ホビット庄暦しょうごよみ

概要

カテゴリー
スペルShire Reckoning, Shire-reckoning (S.R.)
異訳ホビット庄の紀年、ホビット紀元、ホビット庄暦法、庄暦
その他の呼び名ホビット庄暦(Shire Calendar)

解説

ホビット庄及びブリー郷ホビットたちが用いた太陽暦*1。『指輪物語』での年月日は、原本である西境の赤表紙本と同じく、このホビット庄暦に基づく。

放浪の民であった頃のホビットには、の満ち欠けに基づく月はあったが週は無く、日付や時間の計算は不正確だった。エリアドール西部に定住した頃、彼らはドゥーネダインが使用していた王の暦法を採用し、後にホビット庄ではこれに若干の変更を加えた暦を使用するようになった。これがホビット庄暦(ホビット庄暦法)である。
この暦はホビット庄だけでなくブリー郷のホビットも使用するようになった。ホビット庄ではマルコブランコの兄弟がブランディワイン川を渡った、ホビット庄植民の年(第三紀1601年)を紀元とするが、ブリー郷ではそれより301年前の第三紀1300年を紀元とした。

平年は365日で、183日目の「中日(Mid-year's Day)」をなるべく夏至に合わせる*2。一年の最初の日と最後の日をユールの日(Yuledays)、中日とその前後の日を合わせた3日をライズの日(Lithedays)と呼ぶ。これらユールとライズの日は月に入らない祝祭日で、残りの360日は12の月に分ける。月は全て30日。
年末と年始はそれぞれ3日間の計6日間に渡って、ユール祭り(Yuletide)を祝う。夏至である中日には白が丘連丘自由市が開かれる。
4年ごとの閏年には中日の後に1日が加わり、ライズの日が4日間となる。この閏日、3日目のライズの日(閏年の184日目)は、ライズ重日(Overlithe)と呼ばれ、特に盛大に祝われる。ただし世紀の最後の年(ブリー郷では世紀の最初の年)はライズ重日がない(暦の比較表)。

西方語での月名は王の暦法のクウェンヤ名が広く用いられたが、ホビットたちは古くから続く自分たちの月名を守り続けた。これはかつてアンドゥインの谷間に住んでいた人間たちが考案した月名を、エリアドールに移住する前のホビットたちが受け継いだものと思われている*3。ただし名前の意味は忘れ去られ、語形は崩れていった。mathはmonthが縮小した形で、ホビット庄とブリー郷では一部の名称が異なる。フラリ、チジング、冬至月の名称は東四が一の庄でも用いられた。

日数ホビット庄での月名ブリー郷での月名
1のユール(2 Yule)
1月30ユール後月(Afteryule)フラリ(Frery)
2月30ソマス(Solmath)*4
3月30レセ(Rethe)
4月30アストロン(Astron)チジング(Chithing)
5月30スリミッジ(Thrimidge)*5
6月30ライズ前月(Forelithe)ライズ(Lithe)
1いちのライズ(1 Lithe)夏日(The Summerdays)
1中日(Mid-year's Day)
1ライズ重日(Overlithe) ※閏日
1のライズ(2 Lithe)
7月30ライズ後月(Afterlithe)ミード(Mede)
8月30ウェドマス(Wedmath)
9月30ハリマス(Halimath)収穫月(Harvestmath)
10月30ウィンターフィルス(冬充つ月)(Winterfilth)*6冬入り(Wintring)
11月30ブロドマス(Blotmath)*7ブルーティング(Blooting)
12月30ユール前月(Foreyule)冬至月(Yulemath)
1いちのユール(1 Yule)

月名と同じく、ホビットたちは曜日名も古くから使い続けている名前に固執した。これは第三紀1000年頃かそれ以上前に、ドゥーネダインの曜日名を採用した北方の人間たちが翻訳したものである。そしてこの翻訳名も時代を経るにつれて意味が忘れられ、形は崩れていった。下記の古い名称は黄皮表紙本に記載されていたもの。
一週間の最後の金曜日が主日(the chief day)で、正午から休日となり、夕べの宴を行う。

