あやめ野
- 「殺め」野という掛詞だと思っていたが・・・ --
- サクラ大戦ですね --
- ほんとこの訳し方(+ひらがな表記)は良いセンスだと思う。菖蒲野であり殺め野であるという不吉さがよく出ている --
- アヤメ科グラジオラスの語源は、その葉の形から、ローマ軍団兵の剣「グラディウス」。英語で読んでも、ふと不吉な印象を受けるかもしれない。 --
- 地図を見ていてふと気になったのだが、あやめ野からはローリエンやモリアよりもスランドゥイルの方が近い(それでも4日はかかる)という話ですが、この時スランドゥイルの軍はどこらへんにいたんだろう?第三紀初めには緑森大森林に入ればすぐにエルフ達と接触できる状態だったのだろうか --
- イシルドゥアの「四日の行程の彼方」との言葉ですね。ミナス・ティリスからあやめ野までで二十日ですから、そこから四日=五分の一の距離というと、直線で古森街道の入口に当たるような気がします。「四日の行程」が街道に到達するまでで、「~の彼方」が街道から闇の森山脈(オロフェアの住居が第二紀末そこにあったとのことですから)まで、という計算だったのかもしれません。(モリアやローリエンまでは、おそらく整備された街道の有無や位置の点でより遠い、という事だったのかもしれません) --
- スランドゥイルがエミン・ドゥイアにいたならどう考えてもローリエンやモリアより遠いので、イシルドゥアが想定したのが何処だったのか不思議に思ったのでした。スランドゥイルが話を聞いて出した森エルフの救援部隊もエステルモが生き残った経緯から考えると距離にしてはかなり早くに到着してるし、国境からの伝令には鳥を使っていて森の外縁を警備していたエルフを救援に出したんでしょうか。 --
- 改めて読み返してみたところ、イシルドゥアらがいたのはアンドゥインの東岸で、モリアやローリエンへ至るには大河を渡る必要があります。そして、渡河できる地点は北の本道にかかっている橋のみで、それより南では川幅・流れの点で橋すらかけられない上、当時は雨で増水していた、とあります。おそらく、兵団がモリアやローリエンへ至るには渡河可能な地点を求めて、北か南に迂回する必要があったのだと思われ、そういう意味でスランドゥイルより「遠い」ということだったのではないかと思います。救援についてはよくわかりませんが、あるいはエステルモを発見したのは森エルフの救援部隊ではなく、先に現場に到着した森人だったのかもしれません(直ちにスランドゥイルに使者を送った彼らは、戦場に比較的近い場所にいたことが伺えますので)。 --
- この地域にいたホビットはどうなったんだろう。オークに襲われて全滅したのだろうか。 --
- 「王の帰還」の最初の部分はここだったのか。 --
- あやめと言っても、日本在来の紫色の花ではなく外来のキショウブだから風情もへったくれもないですね花🌼 --
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