ウンバール

概要

カテゴリー地名
スペルUmbar

解説

ゴンドールの南方、ベルファラス湾の南東端にある半島に囲まれた、良質の軍港。
地域的にはハラドにあたるが、ヌーメノールの殖民都市であったことからゴンドールが正当な主権を持つとされた。だがゴンドールが衰えてからは、ハラドリム海賊が支配していた。

「ウンバール」*1の名は先ヌーメノール語で、意味は不明。

黒いヌーメノール

第二紀中つ国へ航海してきたヌーメノール人は、沿岸部にいくつもの殖民地を築き、現地人を支配するようになる。その代表的なものがウンバールであり、2280年頃にはヌーメノールの大要塞と化していた。
3261年に黄金王アル=ファラゾーン率いる艦隊が上陸してサウロンを降伏せしめたのもこの地からであり、記念碑が作られた。

そしてかれらはウンバールの港を見下ろす岬の一番高いところに、大きな白い柱を記念碑としてうち立てたのである。その頂きには水晶の珠がのせられており、それは陽光と月光を浴びてきららかな星のように輝いたので、晴れた日にはゴンドールの沿岸にいても、あるいは遠い西の海からもこれを望むことができた。こうしてこの水晶球はサウロンの今や近づかんとしている二度目の隆盛のあと、ウンバールがかれの召使いの支配に屈し、かれの屈服の記念碑が打ち壊されるまで、ここにあった。*2

この地は王党派の拠点であったことから、やがてサウロンの影響を受けて悪に染まり、ヌーメノールの没落後は忠実なる者が築いたゴンドールに敵対する大きな勢力の一つとなった。(黒きヌーメノール人

ゴンドールの軍港

第三紀のはじめ、ウンバールはゴンドール船艦王?たちによって奪取され、その最盛期を通じて同国がハラドを支配する重要な足がかりとなった。

933年、エアルニル一世の包囲攻撃によって、この軍港はゴンドールの手に落ちる。
ウンバールを追われた諸侯はハラドリムを率いて反撃し、1015年にはキアヤンディルが戦死したが、ゴンドールの強大な海軍力のためにウンバールが陥とされることはなかった。
1050年、キアヤヘア(ヒャルメンダキル一世)は陸海両面から南下してハラドリムに大勝し、ハラドの王たちを完全に服属せしめた。

海軍力の強大さと、要衝となるウンバールの確保によって、ゴンドールは南方を完全に支配下に置き、東方の領土と合わせて最大版図を誇った。

叛徒の拠点

同族の争い?で王位を簒奪したカスタミアは海軍の総指揮官であったため、ペラルギアとウンバールからなる二大港に強い勢力基盤を持っていた。
1447年のエルイの渡しの合戦によってカスタミアは討たれたが、その息子たちは1448年にウンバールに逃れ、同地にゴンドールに反抗する支配権を打ち立てた。カスタミアの子孫に率いられたウンバールの海賊は、繰り返しゴンドールの沿岸地方を襲い、1634年にはカスタミアの曾孫アンガマイテサンガヒャンドが、ミナルディルを殺した。

ゴンドールは海軍力とウンバールという海上優位を同時に失い、ハラドへの支配力を喪失する。ハラドは再びゴンドールに敵対するようになり、両国の境界となるハロンドールは以後係争の地となった。

カスタミアの子孫による支配は、1810年にテルメフタール・ウンバールダキルがウンバールを奪回するまで続いた。これによってカスタミアの子孫は滅ぼされ、ウンバールは一時的にゴンドールの統治下に戻った。

ハラドの海賊

しかし結局、ウンバールはハラドリムによって再び占拠される。
馬車族の攻撃にさらされていたゴンドールはウンバールの防衛までは手が回らず、1856年頃にウンバールはハラドに奪われ、やがてはサウロンの支配下に入った。
そのためウンバールの海賊は依然としてゴンドール沿岸の脅威であり続けた。

