。 --
「ゴクリは敵役で、登場人物が再三彼に対して露骨な嫌悪の情を示すのだから、トールキンはゴクリを嫌って書いていたに違いない」…などというのが事実ではないことは、作品を通して読んだことのある人間であれば誰にでも明らかでしょう。
全体から特定の部分だけを抜き出して集めれば、それはどのような印象のものにでも「編集」できてしまいます(無意識にそうしたことを行ってしまう場合もあります)。これは「偏りのある標本」などと呼ばれる誤謬・詭弁であり、それは決して作品やましてや作者の全体像ではありません。
それのみ見れば差別的な描写があるのは事実です。しかしそれを作者の差別意図の表れとするのは結論の導き方が誤っているということです。なぜなら、南方人はオークより残忍だなどと書かれる一方で、故郷からムリヤリ戦争に駆り出されたのかと書かれてもおり、東夷が裏切り者の敵として書かれる一方で、忠義を尽くすボールの一族も書かれています。また、高潔な味方として描かれるロヒアリムは、一方でドルアダンを狩猟感覚で迫害していたとも描写されます。
もし本当にトールキンに言われるような差別意識があったのであれば、後者のような描写をするとは考えにくいことでしょう。
最後に、本筋ではないので簡素な指摘にとどめますが、「トールキンも当然常識という…」云々も「差別的発言が多いという人がいるということは…」云々も多数論証の誤謬であって、論理的ではありません。 --
原作ではムマキル使いはインド系。 さらにアフリカ系と思われる南方人については真っ黒で半分トロルの血をひいた、もしくは半分トロルのようだとの記述だと記憶しています。 東夷についてはドワーフに似た輩とあり対照的ですね。 -- けつ
他の小説も一緒なんだから別にいいなんて考えは都合よすぎだろ。信者的過ぎて気持ち悪いぞ --
作品の主旨主題はそこじゃないだろ。 --
原作はともかく、映画のハラドリムの扱いはむしろオマージュだろ --
映画スタッフがはっきりと「アフリカの文化をモチーフにしてる」ってはっきりと言っちゃってるんだよね。その後で「アフリカ人に似せるつもりはなく、もっと謎めいた集団にしたかった」と言ってる辺り、方々で言われてたような差別する意図は無かったようだが。 --
サラセンですしね まんま --
ホビットってなんか東洋系っぽくないですか?(フォローになってない?) --
ハーフットはサクソン、ストゥアはジュート、ファロハイドはアングルに当たるようですが。 -- ホビット
ホビットは基本的にアングロ=サクソンですよね --
人種云々の問題はともかく、覆面の下の顔はどう見ても、欧米人でしたね。それはそれで「批判を回避するためだろ」と言われるでしょうが --
ファラミアがハラドリムの死体見て呟くシーンが有ったけど、欧米人には見えなかったけどなあ。 --
ハラドにはトロルに劣らない怪力の人間がいるそうですが、モチーフはゴリラかも? --
日本人にとってのハラドは琉球?(県民の方スイマセンm(._.)m) --
東京都民にとってのハラドは大田区民? ってくらい意味ないわw --
沖縄はむしろ西方では?日本人南方由来説というのもありますし。 --
まあそうだろうな --
敵として描いてるからと言ってそれが何故、現代(20世紀以降)人に対する選民意識だという結論になるんだ?つい最近もレビューサイトでこの映画のファンを「おめでたい頭をした奴ら」と投稿した人がいたが。 --
人種差別的だって批判する人達って、そういった描写の部分だけ取り上げて、それに反する部分(ボールの一族とかサムのスワート人に対する独白とか)は無いものとして扱ってるフシがあるんだよなぁ。ロクに読んでもいないくせして批判すんだから、どっちがおめでたい頭してんだって話だよ。 --
>それに反する部分←これすら「自分は差別してませんよ」って言い訳、言い逃れのために後から付け足したものだとか言ってる。 --
そう言ってきたら後から付け足したというソースを示せって言えばいいのよ。そう言うと大抵黙る。ちょっと知ってる奴は、ボールの一族はシルマリルの物語に含まれていて出版された年が1960年代だからって返してくるが、HoMEだと1930年代の草稿に既にボールの一族が出てくるんだな、これが。 --
>1930年の草稿に ←これは知らなかった --
「そういった描写」がある時点で充分問題だろ。それに反する描写があることは、擁護するなんの理由にもならない。 --
じゃあ清廉潔白な作品だけ読んどけ --
➡︎「そういった描写」がある時点で充分問題だろ。それに反する描写があることは、擁護するなんの理由にもならない。
この人は一体何を求めて指輪物語の世界に足を踏み入れたのかな。
人種ルッキズム差別帝王サウロンを、黒人でLGBTでマイノリティ宗派で非エルフ的な外見のフリード・バギンズ氏が指輪の力で再起不能にするまで打倒し、ついでにルッキズムおよび人種差別の象徴エルフ族を討滅してオークに作り替える作品だったら満足なのだろうか…。 --
まあケチつけないで楽しく読みたいよね。 --
作者に言わせりゃ、物語を現実の写し鏡として捉えるような人間の心が汚れてるんだろうね。トールキンもオックスフォードの大学教授とアフリカ系市民が同格だとかは思ってなかっただろう。だからといって、無闇に他人種をなぶり殺しても罪に問われないとか、狩猟民をスポーツハンティングの対象にしても良いとも思ってなかっただろう。 --
