オスギリアス
昔のオスギリアスを映像で見たい! -- イシルドゥア
第四紀になってこの都は再建されたんだろうか? -- ホビット
再建は第四紀になってからのことという記述があるそうです。 --
映画でフロド達が、地下水路を渡ってアンドゥイン東岸に出たとするなら、水路はアンドゥインの川底よりも深かったって事? --
水面より下であるのは確実だが、河底より下とは限らない --
この時代には失われたヌーメノールの技術からすれば可能かと。 -- ももたる
なんで大事な首都をモルドールとの国境付近なんかに置いたんだろう?ふつう国土の中央では? --
オスギリアス築いた頃は、サウロンはヌーメノールの沈没とともに滅びたと思われていただろうし、サウロン亡き後のモルドールなら後は烏合の衆ばかりと思ったんじゃない? --
アンドゥインの川沿いということで発展もしやすかったでしょうし --
更に東岸にはミナス・イシル、西岸にはミナス・アノール、北方にはカイア・アンドロスと堅固な要塞に周囲を囲まれていましたしね。 --
ついでにアンドゥイン下流にはペラルギアがある。カスタミア以前ならば都の守備はほぼ完璧と言える状態だった。 --
当に四方を堅固な要塞に囲まれた上に交通の要衝の上に位置する都市なんですよね。 --
首都が国土の中央にあるケースのほうがむしろ例外的ではないでしょうか。モスクワしかり、ロンドンしかり、ベルリンしかり、ワシントンDCしかり、等々・・・。首都の位置は歴史的経緯、利便性、その他さまざまな要因で決まるものですからね。オスギリアスについては、イシルドゥア・アナリオンが大河をさかのぼって国を建てたことに大きく依るのではないかと思います。 --
アンドゥインを下れば巨大港湾都市ペラルギアとも繋がっていますから交通の要衝と言えます。更に建国当初の国土で見ると意外と中央に近い位置です。 --
なるほどー!私の無理解でした。みなさんありがとうございます。 --
ミナス・イシルとかミナス・ティリスと違ってなんか無防備な都市っていうイメージがある --
在りし日の市街地です http://www.lindefirion.net/maps/OsgiliathNumbers.jpg --
決して無防備ではない巨大な城塞都市ですね。これに東西南北の要塞がある訳だから非常に堅固な都だったのでしょう --
やっぱり川辺って怖いな…アンデュインは氾濫とかしないんだろうか? --
これはMERP(指輪物語ロールプレイング)サプリメントの地図ですかね? --
ゴンドール自体がそもそもモルドールの見張り役として建てられたんじゃなかったっけ? ヨーロッパの大河は日本の川と違ってそうホイホイ氾濫したりしないイメージですが --
ミナス・モルグルじゃなくて? --
ゴンドールが建国された時には、サウロンはヌーメノールと共に滅んだと思われていました。オスギリアスの東(モルドール側)を守るために作られたのがミナス・イシル(後のミナス・モルグル)です --
ふと気付いたんだが、二つの塔SEEにあるボロミアのここでのシーンって、どういう状況?「ゴンドールのために奪回したぞー!」て言ってましたけど・・彼が裂け谷に旅立つ直前ですから、むしろオスギリアス東岸をモルドールに奪われたんですよね?それで、かろうじて橋を落として大河の西岸までが敵の手に落ちるのは防いだという。おかしくないですか。 --
映画設定では、オスギリアスを奪われたのがファラミアで、それを取り戻したのがファラミアでなくボロミアっぽいですね。 --
セリフによるとそんな感じっぽいですね。本当は後にファラミアが単身奪回したのですがね・・。 --
エレスサール王の治世において再建されたのなら、再度ここに遷都はされなかったのだろうか?てかそもそも、再統一王国の首都って正式にはどこ? --
南のミナス・ティリスと北のアンヌ・ミナス --
王が常に居るのはミナス・ティリスであり、戴冠も結婚も崩御もそこであったのを考えると、首府は引き続きミナス・ティリスで、オスギリアスへの再遷都は無かったと見るのが妥当かと。再建はおそらくされたでしょうが、盛時の規模には戻らなかったでしょう。 --
LotROのオスギリアスって王都にしちゃ狭くね? --
「部隊は全滅してファラミアは重傷を負った。」全滅でしたっけ --
河が中央を流れてるからベニスみたいな人工島を想像したが、そういうわけじゃなさそうだな。創建時はどんな姿だったのだろう --
ディズニーのオープニングのシンデレラ城みたいなイメージ --
むしろトールキンワールドは銭ゲバネズミとは対極の存在だろう --
都市の中に大河が流れるって言うとロンドンやパリを思い出すが、中州があるところみるとパリか。建物の様式なんかは違うだろうけど。 --
でも教授はフランス嫌いとまでは行かなくても余り良いイメージを持ってなかったとか --
川ではありませんが私はむしろ海峡を挟んだコンスタンティノープルを思い出しました。背景にある歴史もフランスやイングランドより東ローマと共通点があると考えてます --
第一紀のトル・シリオンの塔やカイア・アンドロスの拠点みたいに、中洲の島に王宮のある城塞区画が配置されていたと予想している。 防衛面で優れ、エルダールの建築様式にも適い、また、イシリアンでもアノリアンでもない場所に玉座を構えるのは王国が兄弟王の共同統治であることのアピールにもなる。 --