曜日名の意味古い名称指輪戦争時の名称『指輪物語』での表記
1星の日(Star day)SterrendeiSterday土曜日(Saturday)
2太陽の日(Sun day)SunnendeiSunday日曜日(Sunday)
3月の日(Moon day)MonendeiMonday月曜日(Monday)
4木の日(Tree day)TrewesdeiTrewsday火曜日(Tuesday)
5天の日(Heaven day)HevenesdeiHevensday
Hensday
水曜日(Wednesday)
6海の日(Sea day)MeresdeiMersday木曜日(Thursday)
7高き日(High day)Hihdei*8Highday金曜日(Friday)

アイゼングリム・トゥック二世の時代に、中日と閏年のライズ重日は週に属さず、曜日を付けないことになった。これによりその他の全ての日と曜日が固定され、一年は第1週の最初の土曜日(二のユール)に始まり、第52週の最後の金曜日(一のユール)に終わるようになった。ホビット庄民はこれをホビット庄の改善(Shire-reform)と呼び、この「改善」はブリー郷でも取り入れられた。これは日と曜日の関係が毎年変わるのを不便に思った庄民が導入したものだが、日と曜日が固定されたことで、庄民は日付に曜日を記入しなくなり、ブリー郷より遠いところへ旅をすると面倒なことになった。
この方式だと、金曜日はどの月でも一日になることがない。そのためホビット庄では存在しない日、ありえない(あってはならない)出来事が起こりそうな日のことを指す、一日の金曜日(on Friday the first)という冗談めいた表現が存在した*9

第四紀以降のホビット庄でサウロンの没落の3月25日と指輪所持者フロド・バギンズの誕生日9月22日を祝ったという記録はない。だが西四が一の庄、特にホビット村お山の周辺では、4月6日は天気がよければ休日とし、誕生祝いの原でダンスをする習慣*10が根付いた。またバック郷ではホビット庄の掃蕩の1419年11月2日にメリアドク・ブランディバックマークの角笛を鳴らしたのを記念して、毎年11月2日の日没にこの角笛を鳴らし、祝宴を行うようになった。

新暦法との差異

西境の赤表紙本での日付けはホビット庄暦に従っているので、その写本の「翻訳」である『指輪物語』中の年月日もホビット庄暦に基づいている。そして庄暦には以下の特徴があった。

すなわち『指輪物語』中の紀年に関しては以下のようになる。

王国の新暦法とホビット庄暦とでは、年の始まりも、第四紀の始まりも異なるので、第四紀の紀年に関してはズレが生じた。例えば、サムワイズが灰色港へ向かうために袋小路屋敷を発った庄暦1482年9月22日は「ホビット庄での第四紀61年9月22日」であり、王国の新暦法では第四紀62年の出来事となる。
こうしたズレを示す例は『指輪物語』の序章にある。赤表紙本の写本であるセイン本を筆写したフィンデギルはホビット庄暦1592年に写本を完成させ、その註に「王の祐筆、フィンデギルが第四紀一七二年にこの筆写を完了した。」と記した。ここでの第四紀172年は新暦法での紀年であり、『指輪物語』中のホビット庄暦に基づく紀年では第四紀171年(庄暦1592年)の出来事である。

コメント

最新の6件を表示しています。 コメントページを参照

  • 日、月、年の関係が地球と全く同じことからアルダ=地球とわかります。最初は違和感を覚えたのですが、実際教授はホビットや指輪の舞台は有史以前の地球と想定されているそうですね。エルフやドワーフやホビットと人間が共存していた超古代文明が有史以前にこの地球に存在していたと考えるとロマンがあります。 -- 2014-07-18 (金) 17:24:07
    • まさに「トールキン神話」と言われる所以です。 -- 2015-12-08 (火) 14:37:03
    • 色々と奥が深いですね。 -- 2021-10-29 (金) 13:02:21
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