一度どなたかに削除されましたが、『終わらざりし物語』の引用の注釈に載せた一文あるいはこの「ゴンドールに接するただのハラド(南)」とは南ゴンドール(ハロンドール)のことを指している可能性もある。 を再掲しました。理由は以下です。 a.直前箇所に「北方」の南限は南は古のゴンドールと近ハラドの国境 と書かれている。これは明らかにハルネン川の境界のことを指しているが、ということはハルネン川以南の近傍が「近ハラド」である。 b.ところが、ガンダルフが旅した「南方」とはゴンドールに接した(ゴンドール人が近も遠もなくただハラド「南」と呼んだ)南の国 だと書かれている。ということは、この「ハラド(南)」はゴンドールには接しているが、近ハラドとは異なる地域でなければならない。 c.この条件に当てはまりうるのはハロンドールしかない。 傍証として、同じ草稿でインカーヌスはハラドリムの言葉 … をクウェンヤに取り入れた ものだと書かれていますが、これもゴンドールとハラドが混ざった曖昧な地域としてのハロンドールを意識した記述ではないかと思います。 --
Aはその通り。 Bは翻訳の問題で、原文ではBut the southern regions in touch with Gondor (and called by men of Gondor simply Harad "South", Near or Far)で、分かりやすく言うと「近ハラドも遠ハラドも含めて、単にハラドと呼んでいた」ということです。ゴンドール人にとってみれば、本来の国境のハルネン川より南の地は全部ハラドで、より近いハラドを近ハラド、より遠いハラドを遠ハラドと呼んでいた。ゴンドールに接していたハラドということなので、近ハラドあたりは仲間にできそうだったということでしょう。逆にウンバール以南のハラドはサウロンの領土だったそうですが。 Cは傍証としてはかなり弱く感じます。赤表紙本にあったインカーヌスの名を、セイン本の註釈ではそう説明されているというだけ。ゴンドールとハラドが混ざった曖昧な地域というなら、ウンバールもそうでしょう。『追補編』によると、ウンバールは西方語を母語とする地域に含まれ、ゴンドールの支配下だった時期もありますし、同族の争い以降は王位簒奪の疑いをかけられたゴンドールの王族たち(恐らくエルフ語の知識もあるであろう)の亡命先でもありましたし。 --
訂正:ここでの文脈では、「ハラド」は近・遠含めてゴンドール以南(ハルネン川以南)から、ウンバール以南のサウロンの領土の間にある地域のことですね。ゴンドールと南のサウロン領の間の土地が八ラド(近ハラドと遠ハラドに分けられる)で、ここは対サウロンの勢力できたかもしれないから、ガンダルフが旅をしたと。ただし、アラゴルンの言った「星の光さえ違うハラドの遠い国々」は更に南の、南半球の土地のことで、故に「ハラド」はあいまいな言葉だ、という趣旨でした。 --
書いた者です。なるほど、私が翻訳文を誤読していたようですね。原文確認の大事さを痛感しました、ありがとうございます。記事の一文は再度削除いたしました。 --
証拠文献は一切ないが、どうも統一的国家はなかったように思われる。ゴンドールが従属させたのも“ハラドの王たち”だし、ヌメノールやサウロンは恐らく間接支配や分割支配で強力な統一国家がハラドには生まれないようにしていただろうし。その時最も強力な首長が多くの部族や諸侯を従えたり、背かれたりする群雄割拠の多民族国家だったのではないかと妄想。(中世ヨーロッパが中東をサラセンと一くくりにしたようにハラドの中にも多くの民族や宗派がいたはず) --
暗黒語がもろにモンゴル語の響きでクウェンヤ語がラテン系の響きなのは草
PIIGSが経済的に没落してアジアが繁栄してる現代だったら別の響きになってただろうな
テングワールはハングルの構成原理をパクって筆記体っぽくしてるような気がするが --
自分の乏しい知識を当てはめているだけ
束教授はあなたよりよっぽど博識なのですよ --
PIIGSはトールキン教授の時代から没落してるだろ。ポルトガル、イタリア、アイルランド、ギリシャ、スペインだぞ。
そして前の人の意見に賛成。 --
自分の印象だけで物を語るんじゃないよ --
まぁまぁみんな。こういう思春期の年代には、学生特有の謎の万能感で無闇に人を見下したりわかってるつもりの自分に酔った言動をしたりはつきものだよ。
年長者として暖かく見守ろう。 --
古英語の専門家がアジアの諸言語にも精通していたとは思えない。ましてやハングル文字など
そもそもクウェンヤはラテン語じゃなくてフィンランド語が元だし。 --
暗黒語がもろにモンゴル語の響きってのも怪しくなってきたな --
敢えて言うとすれば、日本語ってクズドゥルっぽくない? --
どうだろうね。教授日本語さっぱりわかりませーん言うてたからな。 --
教授の意図は抜きに考えて、一番近いのはクズドゥルかなって --
暗黒語は紀元前のメソポタミアの一言語が元。クウェンヤは複数の発想元があるが、一番大きい影響はフィンランド語。表記など一部にはラテン語の影響もあるが、あくまでごく一部。 --
こういう人はマゾの一種なのだろうか。こういう反応しか返ってこない事はわかりきっているだろうに…。 --
ファラミアが「話によれば、その昔にはゴンドールと南のさいはての国、ハラドの王国との間には通商関係があったということだ。といっても友好関係は一度もなかったが」と言ってたけど。
そもそも何を貿易商品にしていたんだろ、特にゴンドールは。
ゴンドールの経済や産業体制が全然描写されないから分からんけど、特に南方民が欲しがりそうなものが思いつかないんだよね。
ハラドからは、じゅうの象牙とか需要ありそうなんだけど。
カレナルゾン喪失前なら馬とかかな?
