軍団 †
概要†
カテゴリー | 役職・組織・団体 |
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スペル | éored |
異訳 | エオレド |
解説†
ローハンの言葉で「騎馬軍団」の意。
力強く澄んだ雄叫びが広野をこだまして渡ってきました。だしぬけに雷のような蹄の音が押し寄せて来たかと思うと、まっ先に立った騎士がつと方向を転じ、この丘の麓を通り過ぎて、連丘の西の裾野沿いにその軍勢を率いて行きました。軍勢はかれの後に従って馬を進めました。甲冑に身を固めた騎士たちの長い列は速やかで輝かしく、また眺めるだにすさまじくも美しいものでありました。*1
ここでは『終わらざりし物語』に詳述されている、ローハンの軍制についても述べる。
ローハンの軍制†
ローハン(マーク)の軍には、最高司令官たる王の下で、第一軍団長、第二軍団長、第三軍団長という三人の司令官が置かれ、それぞれ第一~第三軍団を指揮した。
第一軍団長はエドラス周辺および王の領地を受持地区とし、それに加えて有事にあたって召集されるエドラス周辺の住民からなる召集軍団の指揮権も持っていた。この地位は常設のものだが、ローハン王自身が活発に第一軍団を指揮するような状況の場合には、わざわざ任命されないこともあった(作中ではセーオデンの治世がそれにあたる)。
対して第二軍団長および第三軍団長は必要に応じて指揮権を割り当てられるもので、サルマンの脅威が顕在化した第三紀末には、第二軍団長は西マーク一帯を、第三軍団長は東マーク一帯を受持地区としていた。ここでの西マーク・東マークとは軍団の管轄区域の呼称で、雪白川及び雪白川と合流するまでのエント川を両者の境界とした。
エーオレドはこれらの軍団を構成する騎馬兵の単位である。
ロヒルリム(エオルの家の子)の歴史では訓練済みでいつでも実戦投入が可能な騎兵集団があればそれをエーオレドと呼んできたが、特に第三紀末のローハンでは「正規エーオレド」は最低120人からなり、王の共廻りを除く全マーク召集騎馬軍の100分の1の数と規定されていた。この全軍召集された騎兵隊のことをエーオヘレ(éoherë)と呼ぶ。
特に各軍団長は有事に際し、独自裁量で運用することのできる直属のいわば私兵集団として、一つのエーオレドを保有することが許されており、このエーオレドは「家の子郎党」として軍団長の私邸に武装して寝泊りをした(『指輪物語』本編中では、アラゴルンらと初めて出会った際にエーオメルが率いていたのが彼のエーオレドである)。
王自身にも、彼に属する騎馬隊があった。
指輪戦争開始直前、第二軍団長にはセーオドレドが、第三軍団長にはエーオメルが任命されていた。かつてセーオデン王が旺盛に軍団を指揮していたことの名残りで、第一軍団長は長らく空席であったが、事実上はエルフヘルムがその役を果たしていた。セーオドレドの没後はエルケンブランドが第二軍団の指揮権を引き継いだ。
なおミナス・ティリスへの行軍に際しては軍団とその指揮系統は再編成された。
指輪戦争後、王となったエーオメルの時代以降は、第二軍団、第三軍団に代わって西マーク軍団長、東マーク軍団長との呼称がとられるようになった。最初の西マーク軍団長はエルケンブランドであり、東マーク軍団長はエルフヘルムであった。
指輪戦争に前後し役職にあった人物†
- 第一軍団長 (First Marshal)
- 空席(エルフヘルムが事実上その役を果たした)
- 第二軍団長 (Second Marshall)
- セーオドレド→エルケンブランド
- 第三軍団長 (Third Marshal)
- エーオメル
エーオメルが王となって後は、以下のように再編成された。
コメント†
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