ソロンギルによる攻撃

ゴンドール執政エクセリオン二世に仕えていたソロンギル(アラゴルン二世)は、ウンバールの海賊がゴンドールにとっての災厄となることを恐れていた。そこでソロンギルはエクセリオンの許しを得て、小艦隊を率いてウンバールを奇襲した。この攻撃によりウンバールの海賊の船の大半に火が放たれ、ソロンギル自ら波止場の合戦で港の大将を倒した後、僅かな損害を出したのみで撤収に成功した。このソロンギルの活躍がなければ、指輪戦争における海賊の脅威はさらに大きなものになっていたとされる。

指輪戦争において

指輪戦争において、ウンバールの海賊サウロンの命を受けてゴンドールの沿岸地方を襲った。このため、ミナス・ティリスに送られる辺境の諸侯国の援軍は大幅に減じるところであった。
しかしパランティーアを通じて海賊の脅威を察知したアラゴルン二世は、死者の軍勢を呼び出して沿岸を襲っていた海賊を敗走せしめ、拿捕した海賊船に搭乗してペレンノール野の合戦に馳せ参じた。

やがてアラゴルン二世がエレスサール王として即位すると、ウンバールはゴンドールによって平定されることになった。

Iron Crown Enterprises』による設定

およそ10万人の人口を擁する北東世界屈指の一大交易都市。交易の拠点としての重要性は、ゴンドールの他のどの都市よりも高い。
ヌーメノールの冒険家バイアン(Baian)が第二紀の8世紀頃に建設した小規模な交易用の拠点として始まった。タル=アタナミアの時代に、それらを解体した基礎の上に本格的な町が築かれ、以降数度に渡って市街地の拡張が繰り返された。

南北を入り江に挟まれており、南側の入り江が軍港として利用されている。街中には英雄を奉った祠など、ヌーメノール時代から存在する古い施設が数多く存在する

Umbar.jpg UmbarHavenMap.jpg

コメント

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照(コメントページ直接編集もこちら)

  • ここはアルジェで間違いないだろう -- 2008-12-15 (月) 21:06:08
  • イメージはヴァンダルかな? -- 2008-12-18 (木) 07:34:52
    • バルバロス・ハイレッティン率いるイスラム勢力だったかもしれません。ここが現在のアルジェに当たることを考えれば。バルバロスはその後モルドールならぬオスマン帝国に仕えていますし。 -- ホビット 2008-12-21 (日) 13:42:53
    • ボニファティウス叛乱時のカルタゴだったかもしれない。状況が似ているし、ヨーロッパ人にとってローマ史は身近 -- 2008-12-21 (日) 18:34:22
    • カルタゴじゃないでしょうかね?ハラド→北アフリカ、ゴンドール→東ローマと考えればヴァンダル海賊やボニファティウス叛乱を経て、最終的にはイスラムに征服されたこととマッチするので。 -- 2009-03-10 (火) 12:56:59
    • カルタゴでしょう。 -- 2012-08-17 (金) 09:23:16
  • もしソロンギルが大打撃を与えていなかったら、指輪戦争のときには死者の軍勢でも防ぎきれなかったのだろうか? -- 2015-12-05 (土) 00:30:23
    • 防ぎきれなかった、と言うのは若干語弊があるとは思いますが恐らくそうでしょう。ペラルギア周辺の南部諸侯がウンバール軍との戦闘を辛うじて拮抗状態に持ち込んでいたからこそアラゴルンの援軍が間に合ったことを考えると万全な状態のウンバールが相手では早々にゴンドールが敗退していた可能性があります -- 2015-12-05 (土) 00:59:24
  • ICEのウンバール地図だけど、詳しい説明か何かないんだろうか。これだけだとよくわからない。 -- 2016-11-08 (火) 15:20:36
    • 格段にわかりやすくなった。ウンバール地図修正された方有難うございます。 -- 2016-11-09 (水) 03:37:14
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*1 クウェンヤでumbarは運命(fate)の意味だが、この地名とは何も関係がない
*2 指輪物語 追補編』「ゴンドール、またアナリオンの後継者たち」

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Last-modified: 2018-07-24 (火) 18:28:58 (84d)