史実でキリスト教勢力とムスリム勢力が最も熾烈に激突してた十字軍前後にも、両者間の貿易は断絶しなかったし、ゴンドールとハラドの通商関係が消えたのはただ単にゴンドールから提供できる魅力ある商品が無くなったからとかだったりして笑 --
そりゃ金っていう貴金属自体が輸出品同然だろ
技術力自体はゴンドールの方が上そうな雰囲気だし
輸出するものが無かったなんて事はないと思うんだ
それこそゴンドール=一部モデルとなった東ローマみたいな? --
なぜかよく、ビザンツ(東ローマ)=ゴンドールと結びつけるの好きな人いますが、ビザンツとゴンドールの国体や生存戦略は似ても似つきませんよ。
手元にある幾つかのビザンツ専門書を念のために確認してもいいけど、ビザンツはよくコンスタンティノープルのおかげで貿易国家みたいなイメージあるんだが実際には毛色が異なるんですよ。
貴族以外に民営の有力な貿易大商人もほとんどいませんしね。
確かにいわゆる皇帝絹織物のように、ビザンツの美術工芸技術力は卓越していますが、それはビザンツ皇帝が持つ絶対的権力と、圧倒的な富や美術品を下賜することで戦争を回避したり、反抗的な従属勢力を圧倒させるいわゆる「ビザンツ的な」外交戦略があってこそ維持・成立したものです。
ゴンドールにはその2つ、特に後者が欠けていると思われます。
ヌメノール由来の築城技術力なども廃れていますしね。
築城技術力のような生命線に近い技術すら廃れる国家で、絶対的な権力や富力を保有する者もおらず、ましてや工芸品や美術品を一見屈辱な外交戦略に用いた形跡もないなかで仰るような貿易品が保たれたと俺には思えないですかね…。
ビザンツの上記のような生存外交戦略が評価されたのも割と近年ですし。
そしてもしあなたがビザンツとゴンドールを結びつけるのなら、それこそゴンドールが貴金属を輸出したのはおかしくないですか?
ゴンドールがビザンツならその南方に位置するハラドはアフリカ大陸ですし、歴史上常に欧州とアフリカとの貿易で貴金属は南から北に輸出されています。
また、現実世界を抜きにしても「貴金属収奪に走ったヌメノーリアンが築いた最大拠点」がウンバールであることからも、中つ国の貴金属産出地としてハラドおよびその周辺が有望な産出国だと推測されます。
ゴンドール最大の港湾都市ペラルギアは節士派の拠点ですしね。
もしゴンドールが貴金属の産地なら、その集積に適したペラルギアを王党派が掌握しないわけがないと思いますし。
以上のように、①ゴンドールの外交戦略と国家構成②ハラドとゴンドールの地政面からの産業推測③ヌメノール人の植民地方針などから私は
全盛期はいざしらず、衰えたゴンドールにはハラドにとって(少なくとも関係悪化や政情不安のリスクを忘れさせるほどには)魅力ある貿易商品がなかった。のだと推測します。
長文すみません。ただ、もちろん反論ではあっても否定ではないのであしからず。 --
塩は交易品に成りえると思います。 --
戦車競争とか剣闘士競技みたいなカトリック的な倫理観の浸透で廃れたような文化を保有してそうなイメージがある。それである意味ゴンドールよりもギリシャ・ローマ的な面が色濃かったりして。 --
ギリシャ文化が本国で廃れ、ヘレニズム諸国やその文化的後継者(略奪者)たるローマでこそ尊ばれた…みたいのはありそう。
ヌメノールで楽しまれた野蛮気味な遊戯が、お堅いゴンドールでは忌まれ禁じられ、王党派の残党や黒きヌメノール人が支配したハラドでは色濃く残ったって構図かな。
第三紀末期にはいずれにしろ姿を消してそうだが。 --
Last-modified: 2021-02-17 (水) 21:58:21