風見 が丘 †
概要†
カテゴリー | 地名 |
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スペル | Weathertop |
その他の呼び名 | アモン・スゥル、アモン・スール(Amon Sûl) |
解説†
シンダリンでの呼び名は「風の丘」を意味するアモン・スゥル。
エリアドールの風見丘陵の最南端にやや離れて立っている、丸いはげ山。ブリー郷の近く、東街道のすぐ北にあり、遮るものがないため周辺一帯を見渡すことができる要所だった。
「しかしそのうち、北方王国の初期に、風見が丘に大きな物見の塔が建てられ、この丘はアモン・スゥルと呼ばれた。それは焼き払われ、こぼたれた。今では古い丘の頭部にでこぼこの王冠のようにのっている、崩れた土台の輪のほかには何一つ名残はない。しかしかつてはそれは高く美しく聳えていた。話によれば昔、エレンディルはそこに立ち、西方からギル=ガラドが来るのを待って見張っていたということだ。最後の同盟時代のことだ。」*1
アモン・スゥルの塔†
アルノールの時代にはここに巨大な物見の塔が建てられ、パランティールの一つが置かれていた。『終わらざりし物語』によるとここに置かれていたのは北方のパランティールの要となる大きな石であった。
だがそのために、第三紀861年にアルノールがアルセダイン、カルドラン、リュダウルの三国に分裂すると、この地のパランティールの帰属を巡って国境紛争が起きるようになる。
アルセダインのアルゲレブ一世は風見丘陵を防衛したが、リュダウルとアングマールに攻撃されて1356年の戦いで討ち死にした。
アルゲレブの息子アルヴェレグ一世はカルドランとリンドンの援助を得て、風見丘陵から敵を駆逐した。だが1409年に再来したアングマールの攻撃でアルヴェレグは討ち死にし、風見が丘は包囲され、塔は焼かれて破壊された。塔のパランティールは戦火を逃れてフォルンオストに移されたが、1975年に最後の王アルヴェドゥイと共にフォロヒェル湾に没した。
『指輪物語』作中での出来事†
頂上には、馳夫がいったように、今は崩れて、ぼうぼうと伸びた草におおわれた、大きな環状の古い石組みが見いだされました。その中央には砕石のケルン(積石)が一山、組まれていました。それらはすべて火で焼かれたように黒くなっていて、周囲の芝草は根元まで焼かれ、石の環の中の草は、まるで焰が丘の頂をなめつくしたように一面に焦げただれていました。*2
ブリー郷の東に広がる荒野一帯を見渡すことができる要所であるため、ガンダルフとナズグール、またアラゴルン二世に率いられたフロド達が相次いでここに立ち寄った。その利点から野伏をはじめとした旅人がよく利用する場所でもあり、フロド達が野営した西の山腹にある窪地には薪などが蓄えられていた。
ブリー村で指輪を取り逃がしたナズグールは東街道と風見が丘を見張り、指輪がやってくるのを待ち伏せる。
彼らの後を追うガンダルフは東街道を通って3018年10月3日に風見が丘に立ち寄ったが、そこで日暮れと共にナズグールに包囲される。夜中に両者は丘の頂上で交戦し、夜が明けると共にガンダルフは包囲を突破してさらに東に逃れた(同じ夜、近くまで来ていたアラゴルンとフロドは丘の方面の空を稲妻のような光が走るのを見ており、実際に頂上に来て一帯が焼け焦げているのを発見した。これはガンダルフがナズグールと戦うために呼び出した火によるものであった)。
アラゴルンはナズグールが丘と街道を見張っている危険を承知していたため、街道を外れてぶよ水の沢地を突っ切り、風見丘陵の麓を走る道を使って北側から目立たないように丘を登るルートを取った。10月6日、サムとピピンは丘の西斜面にある窪地で野営の準備をしていて、既に何者かの野営の跡があるのを見つける。一方、アラゴルンとフロドとメリーは丘の頂上に赴いて、ガンダルフが残していった印を発見した。
だがそのために、丘を見張っていたナズグールに察知されてしまい、その夜一行は窪地で5人のナズグールに襲撃され、フロドがモルグルの刃で刺された。
映画『ロード・オブ・ザ・リング』における設定†
#amazon(B000BWBWOA)原作とは異なり、アラゴルンが偵察に出ている間、サムとメリーとピピンが迂闊にも火を焚いて食事をしたためにナズグールに発見され、襲撃される流れになっている。
襲撃される場所も丘の下ではなく、頂上となっている。
画像†
映画『ホビット』における設定†
アゾグの部下のオークであるヤズネグが、ソーリンたちを取り逃がしたことをアゾグに報告する場面がここで描かれている。
ゲーム『ロード・オブ・ザ・リングス オンライン』における設定†
コメント†
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