オスギリアスの”都の中央の橋の上の見るもすばらしい塔と石造りの家々” ミナス・ティリスの”城砦の高く美しい白い塔と王宮” ミナス・イシルの”大きな白い城壁に囲まれた銀白色の高い塔と石の丘のようなかれらのやしき” これらはすべて城塞・天守・王宮を表している気がする。信じがたいことだけど、本当に橋の上に宮殿があったようだ。 --
ヌメノール人の建築技術ってか造形センスやばいな。正味住みたくない(笑) --
川沿いの岸辺か川の中洲に、周囲を見渡せる丘のような自然のままの硬い岩盤質の高台があればそこに城塞を建設したかったのだろうが、適した立地がなかったんだろうね。ティリオン、ゴンドリン、アルメネロス、イシル、アノールは要塞がon the hillなのにオスギリアスだけon the bridgeで、丘についての言及がない。守りに適した天然の高台がないなら、人工的に高台を作ってしまえの精神で大河に大橋を架けたっぽいね。 --
第四紀において復興され、往時の繁栄は無事戻ったのでしょうか? --
一程度復興はされたのでしょうが、再遷都されなかったことを鑑みると、かつての繁栄は取り戻せなかったのかもしれませんね… --
そもそも再度オスギリアスに遷都する必要性も認められなかったのでは --
史実のロンドン橋の橋上は集合住宅や商店、礼拝所等の庶民の生活スペースだか、こっちの大橋の上は支配者層の領域の可能性が高い。 --
映画版二つの塔でフロド がファラミアに捕らえられてオスギリアスに連れてこられるシーンだけど街の東って結構陥落してるのにいつのまにか街の西側にいるからいつもどうやって街に入って橋渡ったんだろうって思うんだけど自分の認識がどこか間違ってるのかな? --
野伏なわけだし、秘密の通路の一つや二つくらいは知ってるんじゃないかな。 --
ここって地政学的に発展したというか、ヌメノール人(ゴンドール人)が南方や東方に自分達の国力や科学力を見せ付けるために作った、作為的な都市って感じがする --
作為的な都市という意見には同意しますがそれだけではない気がします。滅亡した故国の技術を偲び継承する為にも必要でしたし、ゴンドールの防衛を考えた時にオスギリアス周辺地域は白の山脈以北、アンドゥイン以東、影の山脈の裂け目から進軍した敵対勢力がほぼ必ず通過する地点にあたり、防衛上必ず拠点を設け兵力を集中させるべき場所にあたりますから。それと当時の南方に関してはヌーメノールの植民地で技術力はほぼ同等なので敢えて見せつける必要はない気も --
衰退した理由が非常に分かりやすい町だよな。正直住んでた連中もミナス=ティリスに遷都されてほっとしたのではあるまいか。
川のすぐ上ってことは霧や湿気や虫とかやばそうだしな…。なぜ橋の上に建てたし。普通に河岸沿いを発展させるんじゃだめだったのか、ヌメノーリアンまたはゴンドーリアンよ。 --
地理的関係はぜんぜん違うが、川が貫通する平野の大都市から不落の要塞都市へ、ローマとコンスタンティノポリスを象徴してるように思える --
「河を挟んだ大橋の上に築いた都市」なんて前例がないからなぁ。なんともいえないですね。
ただ、どっちかってとその条件に合うのってローマやコンスタンティノープルより断然ロンドンなんですよね。
ローマはティベレ川の東に築かれてますし、コンスタンティノープルはどっちかってと金角湾で隔てられてますから。
橋が象徴となり、テムズの両側に都市と文化が築かれたロンドンのイメージからさらに古代要素を付与して飛躍させたのがオスギリアスなのかもしれません。
※元ロンドン在住者 --
テムズ川の南岸に市街地が広がったのは大分後の時代だったと思うけど.... --
古のロンドン橋はまさに橋上に家々が建てられていたので、私もおっしゃるようにロンドンの方が発想元としてはもっともらしいと思います --
パリはどうだろう?パリも川の中洲に築かれた砦が徐々に両岸に広がっていった所は同じで景観も近い。 --
→ テムズ川の南岸に市街地が広がったのは大分後の時代だったと思うけど....
ロンドンアイが竣工した世紀末にまさにロンドン郊外に住んでましたが、元々再開発するまでは倉庫が並んでと言われてますね。いわゆるサウスバンクってエリア。
ただいわゆる産業革命からヴィクトリア時代にはすでに貧民街や労働者街としては形成されていたようです。 --
地図見てるとゴンドール最盛期のオスギリアスとミナス・アノールは本当にいい位置にあると思う。恐らくゴンドール建国当初は各方面への極めて有力な防衛拠点として建築された筈だけど平和な時でもエリアドール、南方、東方(ロヴァニオン含む)の相互交易のハブの一つとして相当栄えて情報も集まったんじゃなかろうか --
最盛期はどれくらいの人口があったのでしょうか。 --
何処を基準にするかによる。中世の西欧基準なら2,3万でも多い方だけど、ローマ時代やオリエントを基準にするならば数十万いた可能性もある。流石に全盛期のローマ(100万人)程は無さそうだけど --
映画の描写を見るに、十万人以上は住めそうな広さしてたからな。夏になると水害や獣害に悩まされたりしてたんだろうか。 --
全盛期のゴンドール全土が2~3000万人(ローマ帝国の半分)だとして、その内の1%程度なら20万人ぐらいはいた事になる。コンスタンティノープルとかアレクサンドリアみたいな紀元前後の東地中海の最大級の都市がそれぐらい。 --
形的にはマジでコンスタンティノープル。
できることなら行ってみたいなー --
Last-modified: 2022-07-24 (日) 22:31:35